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殺人教師

スポーツ(含む武道)の指導に暴力は不可欠なのでしょうか?日本のスポーツ指導はとかく軍隊形式の根性論がいまだにまかり通っているように思います。本日のニュースによると中学1年生の尊い命が奪われました。このようなことが許されるのでしょうか?また、こうした傾向は今後改善される見込みはないのでしょうか?スポーツ指導者は何を考えているのでしょうか?子供にスポーツをさせるのが恐ろしいです。 ちなみに私も若い頃はいろいろな武道をやっていましたが幸い良き指導者に恵まれたせいか少々きつい指導はありましたが、死ぬような目にあわされたことはありません。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050803-00000004-yom-soci

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  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.9

正しい暴力なんてありません。正当防衛、やむを得ず身を守る場合だけが間違っていない暴力ですが、これも限度は当然あります。教育的暴力などありません。 正しく有効な叱り方は確かに難しいです。正しく有効な褒め方も同様に難しいです。でもそれをなんとかしようとがんばっているのが本当の教師です。 それなのに暴力や体罰を平気でやる教師が一人でもいれば、そういう努力が踏みにじられます。体罰をする教師は忍耐できない子供を暴力で押さえつけているだけです。無能なんです。ちゃんと教育する能力がないから、暴力や体罰にはしる。そうじゃない正しい叱り方をちゃんと勉強しないのは無能と怠惰でしかありません。 その上、そういうのに慣らされた生徒は、暴力的でない教師を甘く見るようになることもあります。そうなったらやくざの力関係とかわりません。 さらに、人間である限り常に我慢なんかできないから、暴力によって抑えられたものは、他のところで爆発します。結局他の人間に理不尽に発散させることになります。とりわけ弱いものに。なぜなら、強いものによって抑圧された、という感じ方は、弱いもの相手なら、好きにしてもいい、という考え方と裏腹だからです。いじめを生みます。 繰り返しますが正しい叱り方が必要なのであって、暴力が必要なのではありません。

chatora777
質問者

お礼

ご回答ありあとうございます。 >正しい暴力なんてありません。 >正しい叱り方をちゃんと勉強しないのは無能と怠惰でしかありません。 >正しい叱り方が必要なのであって、暴力が必要なのではありません。 全く同感です。いやしくもプロの教育者であるならば(特に難しい年頃の子を対象とする初等、中等教育に携わる者であるならば)、最新の教育学的知見や研究に基づいた教育法を常に学ぶべきです。自己流の経験や独善を過信しての教育は迷惑ですし社会的害悪とも言うべきです。まして精神修養の指導者でもあるべき武道家とあらばなおさらです。

その他の回答 (10)

  • shineji
  • ベストアンサー率14% (16/114)
回答No.11

子どもが指導者を尊敬するのに必要なのは、暴力ではありません。 実績・考え方・態度・実力などの魅力ではないでしょうか。 それがない、自信がないから暴力で子どもを引っ張ろうとするのだと考えます。 子どもに尊敬され得る、魅力を持った人間になりたいと思っています。

chatora777
質問者

お礼

ご回答ありあとうございます。 全く同感です。暴力で子供を服従せしめようとする者が良き指導者とは到底思えません。教育者たる者もっと己の人格を磨くべきだと思います。昨今おかしな教師の奇行が目に余ります。

chatora777
質問者

補足

一応この辺で質問を締め切らせて頂きます。皆様のご回答たいへん参考になりました。この場をお借りして深く御礼申し上げます。 また、今回亡くなられた生徒さんのご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の方々にはお悔やみを申し上げます。

  • seducer
  • ベストアンサー率32% (87/265)
回答No.10

体罰と暴力、難しい問題だとは思います。 しかし、やはり教師側が未熟な為に個人の限界を超えた「しごき」が 事故の原因でしょうね。 殺す気は勿論なかったのでしょうが、結果的 に死ぬかも知れないという事が理解できないのは本人が未熟なのです。 また、私も昔幾度か体罰を受けても自分が悪かったのだと納得できる ものもありましたが、明らかに叱るというよりは、本人の怒りの解消の 為の体罰には心底腹が立ちました。(卒業時、仕返ししましたが) どうも愛情故の体罰と、己の怒りの矛先を向けただけの暴力は別物だと 思われます。 それからスポーツ指導者の精神主義はやめてもらいたいものです。 物資の不足を根性で補わせた旧軍隊が圧倒的物量の前に歯が立たなかった ように、所詮根性などと言う目に見えない精神主義など無用の長物です。 どんなに根性があっても間接は逆に曲がらず、致命的な打撃を受け止める 事など人には出来ないのですから。 科学的なスポーツ理論に基づいた指導者を増やして頂きたいと思います。 どうも名選手、必ずしも名コーチならずと言う例が多い気がしますね。 一案ですが、そのスポーツの実績だけではなく、人体に精通した学問を 学んだ者以外はコーチの資格を与えない方が良いと思うのですが・・・。 でないと、スポーツが好きな子供が減るのではと心配になりますね。

chatora777
質問者

お礼

ご回答ありあとうございます。 >愛情故の体罰と、己の怒りの矛先を向けただけの暴力は別物 全くその通りだと思います。この様な暴力は根絶すべきだと思います。 >スポーツ指導者の精神主義はやめてもらいたいものです。 >科学的なスポーツ理論に基づいた指導者を増やして頂きたいと思います。 私も同感です。何の根拠もない独善的な精神主義をいたずらに振り回し、前途ある子供を死なせるようなスポーツ指導者などもういりません。精神主義指導の連鎖を断ち切り科学的、合理的根拠に基づいた指導者が増えることを願います。

  • NAIROBI
  • ベストアンサー率20% (236/1168)
回答No.8

#3です。 議論になりかねませんが、なぜ「古き良き時代」に戻れないのかが皆目分かりません。少子化はむしろラフに育てつつ目を配るには適していますし、引き合いにウサギ跳びを出されていますが、私は現代教育(ウサギ跳びを否とすることも含め)否定しているのですからこの場合参考にはなりません。水分の摂取についても然り。 我々の頃は練習開始後終了までは全面禁止でしたが、死人はおろか体調不良者だって見たことがありません。精神論に過ぎないとしても、それも踏まえた上で昔の方が正解で、不可逆ではないと思います。限界に耐えかねて先輩の目を誤魔化しつつドブの水を舐めるのも、練習後のコカコーラにカタルシスを求めるのも大事な経験、精神修養です。 更に最近は紫外線がどうのこうの言い出しましたが、地球上の生物で地表で活動している物で、太陽紫外線を浴びることが前提になっていない生物などいません。オゾン層が既に用を為していないと言うのであれば話は別ですが、「太陽光線はできるだけ浴びるな」などとまことしやかに主張する社会が正しいと言えますかね?その内屋外スポーツや体育は禁止と言い出しかねませんよ。マジで。 さっきのも今回も極論が故に「自信なし」にしましたが、本人は確信しております。

chatora777
質問者

お礼

度々ご回答ありあとうございます。 >なぜ「古き良き時代」に戻れないのかが皆目分かりません。 つまり、昔の子供と今の子供とでは全く別物だと言うことです。教育の対象たる子供自身が変化しているのに(あるいは子供を取り巻く社会環境も)、教育方法が昔のままで良いはずがありません。また科学的に誤りであると判明した方法(兎跳びは一例にすぎません)をなぜ改める必要がないのでしょうか? >我々の頃は・・・死人はおろか体調不良者だって見たことがありません。 それだけ今の子はひ弱だということです。ひ弱な子に昔のやり方をそのまま適用して現に今の子は死んでいるではありませんか。 >その内屋外スポーツや体育は禁止と言い出しかねませんよ。 場合によっては(科学的因果性が証明され、もはや野外が危険であると認識されるに至れば)当然その様なことも可能性としてはありえます。 >・・・不可逆ではないと思います。 確かに昔の良い点で今は失われてしまった様な部分で且つ現代にも妥当すると思われるような点は皆無ではないでしょう。私も可逆性を全面否定するものではありません。良い点はむしろ先祖帰りすべきです。

  • JP002086
  • ベストアンサー率35% (1568/4470)
回答No.7

色々な問題が関わってくる話だと思いますので、こんな意見もあるという事で 読んで下さい。 武道をやっていたと言う事ですので、こまかな事は言いません。 私が思うに、「最近の指導者(親自身含め)は、限度を知らなすぎ!」と 思っています。 これは、根元を深く探ると「家庭内教育の不出来」から来るものだと思います。 子供に対して「叱る」と「怒る」の違いを、教えない?(体験しなかった?) 親が増えた影響で、「軍隊形式=暴力行使」として誤認する人達が、 大半を占めるようになった表れでもあると思うのです。 指導員に対して「叱る」「怒る」の区別や「罰」の方法等について、 指導&実体験させなければならない時代になって来たのではないか?と思っています。 例えとして、不適当かも知れませんが「子犬が複数匹生まれた場合、力の限度については、小さな頃のじゃれ合いから相手を噛む行為によって、覚えていきます」 その時の親犬に学ぶ事も、人間として必要なのではないでしょうか? ご参考にどうぞ

chatora777
質問者

お礼

ご回答ありあとうございます。 >「最近の指導者(親自身含め)は、限度を知らなすぎ!」と思っています。 同感です。一言で言ってしまえばそのようなことになるでしょう。いやしくも教育者たる者がちょっと前までは小学生だったような子供を捕まえて死ぬようなめにあわせておいて何が教育でしょうか?何が命の大切さを教える教育でしょうか?命を軽んずる教育以外の何物でもありません。

  • Oni-COM
  • ベストアンサー率28% (51/177)
回答No.6

#2 Oni-COMです。 私は今32歳ですが、20~27までの間アメリカに行ってました。 向こうでは暴力に対する罰則が厳しく設けられており、日本で「DV」という言葉が出てくる前からヴァイオレンスにすごく敏感でした。 しかし教育に関しては、日本と欧米と教育方針が違いますので一概には言えませんが日本は「協調性重視」、欧米では「個人の能力重視」ですよね。 個人能力を引き出すのに体罰や叱責など必要ありません。褒めてあげる事が重要なのです。また「協調性」を重視するのに褒めるとあぶれる人間が出てきます。 結論としては今の日本は本当の意味での「自立」が求められてきた結果、教育に関しても社会に関しても変革が生まれているのでしょう。もうさすがに木刀、竹刀を持って「この非国民がっっ」とかいう先生はいませんが、個人の能力に合わせて褒めたり、叱ったり出来る教育者育成が必要ですよね。確かにこれを考えずに、力いっぱい手をあげてしまった教師は指導者として失格です。 もう気合とか頑張るとかいう指導じゃ誰も着いてきませんよね。 会社でも最近部下育成方法について議論される事が多いです。力で服従させようとする上司もいれば、頭を使ってスマートに敬服させる事の出来る上司もいます。私も後者になるよう努力しています。

chatora777
質問者

お礼

度々ご回答ありあとうございます。 >教育に関しては、日本と欧米と教育方針が違いますので・・・ 確かに文化的な違いはあると思います。しかし、少なくとも時代の流れとして暴力はなくす方向へ向かうべきだと思います。殺人の容疑者取調でさえ今時拷問が許されるはずがないのですから。 >もう気合とか頑張るとかいう指導じゃ誰も着いてきませんよね。 同感です。意味のない暴力、教育的効果が皆無であるような暴力は根絶すべきです。私も心は武道派ですが後輩や部下の指導では理屈で勝負しています。

noname#12591
noname#12591
回答No.5

No1です。 質問者さまは、生徒の事ばかり憂えておいでのようですが、ニュースには体罰と同じくらい、子供たちが加害側の生死にかかわる事件を報じています。先生も重傷を負ったケースもありました。 今の子供たちは、守る力が弱く、人を傷つけることで自分を守ってるような気がします。 私は、どちらが悪いとは思いません。 確かに死ぬまで殴るのは良くないですね。でも、この子は殴られている最中に死んだわけではなく、先生に殺意があったとも思えません。 客観的に見ると、十分「教育」の範囲内の暴力と考えます。 子供たちは、もっと誠実に大人の言葉に耳を傾けることが大事だと思います。 理由もなく体罰を行う先生はそんなに多くはないですよ。 確かに行き過ぎることもあるかもしれませんが、きっかけを作るのは生徒だと、私は思っています。 親はもっと(悪さをした)子供を殴るべきだし、そうして子供は強くなると思います。そうして、善悪を覚えるのだと思います。私は女の身ですが、幼少の頃から父に大変殴られて育ちました。理不尽なこともありましたが、それでも目上の者を敬わなければいけない、ということを覚えました。 今の子供は、「目上の者」であるはずの親が下に回ってしまっているから、子供は先生を敬わないのではないでしょうか。

chatora777
質問者

お礼

度々ご回答ありあとうございます。 昨今の少年による凶悪犯罪の増加は私も承知しておりますし、適度な体罰は時には教育上必要だとも思います。しかし、度を超した体罰はもはや教育に名を借りた虐待以外の何物でもありません。虐待やDVは根絶すべき蛮行であり、教育や躾と混同しないでほしいです。 >幼少の頃から父に大変殴られて育ちました。 だからと言ってそれが正しい教育方法だと断じてよいものでしょうか?暴力の連鎖、虐待の連鎖は断ち切られるべきことだと思います。殺意さえなければ何人殺しても教育者として許されるのでしょうか? 繰り返しますが私も体罰を全面否定しているのではありません。死なせる程の暴力に疑問を感じているのです。

回答No.4

実に悲しい事件です。 結果的に死んでしまった事に対し許される事はないと思います。 ただ「軍隊形式の根性論」言いたいことはわかるような気もしますが、今は少ないと思います。 私は「野球」をやっていましたが、練習の方法や雰囲気など、かなり自分の現役時代と違っています。 気になるのは、今回中学生というところに少しひっかかるところがあります。 もちろん「蹴った」という事実は被疑者も認めていますから、その蹴り具合なのかもしれませんが、 死ぬほどの蹴り方というのが想像できません。 この子は120KGあったというのですが、その体格とは別に中身はまだ子供だったのではないかと思うのです。 以前、ニュースでも子供の体力が落ちていると言われてましたが、 一見鍛えている子も中身はまだまだ鍛えられていない。 これからの指導者はその点も頭に入れてほしいと思います。 亡くなられた子のご冥福をお祈りします。

chatora777
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >「軍隊形式の根性論」言いたいことはわかるような気もしますが、 >今は少ないと思います。 私もそう思いたいです。教頭の弁によると「二度とこの様なことがないようにしたいと思いますので、どうかご勘弁下さい。」とのことですが、我が子を死なされて勘弁できる親がいるでしょうか?日本の教育者の将来が危惧されてなりません。

  • NAIROBI
  • ベストアンサー率20% (236/1168)
回答No.3

私は反対に(今回の犠牲者ではなく)最近の子供全体の軟弱化を危惧しております。長年イイコイイコされて育って来て暴力を振るったことも受けたこともない子供をいきなり殴る蹴るすれば死にもするでしょう。 産まれたら無菌状態に置かれ、アレが危ないこれが危険だ、それはアレルギーだとほとんどの子供が育てられ、そうしたくない親もいるけれど選択肢がない。で、そのまま年食って死ぬまでやんごとなきまま過ごせれば問題ないがそんなことはあり得ず、たまたま旧態依然の頭の悪い指導者に出会っただけで死んでしまうことになる。念のためですが、私は犠牲になったお子さんや親御さんを非難する意図は全くありません。責めているのは現代教育のあり方です。 蛇足ながら我々の時は武道に限らず運動部は弱小であっても真剣であり、コーチや先輩のしごきは当たり前でした。一方聞くところによると近所の中学では運動部でも後輩は先輩に対して敬語も使わず、しかも先輩はそのことに怒りもしないそうです。世も末ですね。殴る教師、殴る親、殴る先輩、殴る近所のおっちゃん(笑)。一見とんでもない様ですが今の子供と向かいの子供を比べるとどちらが正しかったのかは一目瞭然です。戻しませんか?

chatora777
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >最近の子供全体の軟弱化を危惧しております。 私も同感ですが、日本全体が貧しく子供も多かった昔と豊で少子化の現代とは全く時代が違いすぎます。時代の変化に伴って教育の在り方も当然変化すべきだと思います。昔の教育方法が現在もそのまま通用するとは思えません。例えば昔は当たり前だった兎跳びは今は不適切な運動方法とされています。古き良き時代・・・、しかし、もはや昔には戻れません。

  • Oni-COM
  • ベストアンサー率28% (51/177)
回答No.2

こんにちは! 自分も柔道部出身でしたが、体罰は当たり前でした。 自分が悪いという気持ちがありましたから、これといって 腹を立てたりというのはありませんでした。 またこの事件に関しては検視結果が出ていませんので この顧問の体罰が直接的な死因になったという可能性は ないのでまだ尚早ではないですか?

chatora777
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >この顧問の体罰が直接的な死因になったという可能性はないので >まだ尚早ではないですか? それは私も認めます。しかし、体罰の事実は認めているし、ここで私が問題にしたいのは法的な因果関係が云々ではなく、教育者としての指導のあり方です。欧米ではもっと科学的なスポーツ理論に基づいて指導が行われています。道徳的な指導とスポーツ指導を混同して、いたずらに子供を死ぬような目にあわせることがいやしくも先進国の教育者がすることでしょうか?

noname#12591
noname#12591
回答No.1

私の母校の野球部の監督も結構殴ったりありました。 でも、体罰とかは思いません。そのお陰で、高校野球で常に上位にいたんですから。 その監督は、3年前、殴ったことで、殴られた生徒の親から苦情が来て、養護学校に飛ばされました。その後の野球部の成績は無残なものでしたよ。 思うに、暴力は今も昔も変わらないと思います。 変わったのは生徒でしょう。 今の子供たちは軟弱な気がします。 だから暴力に耐えられないのではないでしょうか。

chatora777
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >今の子供たちは軟弱な気がします。 それは私も認めます。しかし、死ぬような目にあわせて(死の危険にさらされるような体罰)、もはや教育と言えるでしょうか?今時の子のいじめが相手が死ぬまでやるのと同じように今の教師は体罰の加減ができないのではないでしょうか? 殺された本人は勿論、その親御さんの気持ちを考えるとやりきれません。

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