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勝てば官軍、負ければ賊軍
「勝てば官軍、負ければ賊軍」などと申しますが、 確かにそうだと思います。 しかし、そうでもなかった事例って、日本史、世界史の中でありますでしょうか? 「負けるが勝ち」とも言いますので・・・・ そんな事例をご存知でしたら教えて下さい。
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軍事的な勝敗ではないですが、中国の春秋戦国時代の話で、斉の桓公と魯の曹沫(そうかい)の故事があります。 (史記・刺客列伝第26)。 当時、斉に圧迫され領土を削られていた魯の荘公は、遂邑(すいゆう)という町を献上することで屈辱的な講和を結ぶことになり、その儀式への出席を余儀なくされます。 このとき、曹沫は斉と三度戦って破れるという立場にあったために一身をなげうって領土の回復を図ろうと考えました。そこで、儀式を行う壇上で桓公に匕首(あいくち)を突きつけ、奪われた魯の領土の返還を迫ります。 桓公と宰相の管仲はその要求を飲まざるを得なかったのですが、解放された後に桓公は、魯の荘公と曹沫を捉え殺そうとします。しかし、管仲に止められ、脅されて結んだ約束であったにも関わらず、領土の返還を実行します。 これにより、斉の桓公は征服した土地を放棄するかわりに、「信義に厚い君主」と言う国際的な信用を得ることができ、春秋時代の最初の覇者として周から認定を受けるようになります。
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No.1の方は、勘違いされているようですね。 三国干渉は、日清戦争の後の出来事で、「ロシア憎し」ということで日露戦争につながる出来事ですね。
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ありがとうございます。 三国干渉で遼東半島返還させておきながら、 三年後にはロシアが奪っちゃうのですよね。 これは誰がどう考えても「ロシア憎し」ですね。 (あくまでも「当時」の話です)
- tokimune
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ドイツとソ連が戦った「スターリングラードの戦い」 ソ連が敗走を重ねスターリングラードまで逃げて 着ましたが、ロシアの冬の過酷さを認識していなかったドイツの深追いによりドイツ軍は全滅しました http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%a5%b9%a5%bf%a1%bc%a5%ea%a5%f3%a5%b0%a5%e9%a1%bc%a5%c9%a4%ce%c0%ef%a4%a4&fr=top
お礼
ありがとうございます。 これって、ナポレオンのときもそうでしたよね。 ロシアの伝統的戦法なんでしょうか。 (敗走=戦略的な撤退?)
- nemosan
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「官軍」とは「天皇の軍団」という意味。 足利尊氏は後醍醐天皇と戦ったので、 勝っても賊軍という評価では?
お礼
ありがとうございます。 確か、この人は戦前と戦後で大きく評価が違うのでしたっけ。 太平記、昔読みましたが内容忘れてしまいました。 読み返してみます。
- PENPENMAKKY
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ある意味、第二次世界大戦後の日本です。 負けたのに勝ちです。 あの戦争の大義名分は東南アジアを解放し、アジア経済圏の確立でした。現在を見れば正にその通りになっています。
お礼
ありがとうございます。 「負けるが勝ち」の事例になりますね。 しかし、それ以来ずっと日本は「賊軍」ですね。 (敵国条項ってやつ)
- been
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戦争とは、血を流す政治である、といわれています。話し合いで決着がつかない政治問題を実力で解決する方法、という意味です。「勝てば官軍」というのは、たとえ理屈に合わない主張でも戦争に勝てばゴリ押しできる、という意味でしょう。ご質問を言い換えれば、戦争で勝ったのに政治目的を達成できなかった(戦争で負けたのに政治目的を達成した)事例ということでしょうか。 戦争は実力勝負なので、勝者がその主張を実現できなかったケースは稀ですが、我が国の歴史上、戦争で勝ったのに政治目的を達成できなかった事例があります。日露戦争後の、有名な「三国干渉」です。ロシアには勝ったものの、他国の介入により戦勝国として得られるはずであった利権を失った事例です。
お礼
ありがとうございます。 この時は、ロシア・ドイツ・フランスは、戦わずして既に官軍であったわけですね。 当時の国民の悔しさ分かるような気がしますね。 「臥薪嘗胆」でしたっけ。
お礼
ありがとうございます。 こんな事例をまってましたっ!という感じです。 史記って、色々なエピソードがあって面白いですね。 うまいことやる人は、勝とうが負けようが官軍になれるってことかな、強引?