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会津藩について
会津藩について調べています。 いくつか質問があります。 1.会津藩士たちがその後会津以外で集落を作った土地(斗南藩以外で) 2.会津の流れを汲む著名人 どなたかご存知でしたら教えていただけませんか?
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(1)一例として、北海道の余市に会津藩士が入植して開拓に成功し、現在も子孫が多数暮らしています。これは、集団入植の最良の形でしょう。 http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/mayor/senjin/senjin_03.htm アメリカのカリフォルニアに入植した例もあります。入植が失敗に終わり、入植者のその後の消息は不明です。 http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/waka.html (2)会津ゆかりの著名人は、 http://www.geocities.co.jp/Beautycare/7606/komno_htm/aidu_yumeijin.htm にかなり掲載されています。
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- buchi-dog
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No1の者です。 (1) 会津藩と函館市の関係は、「佐幕派が最後に拠ったのが蝦夷地であった。会津藩士で函館で戦った者がいた」と言う程度の関係と思います。 (2) 斎藤一は会津藩出身ではないようです。ネットで検索すると「播州明石の出身」と出てきますが、歴史の本では「詳しい出自は不明」となっていたように思います。ただし、会津藩に身を投じて戊辰戦争を戦い、明治維新後は元会津藩士・山口次郎として生涯を終えました。会津藩士と共に斗南の地で苦しい生活を送ったそうですから、「会津に帰化した」という所でしょう。 (3) 教育界で業績を残した会津人と言えば、 秋月悌次郎(秋月胤永)を外すわけには行きません。 http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/jinbutsu/akazuhisa.html 昨年放送の「新選組」にも、会津藩の新選組担当者として登場しましたが、会津藩の幹部として維新前後の困難な時期を過ごした後、最後は熊本の五高の教授になりました。同僚であった小泉八雲の著作に「神のような偉大な人」と描写されているそうです。 秋月悌次郎や山川大蔵(山川浩)、佐川官兵衛といった一部の会津藩幹部は、明治の世に業績を残すことができました。ですが、会津藩の有力藩士で、他藩に名の知れていた人でも、「維新後の消息は不明」となっている人がかなりいるようです。維新後の会津藩士の苦難が偲ばれます。 敗者の維新史 会津藩士荒川勝茂の日記 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=06773494 は、中級の会津藩士が維新の前後にどのような一生を送ったかを述べた本ですが、図書館等での一読をお勧めします。 ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=00696669 は今でも本屋で購入できます。
お礼
う~ん、buchi-dogさんの博識ぶりには頭が下がります!やはり会津に興味を持たれているとお見受けしましたが。 斎藤一は斗南の地へと渡ったのですね。。斗南藩での窮乏ぶりはたくさんの本にも書かれていますね。一度斗南の地を含め、会津ゆかりの地へも足を運んでみたいです。 ご紹介してくださった本、図書館で検索してみようと思います。たくさんの情報提供をありがとうございました!
- tatsumi01
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有名人としては、山川浩、山川健次郎(東京帝大総長)、大山捨松の兄弟でしょうか。 大山捨松は津田梅子と同期のアメリカ留学生で、後に大山巖と結婚し鹿鳴館の華と謳われました。
お礼
ネットで大山捨松について早速調べてみました。 お綺麗な方ですね!まさに「華」ですね。 しかし、会津の流れを汲む人たちには、学者や教育者が多い気がしますね。日新館が影響を与えているのでしょうか? ありがとうございました!
- green_shot
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求められている回答かどうか微妙ですが、北海道の札幌に「琴似」という場所があります。 ここは元々、明治初め、会津藩の武士達が活躍の場を求めて(明治政府の危険分子抑え込みという一面もあるのですが)、屯田兵として赴任し、開いた場所です。 だから昔は、村だったはず・・・。 あと会津藩出身の何人かが、アメリカに渡って村を作ったが、挫折した、という話を聞いた事がありますが、真相不明。 著名人は、新撰組系の生き残りが多いですが、会津藩をテーマにするなら、斉藤一が一番象徴的でしょうか。 彼は戊辰戦争後、警視庁に入ります。勿論、彼だけではなく、多くの元会津藩の人間が警視庁に入ります。彼らが警視庁抜刀隊として西南戦争に参加し、「戊辰の恨み!」と言って、薩摩兵に襲いかかり、大活躍した話は有名です。 あと他の有名人は、あえて挙げるなら、野口英世でしょうか。ただ彼は父親が会津出身なだけで、彼自身は維新後に生まれているので、ちょっと違うかも・・ 会津的武士道という面では、会津藩ではないですが、盛岡藩の新渡戸稲造が有名でしょうか。 彼が著書「武士道」でその精神を世界に伝えたことは有名です。
お礼
札幌の「琴似」ですか。なるほど、北海道には会津ゆかりの地が多いのでしょうか? 「斉藤一」に関してですが、この方は会津藩士だったのですか?生まれは江戸、とあるサイトで記されていたのですが、もし情報を持っていらっしゃったら教えていただけませんか?しかし、興味深いことだらけです! 新渡戸稲造の「武士道」は今度読んでみたいと思います。ありがとうございました。
お礼
沢山の知識をありがとうございました! カリフォルニアへ渡ったという「おけい」の話は聞いたことがあります。今でも、あちらで会津の血脈が続いているとするならば、会津士魂の強さを感じずにはいられません。 北海道の余市が会津藩士の入植地だとは知りませんでした。また、会津の著名人リスト、大変参考になりました。 重ねての質問になりますが、北海道函館市と会津藩の関係はどのようなものなのですか?土方歳三がらみのことしか知らないので・・。もしよろしければ教えていただけませんか?m(__)m