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強者が弱者に追い付かれる心理

以前、ここのサイトで「中国が日本を恨むのは、戦勝国とはいえ、最後まで日本に全く抵抗できなかったから。しかも、経済的にも追い付いてきて「差」がなくなってくると、当時の事が屈辱に思えてくる。」と言うのを読んでなるほどだな~と思いました。 そこで自分の人間関係でも、思い当たる事がありました。 私は中途入職し、ある一人の年下女性の陰謀で徹底的にいじめられました。その時は、周囲みんなが彼女の味方だったため、私は身動きできず、どこか私にも服従というか、彼女に対する従順心がでてきました。「気に入られよう、、」みたいな気があったと思います。 ですが4年後、私の職場で立場的は強くなり、みんなの信頼をえました。彼女は嫌われ者になりました。その頃から、私に「こんな女にいじめられたなんて!」という「屈辱」がでてきました。不思議と当時はないんです。あとからふつふつと出てくるんです。3年経った今でも屈辱です。 *なぜ、強い屈辱心が残るのでしょう? *逆に、追い付かれたほうの心理はどうなんですか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • souziki
  • ベストアンサー率24% (116/482)
回答No.5

こんなヤツの下に居たなんて、って思うからかな? 自分より上に居たのがこんなクズだったなんて。 当時はこんな女より、私の価値は下だったなんて。 過大評価していたイジメ女が、実はただの女だっていう、愕然としたものとか、こんな普通の女に苦しめられてきた自分が馬鹿馬鹿しいって言うか、そういうのでは? 当時の「気にいられよう」っていう自分に対して腹正しい感じじゃないですか? 何故、って言われても、当然のことじゃないかなぁ。 やっと正常な判断が出来るような余裕が生まれてきたから。 それに、屈辱っていうのは、大抵そういうものだと思いますよ。後から湧き上がってくるの。 そのときは何にも感じなかったりするのは、イジメとかの方でいっぱいっぱいだから。プライドかなぐり捨てても生きていたっていうか。 でも、今は余裕もあって自尊心っていうものが立ち直ってきた頃だからじゃないかな。 だから、後になって傷つけられるの。 どうだろう。 追いつかれた方が怖いですよ。 報復に恐れたりもするでしょうし。 よっぽど馬鹿だったら何にも気にしないかもしれませぬが。 まあ、少数派じゃないかなぁ。 普通は怖いよぅ。イジメられるのか、ってびくびく。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

*なぜ、強い屈辱心が残るのでしょう? :当初、あなたが「服従」し「従順」になった理由が理不尽なものだったことを、再認識するからではないでしょうか。 当時、納得しないままやむなく自分を押さえつける気になったのは、その理由が理不尽であっても自己保身の為には必要だという判断があったからでしょう。 今は、その必要が無くなり呪縛が解けたということになります。 安心する気持ちがある反面、止むを得なかった事とはいえ、理不尽な事に迎合してしまった自分自身に対する怒りが、単なる悔しさ以上の屈辱を感じる理由のように思います。 ただ、耐えていただけであれば、屈辱感は左程(比較的)強くならなかったように思います。  ------- *逆に、追い付かれたほうの心理はどうなんですか? :そういうタイプの人であれば、自分と同じ事をあなたにされないかと「びくびく」しているでしょう。 たとえ外面的に虚勢を張っていても、内面はそれこそ屈辱感で一杯だと思います。 ここで、あなたが全て水に流しておおらかな対応ができれば、その相手に限らず周囲の信頼は嫌でも増すでしょう。 何より、あなた自身の自尊心が満たされ、落ち着いた気持ちがもたらされるように思います。

回答No.3

おそらく屈辱心は、貴方の頭の中の世界が優勢になって外の世界を自由に解釈できる状態(必ずしも実力行使を伴わないとしても)にあるからだと思います。現在の敗者である、年下の彼女は逆に頭の中の世界が非常に窮屈になって苦しんでいるかもしれません。彼女の頭の中の世界は職場以外にもありますからそこでのびのびしているかもしれませんが、すくなくとも職場では窮屈な思いをしていると思います。しかしこれは感受性の問題でもありますから、それこそ客観的にはなんとも言えないと思います。また現在でも、貴方が自由にできない部分については貴方は屈辱感を持たずに従順であろうと思います。従順であるというのは覇者を意味しないで、かえって将来への可能性を示しているものだと思います。ですから屈辱感を感じている現在は貴方の進歩が止まっているのではないでしょうか。新たな上司などに従順であればさらに発展できると思いますが、屈辱感にこだわっているのは非常に危ないと思います。要するに過去のことに対する屈辱感というのは、いわゆる傲慢な気持ちの別な表現ですから、あまりこのことにこだわっていると現在好意的な人からも傲慢な人とか自己中心的な人と思われてしまう危険性もあるように思います。さらに発展したかったら屈辱感は捨てて、新たな(まともな)対象に対して従順になるほうが良いと思います。

higure54321
質問者

お礼

そうですね。屈辱感を感じているほうが、進歩が止まっているんですね。 なるほど。たしかに、押さえられていた時の方が、なんらかの努力はしていた気がします。→将来への可能性。ですね。いいこと聞きました。 参考になりました。ありがとうございます。

回答No.2

>*逆に、追い付かれたほうの心理はどうなんですか?   「あ~あ、抜かれちゃった」と落ち込む人ともいれば、 「絶対抜き返してやる」と逆に燃える人もいますし、 抜かれたことを気にしない人もいます。 とにかく、ひとそれぞれですね(^^;              

higure54321
質問者

お礼

人されぞれですね。 参考になりました。2回もこたえていただき嬉しいです。 ありがとうございます。

回答No.1

「あんな人に虐められていたなんて、  私も未熟だったんだなぁ~」 と思えば、屈辱なんて感情は湧かないはず。       貴方は心が狭いし、 人間的にまだまだ未熟なんですよ(^^;       

higure54321
質問者

補足

そうですか~?狭いのかなあ~? いじめられて悔しく思うのは、当然の感情と思うんですけど。 確かに、あなたは鋭いなあと思います。私が未熟なのもあるかもしれません。ところであなた鋭そうなので、2番目の質問(下の方)に答えていただけませんか?よろしくお願いしますっ!(^^) どうもありがとうございます。

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