- ベストアンサー
「死ぬこと」について
父を3年前に亡くしてから「死」についてよく考えるようになりました 自分が死にたいといった類のことではなく 死ぬことというのはどういうことだろう?死ぬことがわかったら(たとえばガンなので)自分はどう思うのだろう? 死を平穏に迎えるためにはどうしたらいいのだろう? などなどです 宗教的なことがからんでくるかもしれませんが、あくまで個人の考え方という点から、皆様がどう思っていらっしゃるのかうかがいたいです いつか来る死を真正面から考えてみたいと思います
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
死ぬというのはいなくなるのではなく、そこで止まっているだけ・・・ 死について考えさせられるFLASHです。 是非ご覧になってみてください。
その他の回答 (11)
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 >宗教・・・というよりもその人の価値観かもしれませんね。 私は実家が神道(神葬祭)なせいか、死ぬと「おめでとうございます」って挨拶する(爆:でも本当の話)ので、ちょっと普通と違うのかもしれませんが・・・(笑) 私は、自分が今死んだって、勤めてる会社が取り立てて困るわけじゃなし、日本が亡びるわけでもなし、私一人なんて取るにたらない小さな存在だと思ってるのと、いいかげん歳を取ってきて若い頃のように身体が動かなくなって来て、もう坂をころげ落ちるだけ、いずれは惚けて自分の事も人の事も判らなくなって死ぬんだろうな・・・なんて考えると自分が自分であるうちに死にたいなと思います。 この国は大臣が「人間も働けなくなったら死んで頂くと助かる」なんて平気で言う国ですから、こんな国に未練もありません。 死んだ後、私の意識は多分無くなるでしょうから、もう何も考えなくてよくなるわけで、その分楽になるのではないかと思います。
お礼
myeyesonlyさん さっそくのご回答ありがとうございます 私の母方も神道なのですが、おめでとうございますは聞いたことがないのでびっくりしています 自分が自分であるうちに死にたい、何も考えなくてよくなるわけで、ソノ分楽になる・・というのはなんだか達観していらっしゃるなぁ・・・という感じがします 私も何も考えない状態になるというのは想像しますが、息がとまったりするときにどんな感じになっちゃうのかな?って考えたりするとちょっと怖いです ちなみに父は肝臓がン末期であっというまに意識が薄れてしまって、それでも痛みがあるだろうと主治医の先生が痛みを緩和するものを点滴に入れてくれたらほとんど植物人間状態になって、そのまま息をひきとりました まだ体が動けるときに、家族とたくさん話をしたがって・・なんでもないことに涙を流していたことが今でも思い出されます そんな状況になっても父は死がこわいとかいわず、死はだれにでも順番にめぐってくるのだ おばあちゃん(父の母)が死んでいったように自分も死んでいくのだよとというような発言までして、かえって私を諭してくれたのですが、そんな気持ちに自分がなれるのか今は疑問に思うばかりです ありがとうございました
- 1
- 2
お礼
mokky102さん なんだかこのFLASH見ながらグスグス泣いてしまいました 父が生き返ってくれたような気がして・・ 言葉を失ってしまいました・・・ 父が亡くなってからしばらくして、父の夢をみました 父が何か書類を書き忘れたといって地下鉄の構内かどこかでその書類を手にしているのです 私は死んでしまっているという意識なく「いつものように真面目にやってるなぁ・・」みたいに父を見ていました そのうち離れ離れになってしまった その夢から覚めたとき隣で寝ている夫にわんわん泣いてしまいました まるでそのときのように・・ うまく書くことができませんが、一緒に歩いてきた人にとって愛する人を失うことはほんとうにつらい・・失ってそのつらさがわかるように思います 父の死後くよくよして生きているわけではありませんし、平常は死についてもこわがっているわけでもありません 自分なりの人生を歩き続けています 自分が立ち止まる立場になったときに、愛する人へがんばって歩くンだよっていえるようなそんな人間になりたいです