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世の中の仕組みについて 学力問題を絡めて
行政と、企業の関係について、わたしの思うところを書きますので、もし間違っている場合や考慮不足、意味不明な場合などありましたら、教えてください。 ************** 民間は、その企業の商品やサービスを通して、それに対価を支払う人が満足を与えると言えます。例えば、日本の教育のレベルを上げたいと思う人は多いと思いますが、親としてはそれを上げるために塾に通わせます。 となると、コストが掛かり、当然塾に通わせられない人がいます。その親の懐具合によってサービスを享受出来ない場合も当然あります。 そういった企業の性質では、学力低下問題は根本的な解決が出来るとは思えません。なぜなら、この問題は、社会構造や、制度的な問題を含むと思うからです。それは、子供のやる気であったり、ゆとり教育であったり、先生の質の問題であったり。 わたしは、そういうのを解決するのが、政治であるのだと思います。そして、民間企業はその制度の上で自らの努力を続けます。学力低下問題は、先生が切磋琢磨して教師業を行える風土や雰囲気があって、生徒は学ぶ必要性を感じ取られることができれば、まず育つ環境は整っていると言えるのではないかと思います。(少し話がずれましたが) 公務は制度や環境を整えるところだと思います。社会を変えるということは、制度自体を整えることなのではないかと思います。それが、例えば法律であったり、官庁の仕事だったりするのだと思う。 民間と公務は対立するものではない。公務は民間の環境を整備するものであると思います。 ************ 大学生です。よろしくお願いします。
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- north073
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第1パラグラフでは、市場だけに任せていては、教育に格差が生じるということをおっしゃっているのだと思います。 ところが、第2パラグラフでは、「社会構造や制度的な問題」というものを持ち出してきておられます。「親の懐具合」の話はどこにいってしまったのでしょうか? 第4パラグラフが結論なのだと思いますが、それまでの議論とのつながりがないので、まったく孤立していて、説得力がありません。 「公務は制度や環境を整えるところ」なのは、なぜか。前の文章を読んでもその理由がまったくわかりません。最後の一文はここの繰り返しですね。 「社会を変えるということは、制度自体を整えること」なのはなぜか。 政府の役割として、あなたは、市場のルールをセットするということをあげられました。第4パラグラフの内容はそれに沿っているのですが、第1パラグラフの例示は、むしろ、市場の失敗を補完するために政府が市場に干渉する必要性を述べているように見えます。 親の懐具合が悪いことを理由として、子どもが十分な教育を受けられないということは、市場原理においても正当化できることなのかどうか。 完全競争を目指すうえでも、一定の教育を受けさせることは必要であるから、政府が市場経済に介入して、すべての子どもが一定の教育を受けられるようにすべきではないか。 第1パラグラフから発展できる議論としては、そのようなことがあると思います。また、その介入の態様として、義務教育という形がよいのか、個別の補助という形がよいのか、いろいろな考え方があるでしょう。 上の議論は一例にすぎません。 「企業」の役割について、一般に(学術的に)どのように論じられているのか。 「政府」の役割について、どのように論じられているのか。 そのことを体系的に認識する必要があります。いろいろな本を読んでいるうちに、論理的な考え方も身についてくるでしょう。
- ipa222
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資本主義社会の原理を、民間企業の営利に矮小化することは、物事の本質を見誤ると思います。 共産党がいつも使う手口ですが。 ほんの一握りの社会主義国家以外の世界中の国。地球上の自然界。宇宙の全ては、競争原理で成立しています。 引力が強い物質が、弱い物質を引きつけ、ぶつかることでエネルギーが生まれ、融合し、大きな一つの物質になります。それの延長線上に宇宙も地球も、人間の社会もあるのです。 話の流れが無茶苦茶なので整理すると、、、 人は幸せに暮したいと思う。 物質だけでなく、心も体も。 そのために、お金を得る努力をするし、勉強もする。スポーツも恋愛もする。これらは本能です。 その努力はお金によってのみ成し遂げられる物ではありません。勉強も恋愛もスポーツも必ずしもお金は必要ありません。 逆に向上心が強い人ほど努力をするでしょう。 お金と向上心は別物で、本来は反比例の関係でした。 いまは諦める人が多いのでそうでもありませんが。 公務員の世界は社会主義です。 社会主義は、「仕事のときは要領のいいやつが後ろに並んで、要領の悪いヤツがたくさん仕事をする。メシのときには要領のいいヤツが列の前にならんで、要領の悪いヤツが後ろに並ぶ」という仕組みです。 それでソ連、東ドイツなど社会主義国は潰れました。 北朝鮮もその一歩手前です。 中国は、社会主義と資本主義を融合させようとしています。それは競争原理による「努力」のメカニズムを社会に取り入れたのです。 社会主義というのは、自然の根本的なメカニズムである競争原理を否定し、全てを人間がコントロールしようというものです。 その日本の日本の支配階層である社会主義の公務員層が大きくなりすぎて、下層階級である資本主義層では支えきれないのです。 学力を伸ばす最大の方法は、公立学校を民営化することです。授業料を100%補助するのではなく、所得による補助とするのです。 そうして教師も学生も、保護者もコストを認識した上で具体的な成果を目指した教育をしないと、金をドブに捨てるだけです。 やる気を促すためには競争しかないです。
お礼
ありがとうございます。 キャリア制度は、社会主義なのですね。 民間企業では会社員は能力と努力次第で上に上がれますね。 学校制度への提案も参考にします。 ありがとうございました!
- north073
- ベストアンサー率51% (536/1045)
ええと……、まず、「外部経済」とか「市場の失敗」「政府の役割」といったことを、経済学的観点から学ばれることをお勧めします。 内容については、その後の話です。 基本的な論点に近づいてはいるのだけど、第2パラグラフでするっと明後日の方向へ行ってしまっています。
お礼
ありがとうございます。 外部経済は、例えば企業のある行動が市場を通さずに他の企業活動などに影響を与えることですよね?外部経済と外部不経済がありますね。こんな定義イメージです。 市場の失敗は、公共財や独占、外部経済などにより、市場において資源配分が最適とならないことと記憶しています。 政府の役割はネットで調べてみました。 市場取引のルールそのものを履行させる(ルールを遵守させる) 民間が持たないある種の強制力を持つとありました。 お願いします。
- goobest_2004
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それは、そうだと思いますね。 民間レベルでは、目的が違うので、ある程度限界があります。 国ができることは、巨大な”消費”ではなく、戦略的な先行投資であるべきと思っています。 今は、教育と子育て支援や研究開発などへの投資額がまだまだ少ないんだと思います。 国にとっては、少子化対策や教育対策のために、投資することで、人間が増え、教育水準も上がり、日本の税収は大幅に増え、投資額以上のものを回収できるはずです。 50年、100年先の社会を想定した投資ができていれば、今みたいな問題は起こらなかったはずですね。 日本の資産は、人口と教育レベルだということを政治家は認識すべきです。 国が国の役割を果たしていないのが一番の原因。 民間はそれなりの役割を果たしています。 今は、その財政を捻出する前の段階。 国債や地方債の乱発を抑えるべく、ようやく郵政民営化が達成されようとしています。郵政は政治利権の塊なので。土建国家の象徴の道路公団も民営化され、最近、談合で公正取引委員会が乗り込んでますよね。 日本は戦争中の財政危機にも匹敵する、1000兆円もの借金を抱えてて、このまま国債乱発が続けば倒産します。 私は、自民党じゃないですが、小泉さんは唯一、日本の100年先を見すえている政治家だと思います。徳川吉宗ばりの。 なので、今じゃ、小泉vs利権政治家の図式に見えてなりません。それを見ると民主党も利権集団だって印象が強いです。今はブームに乗っているだけ。 政治家もネクストソサイエティを意識して欲しいですね。
お礼
前のお二方に、言葉使いを指摘していただきましたが、読みづらいにも程があると感じたかもしれません。すみませんでした。投稿する際は、念入りに推敲しようと思います。 内容面の添削ありがとうございます。 わたしの考えは、ある程度尤もですか。 回答を再度読み、国の役割や政治など勉強したいと思います。
- sinobu_wednesday
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内容はともかく、修辞学的(?)な指摘だけを行います。 > 民間は、その企業の商品やサービスを通して、それに対価を支払う人が満足を与えると言えます。 「民間は」という出だしですが、この文章が「官」「民」の対比をするのだという前提を読者が知っているのであればともかく、知らない場合は「民間は」と言われても主語が何のことかさっぱり理解できません。「民間の企業は」あるいは「民業は」じゃないでしょうか。 「それに対価を支払う人が」満足を誰に与えるのでしょうか。「民間企業が、それに対価を支払う人に」満足を与えるのでは? > 例えば、日本の教育のレベルを上げたいと思う人は多いと思いますが、親としてはそれを上げるために塾に通わせます。 ぜんぜん例えになっていません。「民間企業は、対価を支払う人に対し、そのサービスを通じて満足を与える」という前文に対し例示をするのであれば、「例えば、塾は、対価を支払う親に対し、子供の教育というサービスを通じて満足を与える」が正しい例示でしょう。 親が…という例示は主客が逆転していますし、日本の教育のレベルは前文と全く無関係です。 > となると、コストが掛かり、当然塾に通わせられない人がいます。その親の懐具合によってサービスを享受出来ない場合も当然あります。 となると…という言葉遣いですが、口語体でこの文章を書きたいのですか?それとも文語体としてこのレポートのようなものを書きたいのですか?文語体で書きたいなら「とすれば」です。が、ここでの「となると」「とすれば」という接続語はそもそも不適でしょう。理由を次に述べます。 次の「コストが掛かり」の部分ですが、隠された主語は「民間企業のサービス」ですよね?その前のセンテンスの主語はあくまで「民間企業」であって「民間企業のサービス」ではありませんのでここで主語を略すことは適当でありませんし、「となると」という接続語で繋ぐことも変です。 「しかし、民間企業のサービスにはコストが掛かり、」なら日本語としてはずっとわかりやすいです。 > そういった企業の性質では、学力低下問題は根本的な解決が出来るとは思えません。 「解決」の主語は何でしょう。「企業の性質」ですか?「性質」という語はものの状態を表わす言葉であり、解決という能動的な動詞の主語には相応しくありませんよね?敢えてここを書くとしたら「そういった民間企業の性質を考えると、民間企業には学力問題の根本的な解決が出来るとは思えません」と書くべきです。 > なぜなら、この問題は、社会構造や、制度的な問題を含むと思うからです。それは、子供のやる気であったり、ゆとり教育であったり、先生の質の問題であったり。 「企業の体質故に」企業は学力低下問題を解決できない、とここまでの部分で理由を述べているにも関わらず、どうしてここで「なぜなら」と再び理由を一から述べ始めようとするのでしょうか?ここまでの文章の意味はどこに消えてしまったのでしょう?そもそもここまでの文章は無意味だったのですか?であれば、ここまでの部分はすべて削除して、ここからこの文章を書き出しても良いですよね? > わたしは、そういうのを解決するのが、政治であるのだと思います。 文語で書くなら、「私」くらいは漢字で書きましょう。また「そういうの」→「そういった問題」です。 > そして、民間企業はその制度の上で自らの努力を続けます。 そして、という接続語の意味が全くわかりません。学力低下問題は政治が解決すべき問題であって民間企業が解決すべき問題ではない、という対比構造であるなら、後者についてはここまで十分に述べたのですから、この文はもういらないでしょう? > 学力低下問題は、先生が切磋琢磨して教師業を行える風土や雰囲気があって、生徒は学ぶ必要性を感じ取られることができれば、まず育つ環境は整っていると言えるのではないかと思います。(少し話がずれましたが) 「学力低下問題は」、という主語に対応する述語はどこですか?「整っている」の主語は「育つ環境は」ですよね?では「学力低下問題は」に対応する述語は? 「風土」をもう一度辞書で引いてください。ここで使うことが適切な用語でしょうか? 「感じ取られる」は受け身型ですか?「生徒は」「学ぶ必要性を」「感じ取る」ですよね?「感じ取られる」と受け身にしたいなら、「学ぶ必要は」「生徒に」「感じ取られる」が正しい日本語です。もっとも、この場合はそもそも受け身にする必要は全くありませんが。 > 公務は制度や環境を整えるところだと思います。 「ところ」って、どこのことでしょうか?「公務とは精度や環境を整えることだと思います」では何故だめなのでしょう? > 社会を変えるということは、制度自体を整えることなのではないかと思います。それが、例えば法律であったり、官庁の仕事だったりするのだと思う。 例えば法律であったり、の部分は何に対する例示ですか?「社会を変える」=「制度自体を整える」という事柄に対する例示であれば、法律とは「社会を変える」ことなのですか? > 民間と公務は対立するものではない。公務は民間の環境を整備するものであると思います。 ここまで民間と公務(公務という言葉も変ですが)との対比を書いておきながら、最後にサプライズを用意する必要はどこにもありません。 「民間は学力低下問題を解決できない」「それは政治の仕事だ」「だが、政治が環境を整備すれば民間にも学力低下問題を解決できるようになる」という論旨で文章を書きたいなら、再度文章の全体を見直して一から書き直してください。 総じて言えば、ご自分の勉強が足りてないから言葉の選択に迷っているのではないかと思うと同時に、そもそも日本語の勉強が全く足りていないと思います。日本語勉強中の留学生ならまずまずでしょうが、日本人ならこの程度の日本語では中学生の国語だって赤点を付けたくなりますよ。人に見せる前にもう一度自分の文章を読み直し、自分の意図がこの文章によって正しく第三者に伝わるのか、十分に確認を取るようにしてください。そういった繰り返しをしないと、日本語を忘れますよ。 もう少し頑張りましょう。
お礼
ありがとうございます。 恥ずかしくなるほど、自分の言葉使いが誤りばかりでした。一度さっと書いたものをですます調へ変えたり、付け足したりしましたので、さらにミスが頻発したと思います。 あらためて、正確な言葉使いを心がけたいと思います。 また、もしお時間ありましたら、企業と行政との関係を短くても良いので、内容面の添削お願いしたいです。
「その」「そういった」「それ」が多すぎ&使い方があいまいかつ不適当で何を指しているのか関連がわからない
お礼
ありがとうございました。直します。
お礼
ありがとうございます! 本来この文章は、公務員と民間の違いについて答えを出そうと試みています。 >ところが、第2パラグラフでは、「社会構造や制度的な問 >題」というものを持ち出してきておられます。「親の懐具>合」の話はどこにいってしまったのでしょうか? 親の懐具合の話は、資金的状況によりサービスを受けることができないということを表現しようと思いました。そうなれば、子の学習の機会は無く、子にとって不公平な状況を作り出してしまうため、政府が公立の学校を設ける、というように政府の役割を示そうと思いましたが、自分でも何かが違う気がします。。 >「公務は制度や環境を整えるところ」なのは、なぜか 政府が行うことは、これなのではないのですか?私は「公務は制度や環境を整えるところ」が正しいこととして、これに繋がるように、文を組み立てようと(意味不明な文で全然繋がっていませんが。。)しました。 政府の役割がは、市場のルールをセットすると学問的には定義されます。このルールをセットすることの具体例が、憲法、法律だと思っています。それが制度だと思います。そして憲法などに欠陥が生じてきたら、議論し再構築する。その効果が下に下りてきて、今まで不便だった市場ルール=競争の環境を直していくのだと思っていました。 >第1パラグラフの例示は、むしろ、市場の失敗を補完する >ために政府が市場に干渉する必要性を述べているように見>えます。 まさにそうです。それが、政府の主な仕事だと思います。 認識の違いがありましたら、ぜひ教えてください!! >親の懐具合が悪いことを理由として、子どもが十分な教育>を受けられないということは、市場原理においても正当化>できることなのかどうか これ自体は、市場のルールに則っているので、何ら問題は無いのですが、全国民に対して公平な機会を与えられていない点で問題(塾しかない状態を想定)であり、ゆえに政府が介入するということを考えていました。 再度書きますが、本当は「公務員と民間の違い」を説明しようとしましたが、全く意味不明な文が出来上がってしまいました。申し訳ありません。ぜひ再度のご指摘を願うばかりです。