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自分の原稿を改ざんされた場合、皆さんならどうしますか?
わたしはアメリカに住んでいるのですが、日本人向けのローカル誌に無料でエッセイ風の記事を、つい最近まで提供していました。辞めた原因は、自分の送った原稿が、2週間ほど前に編集長になった人の手によって、改ざんとも言えるくらい変更され、これ以上やってられないと思ったからです。日本在住時に何度か新聞社や雑誌社の投書欄やその他のコーナーに記事を送った事がありますが、この様な事は一度もありませんでした。またこの雑誌でも、編集長が変わるまでは、わたしの原稿は一字一句たりとも変更された事はありません。 わたしが何か雑誌とかで発表するのにふさわしくない言葉を使用したとか、不穏当な表現をしたとかなら話はわかるのですが、そう言う事ではないのです。この新編集長からのご挨拶のメールでは、もしかしたら原稿に一部の手直しがあるかもとの事で、校正のゲラは事前に送ってくれるとの事だったので、その時点では了解のメールを出したのですが、何と校正ゲラは事前に送られても来ないし、わたしの名前で全く別の人が書いたとハッキリわかる改ざん記事が掲載されていたのです。わたしの原稿が気に入らないのなら掲載しなければ良いわけで、何故この編集長がそこまでわたしの原稿を変えなければならないのか理由もわからず、もちろん抗議はしましたが、そう言う方針なので、他のライターの人達にも皆さん、納得してもらってると、謝りもしないのです。 名誉毀損とかで訴えようかとも思いましたが、ただのアマチュアライターですし、弁護士なんかも取り上げてくれないでしょう。何か報復する手段はないものでしょうか?ま、忘れるのが一番かも知れませんが。 たとえば、このグーの質問とか回答の文章を勝手に変更されてしまったら、皆さんどう思われますか?
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質問者が選んだベストアンサー
ライターとして9年食べてますが、原稿の訂正はよくあることです。 わたしは5年編集者をしていましたので、そのどちらの立場もわかるのですが。 一般に、「作家さん」の文章くらいのものになると、文字の一つも訂正しないことが基本ではありますが、 それ以外の場合、「用語の統一」ということをします。これは、編集の基本です。 多くの場合、「一つ一つ」は「一つひとつ」に、「既に」は「すでに」などと変えます。 なぜかというと、同じ人の文章の中で、あるいは同じ雑誌の中で、いろいろな用語が混じっていると読みにくい、汚い、と思われるからのようです。 また、いろいろな考えによって、この表記にした方がいい、ということももちろん用語統一の意識には入っています。 (例えば「一つ一つ」でしたら、読むときに同じ字が重なって読みにくい感じがちょっとするから「一つひとつ」にする。「事」は、「~することがある」など多く出てくる言葉であり、「事」で統一してしまうとおかしな事になるので「こと」にする、など) 今ちょうど手元に、編集者から渡された用語統一表があります。 いただく→頂く、才→歳、頃→ころ、時→とき、なに→何、人々→人びと、様な→ような、 等々に統一するわけです。 これは、ある単行本のものですから、その書籍一冊の中で用語統一がなされていればオーケーです。 ではどのようにそれを決めるのかというと、それは編集者により作品により様々です。 「時」などは、「~した時午後一時で~」というようになることが多く漢字がつながって読みにくい、とか。 しかし日経のように、統一表をしっかり作っているところもあります。 (新聞の表記は、確か小冊子としてまとめられていたと思います。私が前にいた編集部では、編集者の頭の中にしかありませんでした) ただし、私個人としては、編集者の時代から用語の統一には賛成していません。 ほとんどの場合、意味がないと思います。 が、それが業界の、商業誌紙の慣例なのであり、それをしていないと「ミス」とされます。 さて、その他、文章自体を編集者に勝手にいじられることも「非常に多く」あります。 むしろ、いじられないことの方が「稀である」と言えます。 質問者様の場合、「アメリカからの」「ローカル誌に対する」「無料エッセイ」ということで、これまでいじられたことがなかったのでしょう。 文章訂正には、それはそれでその編集者なりの考えがありやっているのですが、 しかしたいした能力のない編集者も多く(問題発言)、書いた方としては、 どうしてこんなくだらない、つまらない、かつおかしな風に直すんだと、憤懣やるかたなくなることも多くあります。 文章力のある編集者でも、(忙しい中でさっさと直してるからか)意味をはき違えてとんでもない直しをされることもあります。 > わたしの場合はぜんぜん違う言葉を使われたり、文末を一部はですます長、一部は・・・だ、である長で ということですし、その編集者の仕事のしかた(約束を守らないなど)からして、ろくな編集者ではないでしょう。 私は、発行されたものは見ない、という手を取っています。 見るとまず絶対に手が入っており、(用語統一、ちょっとした変更、あるいはページ内に収めるための削除などならまだしも)それが許容範囲外というものも時にあって、ものすごく腹が立つからです。 私が編集者の時にはこんな直しはしなかったぞ、という思いもあり、よけいに腹が立ちます。 なので、相手が非常におかしな人の場合、事前に訂正した原稿を見せてもらうよう交渉することもありますが、まずほとんどスルーします。 見なければ、腹は立ちませんので。 ということで、文章の投稿における変更は、ある程度しかたがないこと、プロの世界の常識、という風に受け取っていただいて、その上で今後の方針を決めるしかないと思います。 ただし、約束を守らないとかいうときは、また別問題ですから、交渉しなければなりませんし、 どうにもならない人だったら縁を切るのもまた一考でしょう。 (しかし本当に、編集者のレベルが落ちてると思う昨今……)
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- zenzenzen
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以前新聞に投書した時に一部分変更されていた事はあります.だいぶ前の事ですが今でもその内容を覚えています. 一人一人を 一人ひとり に 意志 を 意思 に それと文章の一部分を削除されて掲載されました. 自分としては結構推敲したつもりだったので面白くない部分もありましたが,言わんとする趣旨が変えられているわけではないので,それよりも自分の原稿と比べてみてその違いを考える機会ができたと,僕はその時は思いました. 毎日発行される新聞ですがその一ページの一文章でさえその配置などにもある配慮があることに気が付いて,改めて人の営みの凄さを思い知らされた時でした.
お礼
お早い回答ありがとうございます。一人一人を 一人ひとり、意志を意思にとかはわたしは行きすぎだと思います。投書は文学コンクールではないし、個人の言いたい事が伝わらないのであれば、ある程度文章を変える必要はあるかも知れませんが、一人一人が一人ひとりになっても、どんな違いがあるのでしょう。投書者の文章を尊重すべきではないでしょうか?わたしの場合はぜんぜん違う言葉を使われたり、文末を一部はですます長、一部は・・・だ、である長で、まるで文章のリズムがなく、完全に改ざんなので怒っているのです。
- jimbeizame
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>何か報復する手段はないものでしょうか?ま、忘れるのが一番かも知れませんが。 報復などと言うことを考えてる時点で負けているような気がするのですが、とりあえず、そのローカル誌なんかよりもネームバリューがあるような雑誌に連載を持てば、そのような優秀なライターに逃げられた編集長の面子はつぶれますよね。物書きなら、そういうやり方がスマートな報復でしょう。それが出来ないなら忘れるしかないですね。
お礼
>物書きなら、そういうやり方がスマートな報復でしょう。 そうですね。わたしもそう思います。却って、奮起するキッカケが出来て、将来その編集長に感謝?する日が来る日を夢見て頑張りましょう。有難うございました。
お礼
juzubeさん、具体的な例をあげて、色々、説明して下さって有難うございました。とても参考になりました。 <私は、発行されたものは見ない、という手を取っています。(中略)見なければ、腹は立ちませんので。> 確かにその通りですね。わたしもこれからは見ない様にします。で、いつか自分の文章を変更させない大作家になれる様、その日を目指して頑張ります(^o^)。