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人はなぜ本を読むのでしょうか。

あまり読書家ではないのですが、一冊の本を読むのに半年ぐらいかかってしまうとか、 何回も挑戦しては、おなじ箇所で躓いて読みきれずにいつまでも残っている本があります。 これではまるで苦行者のようですね。(笑 人はなぜ本を読むのでしょうか。 そこに本があるからだ、と豪快な答えから、知的な欲求からだ、という答えまであるかも知れませんが 何か他にも理由があるのではないかと考えたりします。 みなさまの考えを教えていただければと思い質問してみました。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#15238
noname#15238
回答No.9

誰の為に、この本は書かれたのか? 一冊の本を書くためには苦労もあるでしょう、 伝えたい事があるはずです。 私に伝えたい事が書かれた本が有る筈です その本を探す為に、違う本を読みつづけています。

thing
質問者

お礼

人はなぜ本を読むか、の答えは、人はなぜ本を書くのか、のなかに あるのかも知れませんね。 もう一人の自分の為にか、あるいは他者に理解してもらおうという気持ちからか、 その一行のために書き続けられてきたものが本であるなら、 読者はその一行をひたすら求めて、本の世界を彷徨っているのでしょうか。 自分にとって素晴らしい本にめぐり合うことか、難しい所以ですね。 お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました。 (ときどきコメント欄立ち寄らせていただいてます(^^))

その他の回答 (19)

  • leaf0064
  • ベストアンサー率27% (8/29)
回答No.20

 既に,みなさまから様々な意見が出ていますので,私が書くのはよした方がよろしいのでしょうけど(なら,書くなとは言わないで).  私の場合は,本っていうか活字を楽しんでいるのと,あと,人との話のタネにするためですね.  読書好きの友人の言葉ですが,「本っていいよね.読んだだけで頭が良くなったような気持ちにさせてくれるものもあるし,頑張ろうって元気づけてくれるのもある.素敵!」 たしかに,私も同様に思うのです.  あと人との話題にするために本を読んでいるんですよね.さまざまな人がいてさまざまな思想や生き方があるそして,その方々と話すためにもいろいろ本を読んでいるというのが私です.

thing
質問者

お礼

人との話のタネにするために読書するという考えは、No2さんもちょっと述べられていましたが、一見不道徳のような行為にみえますが、何か読書家の気持ちの一部を表しているようにも思えるのです。 他の人があまり読んでないような本のなかで、良いものを見つけてきて人に紹介したり、話題の本をいち早く読んで、話の場を提供したりするのは大なり小なり皆することではないのでしょうか。 一冊の本を通して、人といろいろ話し込んでいくのだろうと思うのですが、他のものでなく本がその人との結びつきを強くしていくのは、やはり本の中に込められているものが、わたしたちの現実に鋭く光を投げかけてくるからなのでしょうか。 そうですね、映画を観ても頭が良くなったような気がしませんが、本を読めば、なんとなく頭が良くなったように錯覚するのは、確かに不思議な現象ではありますね。(^_^;) 野暮用で出かけており、お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました。

thing
質問者

補足

◆回答を寄せていただいた皆さまへ   この質問を起こしてから早いもので二ヶ月が過ぎてしまいました。 区切りもありますので、本日締め切ることに致しました。 その間、皆さまからの厚意的な回答をいただきましたこと、 お礼申し上げます。 締め切るに際して、もう一度,No1様からの回答を読ませていただいて、 皆さまそれぞれが、真実を言い当てられているのだろうと思うのですが 何分質問者の理解不足のため、不愉快なお礼があったのではないかと思います。 お許しいただければ幸いです。 もし質問者にこの質問をした場合、はたしてどのように答えればよいの常に 考えていました。結局、論理的に掴む事ができず、 この牧水の歌を引き合いに出すぐらいしか出来ないのではないかと考えるに 至りました。     幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく ※ポイントにつきましては、当方の独断と偏見で付けました。 もとより今回、回答を寄せていただいた皆さまにおいては、ポイントを 超えたところでの回答だったと固く信じておりますので、ご理解いただけるのでは ないかと思います。 皆さま、有難うございました!

  • itab
  • ベストアンサー率50% (431/861)
回答No.19

>人はなぜ本を読むのでしょうか。  本は人に読んでもらうために存在しているからではないでしょうか。  どう考えてもそれ以外の存在意義は見あたらないのです。  その証拠に今宵も読め読めと私に迫ってきます。    *~*~*~*~*  この質問が登場してから1ヶ月、あれやこれや、試行錯誤、紆余曲折の末に辿り着いたのがこの答えでした。  みなさんの力作に圧倒されながら、そっと回答させていただきました。

thing
質問者

お礼

確かに本はすべての人を受け入れてくれる抱擁さというか 寛容さがある、その反面、 読者相応の世界しか垣間見ることができない厳しさがあるのも事実なんだろうと思います。 やさしさと厳しさを延々と累積してきた書物の世界。 そんなことを考えますとやはり本は人に読んでもらう為に あらゆる門を開いて待っている孤高のような存在かも知れないですね。 われわれは丁度、石に問うような感じでその門をたたくのでしょうか。 そしてそこで見た世界はきっとその時の心のなかの反映であるのかも知れません。 そして、それすらもやさしく見守っているのが本だとしたら、 読書とはまるで合せ鏡のように自分の心的な世界と深く対面している行為なのだろうかと、 考えてしまいます。 われわれは生まれながらにして両ポケットにいっぱいの招待状を持っていて その招待状のひとつが、きっと読書であるのかも知れませんね! お忙しい中、回答いただきありがとうございました。 感謝致します♪

  • mamaty
  • ベストアンサー率29% (90/310)
回答No.18

人はなぜ本を読むのか?それは人はなぜ山に登るのかという問いに似ているような気がします。 そこに山があるからだ。 山登りが好きだから、どんな山か興味があるから、山の頂上に立って見る景色が最高だから、登頂した征服感達成感が気持ちいいから、登るたび新たな発見や出会いがあるから…。 この花の名前はなんだろうと、本来の目的から横道に逸れたり、この山はルートが簡単すぎて変化がなくつまらん、隣の山に登ってみるかと方向転換したり、100名山にチャレンジしてみたくなったり(笑) とても本を読む行為と似ていると思いませんか? 最近私は子どもの頃よりも、読書の忍耐力がなくなってきました。 伏線を先読みしたり、著者や出版社、タイトル、登場人物、前書きでだいたいのストーリーを予測して、その通りだと「ヒネリが足りん、イマイチ」大ハズレだと「話に無理がありすぎでリアリティがない、駄作」 気持ち良くこちらの読みをはずして、ひっくり返されると「上手い!やられた!こりゃ大当たり」みたいな、純粋に読書を楽しんでいるとは言いがたい、まるで素直じゃない編集者のような読み方。 アタマが硬くなっている証拠か、読み取りにくい文章があると、そこで理解力が急低下して、急に眠くなったり(笑)知らない漢字や言葉が並んでいるとそれだけでも文字を追うのが難しくなったり。 ある程度の経験を積み、冒頭部分でこの本が自分に合う合わないが判断できたり、でもひょっとしたら面白いかもしれない、何か学ぶ所もあるかもしれないと期待して、無理をして読んでみたり…そうすると大概読み進むのが困難で、気分転換と称して他の本に手を出し、その本は未読で終わる。何か若い頃の新鮮な気持ち、どんなにストーリー展開が鈍い物でも何も考えずに受け入れられる柔軟性、新しい情報に対して素直な好奇心、そういったものがなくなってきている、そんな気がするのです。 それでも、本を読むのが止められない。まだ知らない面白そうな本がないかと捜し求めてしまう。それはやはり、本の世界に楽しさが詰まっているからなのでしょうね。 私が本を読むのは、TVを見るのと同じくらい気軽で生活の中に入り込んだ行為です。 自分の住む町に、新しいお店が出来た、ちょっと覗きに行って来ようくらいの好奇心で色々な本に手を出します。 これが私にとってなぜ本を読むのかということに関しての答えになっているのかな?如何でしょう? 取り留めのない文章ですみません。私自身何を言いたいのか分からなくなってきました(爆) ひょっとしたら、せっかくお考えがまとまってきている所に、余計な口出しだったかもしれませんが、まぁ、お許しを。 質問者様の疑問が解決する何かの糸口になれれば幸いです(笑)なんとなく足を引っ張ってしまった感が拭えませんが。

thing
質問者

お礼

人はなぜ本を読むのだろうか。 >そこに山があるからだ。 この言葉は他のどなたかも仰ってましたが、あらゆる邪推を排した究極の結論かも知れませんね。 じゃあそこに山が無ければ、どうなんだろうと考えれば、やはり人はビルや人工の壁を登ったりします。 今ある現在の場所からもうすこし高みのある場所に行って、そこから今一度振り返ってみたい、 そんな気持ちが読書と似ているのでしょうか。 ただもう本の世界に埋没するような読み方は回答者さま同様、年々出来なくなってきました。 たえずなにか第三者的な目で本と接するのは、けっして良い読み手ではないと思うのですが、 こればかりは。 悲しいですが、無垢の感性は、人生の内の僅かばかりの時期しか無いのだなあと思います。 そんな読書のなかにも、時折稲妻のようにキラリと光る、あるいは人を惑わす言葉などに出会うと、 ちょうど見知らぬ野辺の花に出会ったようで、活字を追ってきた苦労もすう~と消えていくのではないでしょうか。 山の頂に立った時、道中のつらさを、さっと忘れるように。 >自分の住む町に、新しいお店が出来た、ちょっと覗きに行って来ようくらいの好奇心で色々な本に手を出します。 回答有難うございました。 回答者さまの普段見られぬ(ぉぃ)正直な気持ちがお聞き出来て大変うれしかったです。

  • Lioh
  • ベストアンサー率49% (121/243)
回答No.17

丁寧なお礼、どうもありがとうございました。 16番目で回答した者です。 質問者様は、「大事なものをさがすため」に読む・・・という事でしょうか? 意識して、そうやって本を読んでいたわけではありませんが、 私ももしかしたら、そうした思いで、本を手にとり続けているのかもしれない・・・ と思いました。 自分が体験するよりも多くの事を学べる半面、 書籍からの思い込みが、手枷足枷となり、行動半径をせばめてしまったり・・・。 「本を読む事」は大好きですが、 読めば読むほど、「本と向かい合う」のはつくづく難しいな、とも 思います。 そして、生きてきて、 泣いたり、笑ったり、喜んだりと、 人それぞれに歩んできた軌跡が違うから、 「選ぶ本」も違ってくるし、「読むのにいい時機」があるのかもしれない・・・ と最近では思うようになりました。 「夏の100冊」ですが、 実は一番印象に残っている作品は、 夏目漱石の「こころ」です。 20歳を少し過ぎた時期に、私は読みました。 それよりも前でしたら、自分の事のように辛くて 読み進める事ができなかったし、 それよりもだいぶ後でしたら、 「心理描写が上手な作者のひとり」という印象しか持たなかったかもしれません。 「こころ」の中に登場する「先生」。 飄々としていて、自らの話をほとんどしない先生が、 まるで自分の事のように思えて、ページを繰る手が止められませんでした。 たぶん1日で読み終わった気がします。 高校時代、知的で可愛らしい同級生とくらべられ、 劣等感を持っていた私は、 先生のした事に対してはひどいかもしれないと思う反面、 先生の気持ちに関しては手にとるようにわかるような気がしました。 「こころ」を初めて読んだ時から、 10数年、経とうとしていますが、 まだ人と接する事に臆病だったり、 生きていく事に弱音を吐く日もありますが、 ・・・本や友や、大事な伴侶などに支えられて生きています(笑)。 今は、たとえ優秀な人とくらべられるような事になっても、 「私は私。私が得意な事もあるし。 能力のあるなしに関わらず私を思ってくれる人がいるから、 アイデンティは傷つかないよ。」 と、やっと思えるようになったところです。 「劣等感を抱えていた自分」は、 恥ずかしくて、懐かしい過去ですが、 こうした悩みも、何年もかけて、少しずつ解決したんだっけ・・・と、 「こころ」を見かけるたびに、「私もなかなか頑張ってきてるじゃないの。」と、 こっそり、自分で自分をほめています(笑)。 「人に本を薦める時」は、 また違う観点から選んでしまうのですが、 「印象に残る作品」では、 私の人生に接点のある気がする・・・「こころ」かな、と思いました。 長文になり、失礼しました。 相当な本好きと思われる質問者様と、 本について話す事ができて、とても楽しかったです。 ありがとうございました。

thing
質問者

お礼

再度回答いただきありがとうございました。 そうですね。大事なものかも知れませんね。 人は時間に追われて生活していくわけですが、そんな日々のなかで 目に見えぬうちに徐徐に失われていくもの、こんなものを本のなかで探しているのだろうか。 実はまったく本を読まない時期が何年間かありました。 本の世界がほんとうに信用に足るか疑問に思った頃です。 しかしまたこのようにして、すこしずつではあるのですが、本を読み返してみて やはり疑問は膨らむばかりになってしまいました。 お気に入りの作品ほんとに教えていただいたんですね。 ありがとうございました。 漱石の「こころ」でしたか。 「こころ」は年齢を問わず受け入れられる本ですね。 漱石は「我輩」のような風刺小説から出発して、一時俳諧の世界で遊びながらも 最後は「明暗」まで突っ走って行きます。 そのなかでも「こころ」はけっして明るい小説ではないですが、 全体から滲み出る希望のようなものがありますね。 このあたりがすべての人から支持される理由でしょうか。 これはひとえに漱石の人間性だと思うのです、自分の思想を偽りなく探求していった・・。 返事が遅くなりました、新潮の100冊、完読された暁に、またどこかでお話ができればいいなあと思います。

  • Lioh
  • ベストアンサー率49% (121/243)
回答No.16

こんにちは。 私にとって、読書とは・・・ 以下のようなものかもしれません。 1、あまりに辛くて涙がこぼれそうな時、 優しく支えてくれる「家族」 2、ひっこみ思案の自分の手をひいて、 他の友人に紹介してくれる「おせっかいな友人」 3、生きていくための海千山千の 知恵を授けてくれる「人生の師匠」 4、夜が更けるのも忘れて、 夢中で話し込んでしまう「同性の悪友」 5、ひきずりこまれそうな、先が見えない暗闇に 灯をともしてくれる「番人」 6、心がはずむような冒険に駆り立て、 知らない世界に誘う「荒くれ者」 7、世の中の冷たい言葉から、 私をかばってくれた「満身創痍の騎士」 8、他の人の気持ちや考えている事をさりげなく伝え、 仲をとりもつ「友好の使者」 9、周囲に知性を示すために纏う「鎧」 10、カラカラにひからびた心を潤す「泉の水」 11、まだ見ぬ世界に連れて行ってくれる「乗り物」 12、忙しさにかまけて忘れてしまう大事な事を思い出させてくれる 「戒めの鐘の音」 13、できそうな事だけに流されるのではなく、 一歩ずつでも近づいていきたい「理想郷」 14、「違う、違う、そうじゃない。私はそうは思わない。」 と自覚していなかった気持ちを浮かび上がらせる「試験紙」 15、すすめてくれた友人とは疎遠になってしまったけれど、 今でも自分を支え続ける「大事な柱」 16、読んでいた当時の状況まで思い出せるような「思い出のアルバム」 ・・・のどれかしらにあてはまるような存在です。 家族のような、友のような、伴侶のような、 「かけがえのない存在と寄り添う事」が読書の目的です。 時として、質問者様と同じく「楽しい苦行」にもなるのですが(笑)。 自分以外の「人生」を体験させてもらう事で、 「友人の生き様」に思いをはせる・・・きっかけになった気もします。 同じ本を通じて、話が弾んだ友もいるし、さらに気持ちが伝わった友もいます。 私の人生に、彩と深みを与えてくれる、 とてもとても大事な存在です。 質問者様は、なぜ本をお読みになりますか? お聞かせ願えたら、幸いです♪

thing
質問者

お礼

なぜわたしは本を読むのだろうか。 質問者が言うのも変ですが、なかなか言葉に表現できないものが内在していますよね。 本を読む動機はひとそれぞれあると思うのですが、 本を読む行為そのものはいったい何だろう、と考えるとそこで足踏みしてしまいます。 おそらく、何かを探しているのではないでしょうか。その何かが、現実の世界に欠如されているものなのか、 あるいは現実からの反映からくるものなのか分かりませんが、そんなものを探しているのかも知れません。 そしてその探し物が見つかった時、ある詩人が言われたように、 人は紙の上に書かれたものを恥じて後、未来へ出で立つのだろうと思うのですが、 その時期が生涯のうちにやってくるのかどうかも、わかりません。 詩的な言葉で綴っていただき、ほんとに本がお好きな方なんだなあと、 実感いたしました。 ひとつひとつの言葉じっくりと読ませていただいたつもりです。 お礼が遅くなり失礼いたしました。 回答ありがとうございました。 (新潮の100冊、どの本がお気に召したか、機会があればまた教えてください。)

回答No.15

私の場合何故本を読むかと言えば、9割方「言葉を知る為」です。 というのも、身につけた真理を言葉で説明できない事が多々あり、 それを見事に言葉で表しているのを本で発見したとき、とても良い気持ちになります。言葉を知っていくと、そのうち全てが繋がっていく感覚になります。つまり自分を知るという事にもなります。 こういう人もいるという事で、参考になれば幸いです。

thing
質問者

お礼

意味深いお言葉なんでしょうが、うまく理解できませんでした。 理解できた範囲で書かせていただくと、なにか自分の気持ちに通じる格言か 箴言などを本のなかから見出していこうとされているのかな、と感じたのですが、間違った解釈をしているのかも知れません。 いずれにしてもわれわれの住んでる世界が言葉を介して関係している以上、 言葉を知るということは、われわれの関係、自分と世界との関係をより深く知ることになるのでしょうね。 お礼が遅くなり失礼いたしました。 回答ありがとうございました。

  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.14

読書は案外能動的な行為のようです。 畢竟は暇つぶしのため、楽しみのために読んでいるのかな、と思ったりしますが、本当に暇な時には返って本は読まない。 どうも精神や肉体が活発な時に本を欲するようで、寸暇を見つけてというパターンのほうが本はよく読める。 知的な意欲があり、内在する課題があるようにも思い、何より好奇心が旺盛になっています。 大げさに言えば、その一冊の中に世界の究明がコンパクトされ、謎はすべて解き明かされているような予感がある。 それは読み始めてしばらく経って、まったくの幻想に過ぎなかったことが判明し、たとえ一つの謎が解決されても、それに付随する新たな謎が、より精緻に多面的に立ち現れてくる。世界の謎は混迷の度を深めるばかりなのだということがやがて判ってきます。 では、その「世界の謎」とは何のことかというと森羅万象にわたることだと答えるしかないと思うのですが、 突き詰めれば人間に対する興味、もっと言えば、自分というものへの不可解、不満や違和感であると思うのです。 結局は自分というものをもっと知りたい、自分は何者であり、どこから来てどこへ行くのか。 なんだ、文学の問題じゃないかとご指摘を受けそうですが、必ずしもそうではありません。 今はやりの脳科学や夜見る夢の科学の分析も、人間、この自分なるものへの興味へと還元されるでしょうし、 サル学、心理学、天文学もまたその原点ゼロへ返ってゆくことは言うに及ばず、 歴史は人間の愚かしさのオンパレードであり、自分のうちにもその残響が頻々として聞こえる以上、無縁のものであるわけがありません。 「混迷の度を深めるばかり」のものであったとしても、これをやめる訳にはいかない、ということが既にして人間の性(さが)であるらしい、と気づくばかりです。 ではこうした学問なり営為なり興味なりは虚しい一方のものなのでしょうか。 いにしえの智者たちは口をそろえて、この卑俗きわまる世の中こそ聖なるもの、そのものであると述べています。 生命発生の神秘は生物学者ならずとも、その聖なるものの最も顕著な一例でしょうし、 アインシュタイン博士の方程式 E=mc^2 はこの世を最も美しく簡潔に表現した言葉ではないかと思うのです。 それはすぐれて素晴しく、しばしばファンタスティックな経験であり、エレガンスに触れる時でもあります。 本を読むことで(本はたいてい言葉という記号で書かれていますが)私も多少その意味にしろ意義にしろ、よって齎されたものに近づくことが可能です。 われわれは言葉によって物事を知ったり考えたりするし、感情表現も多く言葉によって行います。たとえ口に出されるのはその十分の一に過ぎないとしても。 そうすると、読書とは成就されない予言を読むこと、この世界への挨拶の仕方を学ぶこと、一編のポエジー(詩の真髄)を見つける旅であると言っていいのではないか。そんなふうに思いはじめています。 なんだか熱にうかされたうわ言のような回答になってしまいました。でも、まあ、こんなものも一つくらい紛れ込んでいても面白いかな。

thing
質問者

お礼

詩人の谷川俊太郎さんは、今や国民的詩人で、(ご本人はどう思われているか 分かりませんが)このカテでもよく紹介されていますが、 わたしは、谷川さんは「20億光年の孤独」から現在の詩に至るまで底に流れている思想は なんら変化が無いように思えるのです。どんな思想なんだろうかと言いますと 「僕はなんで地球上のここに、この時代に在るのだろう」という本質的な疑問ではないでしょうか。 まるで他の星からやってきた生物が、地球上のあらゆるものに興味をもって 接しているような、そんな好奇心で詩を綴られているようにみえるのです。 ですから谷川さんの詩は、詩とは何だろう、詩とはどのように出来上がってくるのだろう もうすこし輪を広げれば読書とは何だろう、という事を詩で表現 しているのではないだろうかと、いつも思ってしまいます。 >読書とは成就されない予言を読むこと、この世界への挨拶の仕方を学ぶこと、 一編のポエジー(詩の真髄)を見つける旅であると言っていいのではないか。そんなふうに思いはじめています このお言葉のなかに谷川さんと共通する思いを感じました。 お礼が遅くなり失礼いたしました。 回答ありがとうございました。

  • pastorale
  • ベストアンサー率37% (62/165)
回答No.13

子供を死なせてまでパチンコに熱中する人の気持ちが、どうしてもわかりませんでした。 ある化学者から、パチンコしてるときは脳にある物質が出て、その物質による一種の麻薬中毒なんだと説明されて納得しました。 本好きな人も、結局は活字依存症患者ではないでしょうか。パチンコより有用な、知識が増えるとかいう面はありますが、重症患者はうっかり本を忘れて出かけると、電車の吊り広告とか前の人の新聞とか、必死に活字を探して読んでいます。 いよいよ何もないと、お札を出して、その字を読むという人もいました。 瀬戸内寂聴さんも修行中、活字が読めないのが一番辛かったそうです。一種のヤク切れですね。 ここで「面白いから読む」と答えてる方も、無人島に電話帳と一緒に漂着したら、きっと電話帳を読み始めると思いますよ。ここのカテを読んでる人は、大体患者です。

thing
質問者

お礼

わたしも時々ギャンブルをしますが、なぜギャンブルをするのかと問われれば 未来を予測する楽しみではないだろうかと思うのです。 ではなぜそれほど、未来にこだわるかと問われれば、やはり現実感の喪失では ないでしょうか。 これは読書の世界でもおなじことが言えないでしょうか。 ややもすれば本の世界から現実を評価しようとしますね。 ではなぜそれほどまでに人は活字に魅了されるのだろうか。 活字依存症では割り切れない神秘もあるような気がしますが、 実のところ質問者にもよくわかりません。 お礼が遅くなり失礼いたしました。 回答ありがとうございました。

回答No.12

なんか響く言葉をさがしてるような気がします。 一冊読んで一行響いたら儲けた!って感じがします。 まるまる一冊読んでなにも響かないことが続くと 名言集みたいなのに走ります。 で、響いた言葉の前後を読むために一冊読んで かみしめたりしています。

thing
質問者

お礼

そうですね、本を読む理由はそんなところにあるのかも知れませんね。 その本の中で一行でも自分にとって響く言葉に出会えれば、その本を読んだ 甲斐もありますし、もしその言葉に自分が感動すれば、人にも教えたくなりますね。 こんな体験がしたいばかりに、本の世界を彷徨っているのでしょうか。 お礼が遅くなり失礼いたしました。 回答ありがとうございました。

  • cac31090
  • ベストアンサー率12% (8/66)
回答No.11

私が本を読む理由は面白いからです。 テレビや映画より表現が豊かで、守備範囲も奥行きも大きいと思います。 映画と原作本を比べ見ると、そのスケールの違いに愕然とすることもあります。 なーんて偉そうなことを言ってますが、ようするに娯楽です。 読書で人生が変わるなんてこれっぽっちも思っていません。 さて質問者さんは1冊をなかなか読破できないと嘆いておられるようですが、 そう頑張らなくても良いのではないでしょうか。 しょせん娯楽なんですから。 それでも、もし質問者さんも読書を趣味の一つにしたいとお思いでしたら、 軽いエンタテインメントから読み始めてはいかがでしょうか。 赤川次郎さんとか、そういうのが良いと思います。 私の妻も7~8年前ぐらい前までは全く本を読まなかったそうですが、 知人にシドニー・シェルダンをすすめられ、騙されたつもりで読んでみたらハマってしまい、今では週に2~3冊は読んでいます。 ということで気が向いたらどうぞ。 最後に、蛇足ですがベストセラーには気をつけてください。 日本語の全くできない恥知らずな作者の、ゴミのような原稿を、 同じく恥知らずな編集者と恥知らずな出版社が、 広告の力を借りて売りまくった商品がよくあります。 最近の例だと ■「恋バナ」「Deep Love」等、yoshiの本 ■「世界の中心で愛を叫ぶ」 ■「リアル鬼ごっこ」等、山田悠介の本  など。 これらは絶対読んではいけません。 もちろん質の高いベストセラーもあります。 読む前にAmazonの一般レビューを参考にすると良いかもしれませんね。

thing
質問者

お礼

うーん、質問の仕方がまずかったようですね。 わたしもたいそうな読書家ではありませんが、手に取る本がすべて、読み通すことが出来ないわけでなく、 回答者さまのように、娯楽の一部として、楽しんで本を読む場合もありますが、  どうしても読んでおきたいなあと思う本がたまたまあって、 何回も挑戦してはうまく読みこなせない。 じゃあ、なんでそこまでして本を読むのだろうか。 おそらく、楽しいからとか、娯楽だからという考えを超えたところに、 なにか人が本を読む理由があるのではないか。 質問の趣旨はこんなところにあったのですが、質問のまずさが誤解を生んでしまったようですね。 そうですね、すべての本が面白く読めればそれに越した事はないですねー。 読書についてのアドバイス参考になりました。 ご紹介していただいた本は、当分縁がなさそうなので大丈夫かと思います。 お礼が遅くなり、失礼いたしました。 回答ありがとうございました。

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