政治に一切興味のないものに選挙をおしつけたらどうなると思いますか。
政治に一切興味のないものに選挙をおしつけたらどうなると思いますか。
まず、何も考えずに投票するかネーミングまたは先入観で決めてしまうでしょう。
日本は平等選挙で一人1票は公平として決めてられていますが、そんな安楽な考えでももっと政治のことを考えている人でも同じ1票として扱われます。
あなたが政治的な意思もないほかの人に投票させればあなたが複数票を有すると同じだけの意味になりませんかね。
ましてや、それは替え玉投票と同一になってしまいます。
そんな安楽な気持ちで投票なんぞしたら、もっと政治のことを考えている人々に失礼じゃないですかね。
私は、中学3年生(14)で未成年であり、選挙権はまた持っておりませんが、正直、政治のことに一切関心のない人には選挙には出向いてほしくないと思っております。
理由は、なぜ、選挙権は、判断能力のない成人にあって判断能力のある未成年にないのかと思っているからです。(同じ学年でも19歳と20歳で格差ができますよね…)
年齢で線引きを行っている理由は”判断能力”ですが、未成年をも超えられない政治的な判断能力がなければ、本来の意味をなしていません。
この気持ち少しでもご理解いただけますでしょうか。
そもそも、日本は民主主義なので行きたくない人は行かなくて良いのです。
自分の意見を反映したい人が国政に反映させるものです。
もともと、市民が選挙権を獲得してきた歴史は、意見を反映させたい人のために市民革命を起こしてきたわけです。
選挙を棄権することもできるのが民主主義です。
そもそも、無記名投票と選挙の棄権は意味が違います。
無記名投票は、「ふさわしい人が誰もいませんので、選べません。」という意味で、選挙の棄権は、そのまま棄権で、「自分には判断して投票するだけの能力がないので棄権させていただきます。」というだけの意味です。
政治について何もわからなく、判断能力がないならば、投票したくても投票できない方やまじめに投票している人のことを考えて、投票所に行かないようにするべきなんです。
いまの俗に言われる選挙に行かない若者の考えというのも最近問題視されているかのように思いますが。
「どうせ誰がやったって何も変わらない。」「1票くらいでは何も意味はない。」「行くのがめんどくさい。」
先ほども言いましたが、「1票くらいでは何も意味はない。」というようなことを思っているひとの1票ともっと政治のことを考えている人でも同じ1票として扱われます。
そんな事実、納得できるわけありませんし、これが本来の民主的な公正な選挙だとは思えません。
なぜマスコミなぜこれらの若者を選挙に行かせようとさせているかは、簡単です。
”知識がなく、マスコミの情報をすぐに信用するので、自分たちが票を動かせる。”というのが理由です。
マスコミには右翼より左翼よりがあり、報道は嘘ではなくとも、意図的に情報をピックアップして、先入観・イメージを植え付けることができます。
これを何も考えずにそのままの先入観で投票すると、マスコミ政治になってしまいます。
本当に、何もわからなければ、投票したくても投票できない方やまじめに投票している人のことを考えて、投票所に行かないというのも1つの選択肢ではないのでしょうか。
私なんぞの意見でも受け入れていただいたら、幸いです。
あなたはこれに納得していただけましたでしょうか?(質問)