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仏様はどこへ・・・・?
義母と実父が続けて亡くなり、この夏新盆を迎えます。 東京ではまさにお盆の真っ最中ですが、準備不足もあり、8月にお盆の行事をしようと考えています。 婚家の墓は栃木にあり、栃木の家が空家になった為、仏壇を新調して、位牌を東京へ持ってきました。 義母並びに、何年も前に亡くなった義父や義弟は、空家に戻ってくるでしょうか?(分家なので、今のところそれ以上の先祖はいません) それとも、位牌のある東京へ来るでしょうか? 迎え火を焚けばどこにでも来てくれるのか??? 空家とは言え、長年住んだ家に来るのか??? (この場合は、栃木へ行って迎え火を焚きます) どのように考えたら良いのでしょうか? (長くなったので、実父のケースは別に質問を立てます)
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こんにちは。。 他の方々から、とてもよいご回答が出ていますね。私も貴女が、それぞれの方々との「縁」をお想いになれば、それでいいと思います。 世の中は、膨大な「縁」のネットワークで紡ぎ出されたものだと考えています。血縁・義理の関係にかかわりなく、貴女の今を成り立たせてくれた人たちに想いを向ければ、その想いも新たな「縁」を作り出し、旅立った人たちにもつながるでしょう。 縁のつながりは生死を、過去・現在・未来を越えるものだと思っています。些細な事柄に惑う必要はありませんよ。 蛇足で、教科書的(?)なお話をしますと、きちんと開眼供養をお受けになられたお仏壇の本尊様(真言宗なら大日如来ですね。)は「オンライン」の状態ですから、お困りなら、お仏壇の本尊様に「お祀りしている皆さん、こちらに帰ってきてほしいんですけど」とお願いされればよいでしょう。(真言宗は祈願可です。不動明王がメッセンジャー役で願いを大急ぎで届けてくれるのだそうです。) 位牌というものは、儒教や日本人古来の霊魂観が入り混じったモノになっています。「依代(よりしろ)」と考えるのが、スマートな理解の仕方かなーと思っております。皆さんがお帰りになる際の目印ですね。(自分の地域では迎え火の習慣がないので、迎え火に関してはわかりません。仏事ごとに関する仕事をしているのですが、不勉強ですみません。) では。ごめんください。
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- nozomi500
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そもそも、ほとんどの日本人に、明治以前は「○○家」が無かったのだから、 「本家」だとか「分家」だとか、たいした歴史でないものを、伝統だとか常識だとか思っちゃいけません。 あなたがDNAを受け継いでるご先祖は、すべて同じ扱いです。 基本的に、#4さんのおっしゃることと違いありません。
補足
アドバイスをありがとうございます。 今まで通りに、毎日お線香をあげて手を合わせて、できるかぎり墓掃除に通います。 そして「お盆」を理由に、おはぎをたらふく買って食べます。
故人の供養とは、残された人の安心感・満足感だと思います。 ご先祖様は貴女の心の中におられます。 故人を想う心があれば、何処で・どの様な方法でも貴女なりの方法で十分です。 色々と云う人や しきたり?がありますが、いずれも一つの方法であり絶対的なものではありません。 当方も真言宗ですが お盆は仏壇にお菓子(孫が来ておやつになりますが)や故人の好きであった果物等をお供えし、僧侶を迎えお経を上げて頂いております。 お墓(両親の 分家なので)は当地に設けお参りしております。 自分は心の中で手を合わせれば十分だと考えておりますが、周囲の者がそれで安心するのであれば良いと思っています。
補足
>周囲の者がそれで安心するのであれば良いと思っています。 それが、脅迫観念のようになっていて「やらなければならない」と考えていました。 皆さんの意見を伺ううちに、無理することはないんだ・・・と思うようになり、 今は「文化の一種」=クリスマスみたいなもの、と考えています。 アドバイスをありがとうございました。
- weiemes15
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> 地獄の釜の蓋が開いて(?)亡くなった方が遊びに来るから、もてなす・・・ってことと違うんですか? 仏教の盂蘭盆は餓鬼道に堕ちた(これも生まれ変わりのひとつで、霊の状態でいるわけではありません)父母のために供養をする(ましな生まれ変わりを促す)というもののようです > また「儒教」の教えでしょうか? おそらくその辺でしょうね 儒教だと、生きているっていうのは霊に肉体がある状態で、死んでいるっていうのは霊に肉体がない状態ですから
お礼
何度もありがとうございます。 「父母の為」ってのが、いかにも儒教の「孝」的で、仏教らしかぬ・・・という意見があり、ふむふむ・・・と思っています。
うちの実家(母が行ってる)の準備では、お墓に迎えに行きます。 (親戚がお盆に訪ねて来るので、掃除の意味もあって) そして家の前で迎え火を焚きます。 宗派によって違いますが、気持ちのことであれば、お墓参りを事前に行って、 「何県何市何町でお待ちしております」 とお祈りされて、お迎え火を焚いてお迎えすると入らして下さるのではないでしょうか? 壇家になっているお寺さん(もしくは同じ宗派へ)へ、お尋ねになるのが一番と思います。 もしくは宗派をここで補足されたら、同じ宗派の方からアドバイスを頂けるかも...。
補足
アドバイスをありがとうございます。 婚家も実父の寺も、真言宗です。 義母は、お墓にいるわけではないと思うので・・・・ じゃあ位牌の中にいるかってわけでもないと思うし・・・ ・・・どこから来るんでしょう? 『お盆』って、どういう考え方なんでしょう? 茄子に足つけて馬にして・・・てな話ばっかりで、もうチンプンカンプン
- weiemes15
- ベストアンサー率28% (232/828)
気持ちの問題ですから、覚えている人のところに来ると思っておけばいいんじゃないでしょうか ミもフタもない言い方をすれば、仏教では死んだら生まれ変わるか、解脱するかですから、霊がフラフラ飛んできたりするわけは無いと思いますが
補足
>霊がフラフラ飛んできたりするわけは無いと思いますが ↑・・・え?そうですか?地獄の釜の蓋が開いて(?)亡くなった方が遊びに来るから、もてなす・・・ってことと違うんですか?>お盆 まさか、また「儒教」の教えでしょうか? (よくわからない習慣の正体が「儒教」だったことが度々ありました)
お礼
アドバイスをありがとうございます。 神社みたいに、ご本尊にお願い事をしていいんですね。w 実は「帰ってきてほしい」と思っているわけでは無く、帰ってくるならお迎えしなければ、失礼にあたるだろう・・・という、とっても後ろ向きな考えなのです。 もし、迎え火を焚いて呼ばなければ帰ってこないなら、、、、呼びません(キッパリ)