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最善の選択をする方法
生きている人間は、思考や行動をすることを選択をして行っています。無意識に選択をしているものもあります。人間が生きていくということは、選択をし続けることになります。 全ては選択によって、良くなったり悪くなったりします。選択を誤ると人間は不幸になってしまいます。だれもが幸福になりたいと思っているはずです。 では幸福になる為に、どのような選択をすることが最善といえるでしょうか?漠然とした質問ですがお願いします。
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ご返事ありがとうございます。 「>良い結果を得られるための選択は、自分にとって有利と思う選択をし続けるということですね?」 そうとも言えますが、さらに言うと、 人間は時間の経過と共に、常に何らかの選択をしているわけです。 意識的に選択した場合は、 「>自分にとって有利と思う選択を」するでしょうし、 無意識に選択した場合でも、これは変わらないと思います。 この考えを例にしてみます。 あなたには、片思いの彼女 (あなたが女性であれば彼氏。ここではあなたを男性と仮定します。)がいます。 友人もその彼女が好きで、あなたに打ち明けました。 あなたは身を引く選択をします。 やがて友人と彼女は結婚して幸福になりました。 あなたは彼女が忘れられず、一生独身を通し、晩年のある日 「自分は不幸だ。あの時選択を間違えたのだ。 身をひくべきではなかった。」と後悔したとします。 しかし、逆の選択をしていた場合でも、 「自分は不幸だ。あの時選択を間違えたのだ。 身を引いて、友人の気持ちを大事にすべきだった。」 と後悔することが無いとは言えません。 つまり、現在のあなたが自身を幸福と感じているかどうか、 あるいは心境を大幅に変化させる体験などによって、 その時の選択が間違っていたのかどうかが、 後から決定付けられるということです。 そういう意味で「結果論」です。 また、特に深く考えず身を引いてしまうような性格であったとか、 逆に友人を押しのけて強引に前進するような性格であったとかいう場合でも、 無意識の結果として、やはり似たような経緯を辿る(後に同様に悩む)事はあるでしょうが、 それは、あなたがそれまでの人生で培ってきたもの(系譜)に依拠しているのであって、 逆の選択はありえなかったわけですから(無意識なので)、 その時の選択が正しかったとか、間違っていた、 ということとは別の問題になると思うわけです。 以上から、 「意志に逆らわない選択をする」のが、最善と思いますが、 もし、「理想」というものを求めるならば、 意志が、その理想を目指すよう常に鍛錬をしておくしかないでしょう。 それは、自分を知り、他人を知り、 人間を理解しようとする姿勢を保つ、という事なのか、とも思ったりします。
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>選択を誤ると人間は不幸になってしまいます。 といったこと考えますと、能力の高い人間の方が幸福を選択する確率が高くななる、ということになってしまいます。 となればより幸福を選択するには自らの能力を高めなければならず、先天的な部分は以下仕方ないとして、経験による部分、例えば常日ごろから正確な知識や情報を身に付けすぐ応用できるように体制を整える、そういった努力が必要になってこようかと思います。そうした上で自ら考えに考えぬいた結論であれば、後は博打以上の結果になるのではないでしょうか。 やはり、その人の考えに考え抜いた考えぶりが重要であろうと思います。
お礼
書き込みありがとうございます。確かに能力も関係します。F1ドライバーなど一瞬に選択しなければ、事故になってしまいますから…。ですから、まず能力に見合った環境を選択する能力が必要ということですかね?
- hanpty
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まずは、幸福になる事を選択する。 これを怠って個々の判断に望むと、楽だとか快だとかの必ずしも幸福とは同じで無い利益を求め、結果として2兎を逃がす事になりかねないかと思います。 宗教によって受ける迫害、それにも負けずに貫く事こそ幸福ならば貫く事を選べばいい。ですが、たいていの場合どうすれば自分が幸せになれるのかすら人は知りません。インドでは馬鹿を見る事、損する事、つまりは自分より余程多くの金をほどこしによって手に入れた人に、施させてもらう事で幸せになる人がいるという。それを否定する理由は私に無い。 漠然とした問いには漠然とした答えを、しかしはっきりと選択する事がまず第一と思います。 こういうと、「幸せになりたいなんてみんな思っている」という人もいます。でも、幸せになろうと決めた経験のある人は少ないと思います。
お礼
書き込みありがとうございます。なるほど~。「幸せになろう」とまず決めることからですね。
- vesalius
- ベストアンサー率16% (1/6)
「自分に正直に」が一番です。 「選択を誤る」というのは結果であって、考えたその瞬間には良いも悪いも 分かりません。最初から結果が分かっていれば、あえて悪い選択肢を選んだ りはしないでしょう。 ならば、自分自身が正しい、または面白いと考えたほうをとることが、 その結末の幸不幸にかかわらず、一番納得の行く方法ではないでしょうか。 「生きる」ということは、明日が分からないからこそ面白いのですから。
お礼
書き込みありがとうございます。「正直ものが馬鹿をみる」との“ことわざ”があります。正直に生きる人は大変ですね。馬鹿ばかりみることになりますから…。
- reira080802
- ベストアンサー率6% (18/300)
最善の選択をすることより どんな結果が出てもそれが最善の選択だったと堂々と言えるように真剣に全力で生きることで最終的には人生は良い方に向かうと思います。
お礼
書き込みありがとうございます。「“真剣に全力で生きる”」素晴らしい言葉ですね。この言葉は見習うべきところです。
- Quant
- ベストアンサー率18% (23/122)
"最善の選択をする方法"ということでゲームの理論を思い出してしまいました。 ということで、"ゲームの理論"を勉強する。
お礼
書き込みありがとうございます。なるほど~。それも一つの方法かもしれませんね。
- hw4183
- ベストアンサー率17% (15/86)
お礼を頂いたのでちょっとだけ補足を >特定の宗教を信じている人の多くは他宗教に対して、悪口を言ったりなどしています。 宗教に正教と邪教あり、大学でも法律でも教えてくれませんね。 悪口をいうのは邪教ですね。 >逆に宗教が人を不幸にすることもあると思われます。 邪教は人を不幸にします。正教は大多数を幸福にいざないます。 幸福になれないのは本人の理解不足か、宗教そのものの賞味期限切れ(耐用年数)によるところが大きい。ですね。
お礼
二度目の書き込みありがとうございます。宗教を正教、邪教と分けることは無宗教者のするところであります。あなたが邪教と言っている宗教を信じている者は、あなたの宗教を正教と言わずに邪教と言っているでしょう…。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「客観的な幸福」というものは無い、 と思いますし、また、無意味でもあります。 ただ絶対必要条件として、 「自らの意志のままに生きる」という事は動かせないように思うので、 幸福になる為には、 「意志に逆らわない選択をする」 ことが最善、と考えます。 意志に基づいて選択したにも拘わらず幸福になれなかった、 と本人が感じる場合は、 この選択が間違っていたというよりは、 結果論というべきでしょう。 人間は生体ですから、選択肢を前にすれば、 必ず自分にとって有利(色々な意味で)な方を選びます。 (客観的にはどう見えたとしても) それは、意図する(意識的)にせよ、しない(無意識)にせよ、 それを有利と信じてしまう、 その人の系譜の問題であって、 その結果を受け入れるしかないのだろうと思います。
お礼
書き込みありがとうございます。「結果良ければ全て良し」ということですが、良い結果を得られるための選択は、自分にとって有利と思う選択をし続けるということですね?
- kochory
- ベストアンサー率45% (167/370)
何が「幸福」かは人によって違います。 ですから 「幸福になる為に、どのような選択をすることが最善といえるでしょうか?」 という質問に対しては、 「人によって違うので一般的な答えはない」 としか答えようがありません。 もしあなたが、自分自身が幸福になるためにこの質問をしているのでしたら、 まず、自分にとって何が「幸福」なのかを、まずじっくり考えてみてください。 質問が漠然としているのは、あなたにとって何が「幸福」なのかを あなたが自覚していないからです。 それがはっきりとわかれば、あとはその「幸福」な状態へ向かうのに より適している選択をすればいいだけのことです。 まあ実際は、どの選択が「幸福」な状態に向かうのに適しているかも そんなに簡単にはわからないわけですが、それを考える以前に、 とにかく自分にとって何が「幸福」なのかがわかっていなければ 話になりません。 自分が何をしたいのか、何がほしいのか、 どんな人間になりたいのか、 残りの人生を、何を目標にして生きていくのか、 一度じっくり考えてみてください。
お礼
不幸を幸福と思う人は誰もいません。漠然とした質問でしたが、共通する幸福として回答してくだされたらと思います。
- 8942
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優先順位:一番後回しにしたい事からやる。 わかっちゃいるけど出来ない私は子供だぁ。30代男より
お礼
書き込みありがとうございます。難しい回答ですね。
- Chuck_GOO
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簡単な1つの方向性ですが、「結果責任を負えるような選択をなるべく心がける」ということでしょうか・・・。 「自分で選んだことだから」と後から振り返れるのであれば、それが一時的に不幸をもたらしたとしても、必ず幸福を掴むためのばねになるのでは、と思います。。。 (要は、その分一生懸命調べ、考え、状況を読んで判断することになる、ということかもしれません。。。) 逆に人のせい、環境のせいに自らの選択を帰する割合/部分が高まると、うまくいっているときはいいのですが、そうでなくなったときに、幸福へのリカバリーがますます困難になるかと・・・。 以上1つの考え方としてご参考になれば幸いです。
お礼
書き込みありがとうございます。後悔しない選択をするということですね。そのために他人からの意見も参考にしたくなると思いますが、全ては自分で選択しなくてはならないということでしょうか?
お礼
二度目の書き込みありがとうございます。意志を強くするということですね。意志を強くする良い方法はありますか?