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存在の自信
皆さんは、自分が存在している自信がありますか? 物理的なことではなく、自分の意識のようなものの存在に自信があるのか聞きたいです。 私は、自分の意識の存在を信じたいんですが、吹けば消えるような自信しか持つことができません。 なにか意識とは違う関係の無いフワフワしたところで考え行動している。(酷い表現ですいません。) そんな気がすることがあります。もっと言えば全て行動は、反射のような気さえします。 自分の存在に自信がある方、その源はなんなのでしょうか?
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「自信がない」と思っている自分は確かに存在しています!深く考えすぎてはいけません。いま、ここに、感じている自分というものは確実に存在します。「自信がない」という「思い」そのものがあなた自身なのですから。 「自分の存在に自信がある方、その源はなんなのでしょうか?」とのこと、 私の場合はデカルトに教わりました。
- chironero
- ベストアンサー率11% (23/200)
あなたは自己の生存領域の中でのみの思考しかされていないようですね。 「今」あなただけが生き(存在)ているのではありません。あなた以外の「存在」があって、初めてあなたの「存在」が認識される訳です。 従って、今回、あなたが質問し、こうして回答が寄せられる事そのものが、あなたの「存在」を如実に示しているではありませんか。 「存在」に自信があるや否やは、あなた以外の「存在」との中で切磋琢磨し、あなた自身が培って行くもので、他人からとやかく云わるものではありません。
- morsan
- ベストアンサー率52% (9/17)
私は45歳で、心理領域の専門家でもありますが、自分が存在している自信は未だありません。 もし「自分の存在に自信がある」と言える人がいたとしたら、それは自分の仕事や能力という外的なものに対する一時的な満足感に過ぎないと思います。 本当の自信(という言葉が適切かどうかはわかりませんが)とは、欠点も含めたありのままの自分でいいんだなと、心から実感できる心境になれた次元のことだと思います。 心理学にも様々なとらえ方や領域がありますが、河合隼夫著の「ユング心理学入門」を一度読まれてはいかがでしょうか?人間が、どのような道筋を辿りながら、自己(Self)への道を歩んでいくか、参考になるかと思います。
- kaburaya
- ベストアンサー率22% (12/54)
正直ありません(笑) 私は心理学のことも哲学のこともわからないただの高校生です。 でも中学生の頃、本当にその手のことでよく悩みました。 例えば、自分で自分に触れてみる。 もちろんさわった感覚もさわられた感覚もある。でもそれが幻覚ではないと誰が言える? 今まで生きた記憶が一応ある。 でもそれが本当にあったことだってどうしてわかる? 一秒前が一応ある。0.1秒前も、0.01秒前も一応ある。小数点の後に0は無限につけられる。 でも0秒前なんて言うのはないだろう? それならば、「今」というのは、実は「過去」が作り出 す幻影のようなものなのかもしれない。 そして、「記憶」が頼りにならないものである以上、「過去」の存在はどこまでも疑わしい。 それなのに、自分は「今」ここに「存在」しているんだろうか? 世界は本当に存在するんだろうか? ただ、存在すると私が思っているだけじゃないだろうか? 全ては自分の意識の中でのことなんではないだろうか? そもそも、その意識というものはなんだろう? 誰かが「我思う故に我有り」と言ったらしい。 でもその「意識」そのものが、幻影なのではないだろうか? それでは「自分」とはいったい何なのだろう? 本当に際限なく悩みました。 結論は今も出ていません。けれども開き直りました。 悩んだところで自分にわかることは何一つない。 それならば、とりあえず「存在している」と仮定して生きるのが一番簡単で理にかなっている、と。
- vagabond_0710
- ベストアンサー率26% (68/257)
寝ているとき、僕は意識がありません。つまり、無意識な状態です。そのことを考えれば、死んだらこんな感じなのかなと思います。また、自分の意識の存在を信じていいのか、わかりかねる気持ちもわかります。 全ての行動は、反射のような気さえするということは、受身だからそう言われるのだと思います。それとも、神がインプットした範囲から出ることがないという意味での反射でしょうか。蟻が自分の遺伝子に沿って生きているように、人間も…。そういう考え方もあります。それは置いときますね。神とか言ってるじてんで答えはでないと思うし。 自分の存在に自信がある。その源は、生きている実感があるからです。自分の意志で何かに挑戦し、そこで壁にぶつかり、それを乗り越えようと工夫し、努力し、失敗を重ねる。その過程にこそ、生きている実感を感じます。生きるというエネルギー、そのバイタリティー。反抗ですよね。憤りでもいいと思います。自分が正しいと思ったことを信じて実行する。自分こそが時代を築く。そう意気込んで努力する。自分で自分を信じないと、何もできなくなってしまうから。壁がでかければでかいほど、自分の非力さを自覚し、悔しさを感じ、それを乗り越えたいと反抗する。そこで僕は自分の存在を自覚するんです。自分がやらなきゃ、誰がするんだろう。そう思う僕は、自然と自分の存在に自信があります。自信があると同時に、無意識のことも知っているから、いつ存在がなくなってもおかしくないことも知っています。それでいいんじゃないでしょうか?
無意識は普通の状態では、意識の存在を間接的にしか認識できないようです。 当方は無意識に自分自身を見つけてもらっており、いまやこの手の疑問は感じません。 この手の疑問はおそらく無意識から発せられたサインでしょう。 自らが人間であることに自信を持つと一助となります。 この手の質問は哲学分野のほうがよい回答が得られてでしょう。 仏教関係の本を読み漁ると、この手の疑問の答えが見つかります。
- Yatobi
- ベストアンサー率42% (120/285)
「自分が自分の存在を認識し得る事」ですね、小生の場合。 まあ絶対神みたいな存在を仮定し、その視点から見たとすれば、アリンコかミジンコみたいな物かも知れませんが。 とはいえ、精神なんか肉体の機能だと思ってます。 故に物理的存在に付帯する物だという意味で、自己の物理的存在を持って存在証明してる所もありますか。 物理的な存在証明は小指をタンスの角に引っ掛けるまでも無く、そこに自分の肉体があることを五感によって認識できますし。 その一方で不可知の情報を自身が知りえない事も、逆説的に自己証明たりえると考えます。 自分が無二一意の存在だからこそ、自分の知るはずの無い情報は知らない…故に自分は自分である訳で。 まあたまに「何でこんな事知ってんだ、俺?」ってコトも無い訳じゃないですか、内容的には例え何処かで聞いていても不思議じゃない内容ですから、気にもなりません。