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人はなぜ本を読むのでしょうか。
あまり読書家ではないのですが、一冊の本を読むのに半年ぐらいかかってしまうとか、 何回も挑戦しては、おなじ箇所で躓いて読みきれずにいつまでも残っている本があります。 これではまるで苦行者のようですね。(笑 人はなぜ本を読むのでしょうか。 そこに本があるからだ、と豪快な答えから、知的な欲求からだ、という答えまであるかも知れませんが 何か他にも理由があるのではないかと考えたりします。 みなさまの考えを教えていただければと思い質問してみました。
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誰の為に、この本は書かれたのか? 一冊の本を書くためには苦労もあるでしょう、 伝えたい事があるはずです。 私に伝えたい事が書かれた本が有る筈です その本を探す為に、違う本を読みつづけています。
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- souziki
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気持ち良いから。 本の中のことを想像するとすごくリアルに思い描けてて、気持ちがいい。 ちょっとしたヒキコモリな気もしないでもないのですが; だから、論文なんかは苦手だなー。 想像することが少ないし。 まるで麻薬のように獲り憑かれておりまするw 本、完読出来ると良いですね。 もしかしたら、アンケートカテゴリーだともっと面白い回答があるかもしれません。 そちらも試してみてはいかがでしょうかw もし、また会いましたら、そのときはヨロシク。
お礼
本を読んで気持ちが良いとのことですが、 正直いって理解しずらい面もあるのですが、本の世界の登場人物に いつしか同化していくのが気持ちが良いとのことでしたら、 仰られてることは、よく分かりますし、素晴らしい、本の読み手では ないでしょうか。 かってわたしもそんな風に本を読めた時期もあったと思うのですが 今はもう残念ながら無いですね。 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が出版された後、主人公の気持ちに 同情して自殺が絶えなかったとの話をどこかで聞いたことがあるのですが、 これは極端にしても、主人公と同化できるところに 本を読む理由があるのかも知れませんね。 アンケートの件は、また落ち着いたら考えてみますね。 お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました。
- hardly
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直接の回答ではありませんが、そんな人のための本を1冊お薦めします。 「教養論ノート」浅羽 通明 幻冬舎 現在絶版になってしまっているようですが、アマゾンなんかでは購入できるようです。図書館にはあんまり無さそうです。 読書が一体どういう行為なのか細かく論じられた非常に面白い本です。ぜひ読んでみて下さい。
お礼
機会があれば一度読んでみたいと思います。 回答ありがとうございました。
- sinn_o
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色んな人の考え方聞きたいご質問ですね! 私も考えたことがあるんですが、「つならない人生に面白みを与えるため」という決着をみました。 悪い意味ではなく(汗。 エッセイや小説で、自分には無かった物の見方や切り口を見つけると、その後今まで何も感じなかった対象について、見方や切り口を変えることで面白みを発見することができますよね。 また、新書や雑学系だと、知識を得ることによって、面白さが分かる、あるいは増す対象が増えたりというのがあります。 たとえば面白さと言っていいのかちょっと微妙ですが、イラク関係とかは歴史と宗教に詳しい方がより面白く見られるだろう、とか。 トリビアと似てるかもしれません(笑。 ただ、自分の専門や仕事と関係する本だと、もっと浮世的な邪心が盛りだくさんですけどね(笑。
お礼
知りたいという欲求がなぜ湧いてくるのか、なかなか理解しにくいのですが、 人間の本能的な恐怖心から来ているのだろうかとも思いますね。 人が知っていて自分が知らないものがあると、やはり恐怖心が芽生えてくるような気がします。 これは他者と競争しようと言うのでなく、共存しようとする意識なのかも知れませんね。 淡々と繰り返されていく日常生活のなかにすこし意味を見出して、知識を蓄積して、 その蓄積された知識からもう一度日常生活を振り返ってみる。 そこには、今までになかった世界がぼんやりと開けてくるのでしょうか。 なにか一番真っ当な本読みかもしれませんね。 回答ありがとうございました。
- cherrymoon
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私の場合は視野を広げるために読んでいます。 職業ものの作品だと、その世界についてもっと知りたくなり、その世界に関する本に手が伸びます。 それが更に発展していき…と活字を通して情報を得ることが出来ます。 色々なことを知るとテレビを見ても、旅に出ても楽しさが増えます。 活字を読むことがきっかけで新聞を毎日読む習慣がつきました。
お礼
知的な欲求に果てはあるのでしょうか。 あるアメリカの作家は、ある日突然、図書館にある本を全部読んでしまいたい とか、世界各国を全部見て回りたい衝動が突発的に訪れてくると言われていましたが、 知りたいという事は、人間の本能と深く結びついているのかも知れませんね。 猫について書かれた本を読むと、それを読んでいない人にくらべて、 多少猫の気持ちが解るのではないか。 本を読む理由はこんなところにあるのかなあ、とも思うのですが、 これは回答者さまと、通じるところがあると思うのですけどね。 回答ありがとうございました。
- ipa222
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脳が喜ぶから。。。 だと思います。 江戸時代末期に、外国人が日本人の読書習慣に驚いていました。 籠かきや、百姓娘なども、時間があると、懐から小さな書物を出して読んでいると。 欧米ではあり得ない習慣です。 寺子屋に通う武家の子供たちは、朝の5時とかから寺子屋の前に別の予備校のようなところに行って、さらに勉強をしていたようですね。
お礼
脳の構造がどのようになっているのかは、素人なので良くわかりませんが、 確かに言われてみればそうかも知れませんね。 読書することによって、脳が刺激され、生きていく上で必要なものが分泌されるのでしょうか。 しかし脳の構造が人類皆一様であるなら、日本人の読書習慣の異様さは どこから来たのでしょうか。わたしには、盲目的にと言えるほどの本に対する 信頼度があるように思えるのですね。 自戒を込めてなのですが、本の世界から現実を見るような陥穽に足元をすくわれる危険性は十分にあるような気がするのですが。 回答ありがとうございました。
- nekoaji
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読書は最も知的な娯楽であり、 最も高尚な精神的自慰行為である…と私は考えます。 だって手元に本さえあれば一人で気持ちよくなれるんですから。 本の内容がポルノか推理小説かはたまた学術書か、は人によります。
お礼
読書が最も知的な娯楽であるかどうかは別にしても、そのように読書されているのは 羨ましいかぎりですね。最も高尚な精神的自慰行為といえば他にもあるような気もするのですが それでも人は本を読みますね。そのあたりがどうも不思議なんですよね。 読書は娯楽から教養まで広い守備範囲をもっているのではないかと想像するのですが、 答えはこのあたりに隠されているかも知れませんね。 回答ありがとうございました。
僕の読む本は下記のようなものです。 ---------------------------------------- - 気分転換できるから読む本 (恋愛小説、エッセイ、笑い話) - 自分を奮い立たす本 (ノンフィクション: 職人の話しだとか過去の偉人の話し) - 知識を得るための本 (仕事関連の技術書、理論研究に関する本) ---------------------------------------- 無理して面白いと思わない本は自分の仕事に関連しない限りは 読まなくてもいいと思います。無理矢理読んでエセ読書家きどり になるよりは自分の好きな本を一文字ずつ味わって読んで 人生豊かにした方がいいです。 読書の面白さがわからないけど読んでみたいなら、短編ものを 読まれるのはどうでしょうか?
お礼
エセ読書家とはどんな人のことを言われているのかうまく掴めないのですが、 たぶんわたしも、その読書家のひとりではないかと、危惧いたします(^_^;) へたな質問文だったので、多少誤解もあったのではと思いますが、 文中の苦行者とは、ただ苦を受けているというよりは、あえて苦を受けている という意味で使用したのですが表現がまずかったようですね。 ただ自分の興味の対象である面白い本を次から次へと読み漁っていく時期もあれば、 自分にとって、この本はどうしても読んでおきたいと思う本に出会う時期もあるのかも知れません。 なぜ無理して読まなければいけないの、と疑問に感じられるかも知れませんが これはもう一種の義務感のようなものではないでしょうか。 そこでなぜ人は本を読むのだろうか、考えてきたわけです。 回答者さまの読書経験を読ませて、今が一番読書の楽しい時期なのかなあ と思い浮かべたりします。 お奨めに従って短編も読んでみようと思います。 回答ありがとうございました。
人に聞かれたとき、あ、それ読んだよって答えるためと言った人がいるらしいです(出典は忘れました)。なんか面白いですねー。 私自身は、いろいろです。好きな作家のは全て読みたいし、時間つぶしのときも有るし。
お礼
>人に聞かれたとき、あ、それ読んだよって答えるためと言った人がいるらしいです 正直な気持ちを言われているようで、好感をもったのですが、 こんな考えで本を読むのは、不道徳なんでしょうかねー(笑 他人がどんな本を読んでいるかは、興味が尽きないですし、知的な欲求は 他者からの影響が多分にあると思うのですが。 同時代に生きていることを確かめたい気持ちもあるかも知れませんね。 この考えばかりでは、なにか間が抜けているかも知れませんが、 本を読む動機のひとつには違いないと思いますけど。 時間つぶしに本を読まれると答えられる方結構多いと思うのですが、 その気持ちあまり理解できないのですよねー。なんかテレで言っているのなら よーくわかるのですが(笑 回答ありがとうございました。
- adaypajimy
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そういう一般的な考えを推し進めた考えですが、得た知識の先には、自分の目標があります。こういう考え方も持っている人間は、結構多いのではないでしょうか。 本を読む事は技術書なり小説でもそうですが、読書は経験を先取りできる行為です。心が豊かになり、自分が生きる方向性や、考え方が広くなる…そういった考え方の最終到達地点は自分が望んだ未来がある。 漠然と好きだから面白からという嗜好品でしかない人も多いでしょうが、心の指針が欲しい人はそれを得る為に本を読みますね。それは目標達成の為の読書になります。どちらが正しいというわけではありませんが、私は後者の立場で(もちろん楽しみながら)読書しています。自分の人格を高める為ともいえるでしょうか。
お礼
自分の人格を高めるために、読書されるわけですね。 その前向きな姿勢には頭が下がりますが、かってわたしも回答者さまと同じような考えで読書していた時期があったように思います。 しかしそれは遠い昔の話で、自分の人生にとって、本がほんとうに信用にたるものだろうか、という疑問を持ち出してから、この考えはどんどん下降していったのではないでしょうか。 また別の言い方をすれば読書する心の余裕がなくなり、徐々に堕落していったとも言えますね(笑 かっての読書に対する真摯な気持ちを思い出しました。 回答ありがとうございました。
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お礼
人はなぜ本を読むか、の答えは、人はなぜ本を書くのか、のなかに あるのかも知れませんね。 もう一人の自分の為にか、あるいは他者に理解してもらおうという気持ちからか、 その一行のために書き続けられてきたものが本であるなら、 読者はその一行をひたすら求めて、本の世界を彷徨っているのでしょうか。 自分にとって素晴らしい本にめぐり合うことか、難しい所以ですね。 お礼が遅くなりました。 回答ありがとうございました。 (ときどきコメント欄立ち寄らせていただいてます(^^))