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新潟と沖縄のつながりについて
以前あるサイトにて新潟と沖縄のつながりについての記載がありました。 そのサイトによりますと、 ・新潟市近辺では祭りのとき香具師が「ぽっぽ焼き」という黒糖ベースのお菓子を売っていますが、沖縄にはそれに類似した「ポーポー」というお菓子がある。 ・佐渡島には国仲や佐和田という地名があるが、沖縄にも同様の地名がある。 ・これらは昔北前船の交易によって交流があった証だ。 などと書かれていました。 確かにそう言われてみればそういう気にもなってきますが、私が新潟で育った頃(教育を受けた頃)には、新潟と沖縄の歴史的なつながりなんて一言も聞いたことがありません。なんだかこじつけのような気もしますが…真偽の程はどうなのでしょうか? 私は単なる偶然だと思います。
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自信を持ってお答えできるほどの確証はありませんが、沖縄と新潟の直接的なつながりはないと思われます。 まず、北前船というのは西回り回船の1つで、蝦夷地と大坂を日本海・瀬戸内海を通って結ぶものであり、確かに新潟はその主要な港の1つでしたが、この船は沖縄方面へは行っておりません。 第2に琉球貿易は江戸時代以前は沖縄を中心にして、中国・朝鮮・東南アジア・日本などを結ぶものであり、沖縄はその中継地として栄えました。この時代でも沖縄との交易は堺や博多の商人が主であって新潟は絡んできません。(というか新潟の繁栄は江戸期に入って西回り回船が発達してからです)また、江戸期に入って島津氏による琉球征伐があってからは、沖縄との貿易は薩摩藩が独占しましたから新潟に関係のある商人が貿易をおこなう可能性は低いでしょう。 下の方のご紹介URLなどで「コンブルート」なるものが書かれておりますが、この場合の主要な経由地は大坂と鹿児島であって、新潟はその途上の港の1つにすぎません。 歴史や地理において2つの土地のつながりという場合は、例えばイギリスのピューリタンたちがアメリカに移民してニュー・イングランド植民地を作ったように直接的に人的なつながりがある場合、あるいはコンブの場合の蝦夷と沖縄のように生産地と消費地というような関係のある場合を言うべきで、今回の例はあてはまらないと思えます。 もちろん、新潟出身の商人が沖縄まで行き、「ポーポー」というお菓子を持ち帰って新潟で作り出したとかいう可能性を完全に否定することはできません。 また「国仲」「佐和田」については沖縄本島ではなく伊良部島の地名です。ここは広い意味では沖縄ですが・・ なお、下の参考URLは琉球菓子の紹介サイトで、これを見る限りでは「ポーポー」ではなくそのすぐ下の「ちんびん」の方が「ぽっぽ焼き」に似ているようですが、いかがでしょうか。
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- albrac
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No.6の回答で・・・注がありました。 >まだ精査した文章やデータじゃない これは、私らが発見した東北地方の古文書やデータだよ。精査中! martinbuhoさんの回答を、精査中の意と誤解しないで下さいね。 martinbuhoさんの回答は貴重な回答です。
- albrac
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whiteholeさん、私のアドバイス、ヨイショじゃないよ。 ホントだよ。専門家に必要な要素って、やり始めてからついてくることまあるし。 ○matinbuhoさんの回答、大切にしたいです。 沖縄近海の海水温が30度近い、昆布が欲する栄養塩類が少ない海域では、昆布は生育しない。それなのに、伝統料理としてあるわけだから、大和との関係があってしかり。 実は、以前、ある取材で、東北の東回り航路に当たる地方を取材した時、慶長年間に、昆布、海産干物、材木を長崎経由で、琉球方面に出荷した記録があったんです。(直接じゃないにしても、martinbuhoさんの仰る通り間接的でも交易はあった)これは、まだ精査した文書やデータじゅないから、詳しくはいえない。 でも、この、文書も、whiteholeさんのような、ちょっとした疑問を持った方から情報をえて、初めて解ったんです。 けっして、おべっかいや、ポイント稼ぎ屋で言ったんじゃないよ! 純粋な、私の質問から感じ取ったことだよ!
お礼
了解です。 今すぐに何かできるわけではないですが、機会があれば沖縄と新潟の「隠された(誰も隠しちゃいませんが…笑)」つながりについて調べてみようと思います。 専門家の気付かない「盲点」というのが、素人から指摘されることがあるのですね。
No2で回答したmatinbuhoです。 私の回答は『新潟と沖縄に歴史的繋がりがあったのだろうか』ということに対する私見です。この場合の歴史的繋がりとは文化的影響と理解して私見を述べました。文化的影響は直接も間接もあります。xxルートは文学的表現でよく使う表現で、塩の道、魚の道、稲の道などと使われます。シルク・ロードも誰かが使い始めて有名になりましたが『シルク・ロード』という道路があったわけではなく普通の道路や荒野を隊商が絹やその他の物品を多くの中継地と人の手を経て運んだに過ぎず、後世の人がそれを『絹の道』と名づけたわけです。『コンブ・ルート』も同じ命名法だと思います。 北海道から沖縄まで昆布が運ばれた『道』があったのです。新潟も途中にある寄港地のひとつだったわけです。昆布ルートに積み替地があり多数の商人が携わっていたことは容易に想像がつきます。昆布ルートと新潟県の関係はローカルの博物館でも展示、説明されていると思いますが。 偶然と片付けず心にとめておけばいつか納得する回答(証拠)に出会えるでしょう。
お礼
現在新潟に住んでいないため、なかなか郷土資料館などに行けませんが、機会があれば調べてみようと思います。 商品の搬送が現在よりもかなり困難な時代に、北の昆布が南へ届けられ、それが沖縄の食文化にとって無くてはならないものとなり…ロマンがある話ですよね。
- albrac
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こんばんは。 あえて、回答の主旨をはずした回答をさせて頂く事、質問者様、回答者様、お許しください。 whiteholeさん、そのくらい、情況証拠があるんですから、それをさらに正確なものにするのは、もしかすると、あなたのライフワークかもしれませんよ。 発見とか、発明って、そう言うような、専門家の先生方が知らない事を探求して行く事から始まってます。 お菓子のこと、国仲、佐和田の名字、興味深いです。 沖縄が外界に、100%確実に絶対的断絶をしていた証拠はないんです。 鳥に翼があるように、人間には、船を作る手があり、航海するだけの頭脳がある。 専門家の先生が、知らない事を調査して、新しい歴史を作るって、夢があるじゃないですか。 あなたの様に、小さな疑問を持った方は素晴らしいです。その素晴らしさだけでなく、それを形あるものにするのも、もっと素晴らしいことだと思います。 新鮮な目をおもちのwhiteholeさん、ご自愛願いたいです。 質問の主旨から逸脱したこと、お許し下さい。
お礼
せっかくヨイショしていただいて恐縮ですが… そこまで探究する根性ありません(笑) それに専門家は、豊富な知識と洞察力を備わっているが故に専門家と言うのであって、一介の市民である私なんか到底及びませんし。 やはりここは専門家のご意見を尊重して、私の疑問は単なる偶然に過ぎなかったというのが真相ではないでしょうか?
昆布の産地北海道と一大消費地沖縄を結ぶコンブ・ロードが存在したことは歴史的事実です。このルートを開発・利用し江戸時代の日本海海運業発展に寄与したのが 高田屋や銭屋です。このルートで使われた船が北前船、寄港地は新潟、富山県内の港でした。お尋ねのぼっぽ焼や佐渡の地名と沖縄の関係はわかりませんが、状況証拠から見れば言い伝えは十分信用できます。 長寿で有名な沖縄の料理に欠かせない昆布については過去NHKをはじめマスコミでよく紹介されています。昆布ロードは沖縄から更に中国へと伸びていたようです。 http://www2.ocn.ne.jp/~hokkai/eirakugaidovol26.htm http://amateras.com/trip/japan/museo/hokuriku/kanazawa.htm
お礼
回答ありがとうございます。 No.3の方が回答なさっているように、単なる偶然ではないかと思います。
北海道観光の時に聞いた話なので.歴史書に記載があるかどうかは不明です。 薩摩藩の侵略を受ける前は.沖縄は独立国家であり.個別の文化を築いていました。その一つか貿易です。貿易の相手先.主に中国貿易の中間基地として発達し.北海道産海産物を中国に販売し富を構築しました。 この富に目をつけたのが薩摩藩で.沖縄を侵略し.貿易を独占し.幕末における権力構築の基礎となった。 と記憶しています。なお.北海道産昆布の大口消費地は沖縄との話を聞いていますが.こちらは前記以上に怪しい記憶です。
お礼
回答ありがとうございます。 以前テレビか雑誌で沖縄県が北海道産昆布の最大消費地だと聞きました。
お礼
回答ありがとうございます。 直接的な交易はなかった事が分かりました。 今年初めて伊良部島へ旅行し、その際佐和田の浜という名所を見てきました。国仲も伊良部の地名だったのですか…。 今年のNHKドラマ「ちゅらさん」主演の国仲涼子の先祖も伊良部の出身だったのでしょうか? おそらく地名の件も偶然でしょうね。ただ沖縄の友人の苗字に「佐渡山」というのがあり、妙に親近感を得た記憶があります。 「ちんびん」のほうが「ぽっぽ焼き」に似ていますね。 因みに「ぽっぽ焼き」という名称は新潟市での呼び名で、近郊では「蒸気パン」と呼ばれているそうです。 おそらく「蒸気→ポッポー」からぽっぽ焼きになったのではないかと私は思います。