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坂本竜馬の良いところは?

題名の通りです。 どんなささやかなことでも良いです。 こんなやり方が良いとか、坂本竜馬について詳しく教えて下さい。 どうか宜しくお願い致します。

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  • ebichu
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回答No.1

先程はどうも。(^^; 補足はメールされないんですね~。知らなかったです。 坂本竜馬に決めたんですか? 坂本竜馬は、ファンが多いので、 ちょっと検索すれば、いろいろな情報が得られるかと思います。 http://ryoma.ktplan.ne.jp/index.html さらっとしかみていませんが、 坂本竜馬が好きな方のサイトのようです。 情報量も多いみたい。 歴史上の人物の良し悪しなどは、 その人物への事実だけへの誠実な評価だけではなく、 自分の思い入れというのも入れていいような気がします。 坂本竜馬を好きになりたいなら、 「竜馬がゆく」は読んで損は無いと思います。 歴史が好きじゃない私でも楽しく読めました。 勉強としてまとめるのであれば、 自分が興味を持てる人物を調べた方が面白いと思いますよ。 マニアックな教師だとしても、きちんと調べまとめてあれば、 ちゃんと評価してくれるでしょう。 もし評価してもらえなかったら、それはその教師が悪いだけ。 夏休みの宿題は直接内申書などには影響しない気がします。 内申書は中間期末の定期テストがメインで評価されているはず。 かといって、手抜きもいかんでしょうけどね。 まあ、がんばってください。(^^)

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  • reny
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回答No.8

坂本龍馬の良いところというか、すごいなと思うのは、同時代人にない「交易」と言う視点を通して行動していたことだと思っています。 一族に才谷屋という豪商がいたのも原因でしょうが、これは織田信長にも共通していて、農民系の日本人にはない視点だと思います。 また、あの時代にアメリカの共和制を政体の理想に掲げていたのは、ほとんど龍馬一人です。 土佐出身のジョン万次郎の持ち帰ったアメリカの情報を、土佐にいながら若いときに吸収できたことが、その後の勝海舟(この人は実際にアメリカに行っていますから)との接点になり、可愛がられた理由でしょうが、あの時代に前述のような他人に知られれば殺されるような理想を掲げ、その実現に向かって力の限り行動した勇気に感動します。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

敵味方分け隔てなく未来に向かった稀有な人材。 生まれや身分にこだわらず、あの当時外国に行ったこともないのに、世界を見据えることが出来た人間。 それ故に他人から妬まれたんでしょう。 後世彼の偉大さは表立って宣伝されてません。 補足: 織田信長は斉藤道三との出会い、 坂本竜馬は勝海舟と出合った。 ・・・天才は天才を知る。

  • VL590AD
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回答No.6

上記の皆様のご意見で十分だと思いますが、蛇足ながら坂本竜馬好きとして書かせていただきます。 個人的に彼が同時代の人間と比してずば抜けているのは 「視野の大きさ」 ではないかと思います。西郷・大久保や桂・高杉といった連中があくまでも「自藩尊重」を貫くなか、竜馬のみは「世界の中の日本」という視野をもち「土佐人」としてでなく「日本人」として幕末の情勢を見ていたことが大きいと思います。 このことが彼をして「薩長秘密軍事同盟」を結実させ、「大政奉還」を成功せしめた理由ではないでしょうか(この二つの施策は竜馬の独創ではなく、幕末一部ですでに施策として存在していた)。 彼の視野の大きさを表すエピソードとして正しいかどうかわかりませんが、幕末もっとも過激といわれ、共和制を唱えた思想家横井小楠でさえ竜馬と会ったあと 「好男児愛すべし、しかし乱臣賊子になるなかれ」 といったといいますから…その視野の広さは恐るべきものだと思います。 このことは彼が生涯師としてあがめた「勝海舟」の影響が大きいでしょうが、彼自身の出生も関わっていると思いますね。 ……とこれ以上はいくらでも書けそうなのですけど、話が脱線しそうなので、駄文失礼しました。 PS「竜馬がゆく」は自分もお薦めします。

回答No.5

剣の腕が立つ以外はごく平凡な少年だった竜馬が江戸で開眼し、組織にとらわれない生き方をしながら日本を動かす姿は私の理想です。 竜馬はあの時代に何度も脱藩し、今で言うベンチャービジネスをはじめたり薩摩、長州の民間大使(?)となったりとその行動力は敬服に値します。彼の伝記を読めば何度も窮地におちいりながら暗さがないんですね。竜馬がゆく、の検証については以下のサイトが参考になるかと思います。

参考URL:
http://ryoma.ktplan.ne.jp/
回答No.4

倒幕の後、西郷や大久保をはじめとする倒幕功労者が集まり新政府におけるそれぞれの役職(地位)を決める席で、最大の功労者とも言える竜馬が新政府には仕えず、 海援隊で貿易事業をやると言ったそうです。 望めばいくらでも重要な役職につくことができるのに、見向きもしなかった竜馬を見て、そばにいた後の外務大臣・陸奥宗光は後年「西郷や大久保が小物に見えた」というようなことを言っています。 土佐の「郷士」という下級武士の家に生まれ、幼い頃から藩内ではかなり酷い扱いをされ、悔しい思いもしています。あの時代にそのような環境で育った人間が、権力や地位に見向きもしないというのはすごいと思います。 海援隊で貿易事業というのも当時としては時代の先を行っていますし。 話は遡りますが、勝海舟の影響で尊皇攘夷から開国派へ 自分の意見に固執せず持論を180度転換した点も、当時の武士としては異質な、柔軟な頭の持ち主だと思います。

  • enigma77
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回答No.3

頭は悪くて、オッチョコチョイですが、実行力があることは評価できますね。 鎖国論者の彼が開国論を唱える様になったのは、勝海舟を殺しにいった時、逆に説得されて開国論者に転向してからです。 いわば、彼は勝海舟の手足となって働いたのです。

  • annman
  • ベストアンサー率24% (44/178)
回答No.2

専門的な答えはほかのかたにまかせて、私は個人的な意見を。彼は私の一番すきな歴史上の人物なので。 彼はあの時代に自分の足で日本中を駆け回り、世界にはすごいものがあるから日本は鎖国してないで交流すべきだと考え、憎みあっていた藩同士の仲をとりもりでも自分は明治維新のメンバーにはならないといった人です。いろいろ本を読みましたが結構難しく、私の中での解釈ですが。きたなくしていた大男のようですが、みんなに好かれていたようです。姉の乙女のことや奥さんとの話も好きです。