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日本共産党のスパイ査問事件について教えて下さい
以前、国会で元党首を『人殺し』発言したことでもめたこととか、森村誠一氏が突然これについて執筆を党に辞めさせられたこと、あとは立花隆氏が雑誌に実際にあったことだと執筆したこと等は知っていたのですが、具体的にどういう事件だったのかとか詳しいことは、分かりません。知っている方がいたら、選挙も終わりましたので、ぜひ教えて下さい。
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立花隆の「日本共産党研究」を読んで下さい。 うろ覚えですが、当時日本共産党の幹部だった宮本顕治他が、別の幹部を特高(特別高等警察)スパイと疑って拷問し殺害した容疑です。なお、当時の共産党は特高スパイのM氏が委員長になったほどで、特高スパイが潜入する可能性はありました。また、現在の過激派のように、スパイをリンチすることはあったかも知れません。 宮本顕治はこの殺人罪容疑で有罪になりましたが、この頃の法律では治安維持法(要するに共産党は違法という法律)の方が重かったんです。したがって、宮本顕治は殺人罪ではなく治安維持法で収監されました。戦後、治安維持法は廃案になりましたから「刑の執行を受けなかった」という証明書を貰って出所しました。しかし、殺人罪は無効になったか、というのが宮本顕治の攻撃されるところです。 なお、当時の幹部で共犯に問われたH氏が殺人について何か書いていたような気がしますが、明確でないので書きません。
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- aotarou
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この事件については見方が2つに分かれています。 1つはスパイ査問事件を「共産党リンチ殺人事件」として宮本賢治氏を殺人者として糾弾する立花隆氏やそれに同調する勢力の見方です。 今ひとつは宮本氏自らが主張していた「スパイ査問中にスパイ容疑者の小畑は得意体質のためにショック死した」という見方です。 実際に当時の警察でも「殺人」を立件できずに「傷害致死」「不法監禁致死」と認定しました。 #1さんが言っているように宮本氏は治安維持法違反で収監されましたが戦後事件は無かったものとして釈放され、法務省でもこの事件は決着済みとの立場です。 悪名高い治安維持法下でおきた事件を戦後に蒸しかえされたのは1947年の総選挙で当時上げ潮の共産党が40議席と躍進したことへの危機感から仕掛けられた不毛の議論だとの見方もありました。 立花隆「日本共産党の研究」の批判というホームページもありますので合わせて参考にすると良いと思います。
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ご回答ありがとうございます。どちらの見方に立つのであれ、反対意見に目を通しておくのは、決してムダではないと思っておりますし、私自身まだどっちの立場になるかも分かりません。(どちらにせよ、反対意見があるというのは、健全でいいことです。)参考URLありがとうございます。
お礼
明け方にもかかわらず、ご回答ありがとうございます。立花隆氏の本、早速読んでみたいと思います。氏の本は大変読み易く、面白いので楽しみです。