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村の変化
こんにちわ。 歴史の質問なんですが、田植え(米作り)をすることによって村はどのように変化していったのか 教えてください。 よろしくお願いします。
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- sionn123
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fumin1012さん こんばんは 縄文時代またはそれ以前は、毎日毎日狩猟や森等で木の実等を拾う事のよって毎日の食料を得ていました。不猟の日・豊猟の日が有ったでしょうから、お腹一杯食べれた日・全く食べれなかった日が存在したんだと思います。 弥生時代になって田植えをするようになり、年1回または数回の稲刈りで出来たお米で1年間の食料を賄う事になります。したがって貯蔵と言う行為をするようになり、村の中に倉庫(米蔵)を作るようになります。米蔵の中の米を虫やねずみ等の害虫・害動物に食べられないようにする策を講じるようになり、高床式の米蔵を作るようになります。そうして建築技術が徐々に発展していきます。 当時の米作りは、現代の科学的な農業と違って土地の肥えた所・肥えてない所では生産量に相当の差が有ったんだと思います。生産量の多い村では、村での消費量で残りが出て、それを生産量の少ない村に売ったり物々交換等をしていたと想像します。そう言う理由により、裕福な村・裕福でない村と言う区別が存在してきます。裕福な村はより裕福な村へと言う事でそれぞれの村の格差がはっきり出てくる様になります。 叉裕福でない村は、裕福な村から農産物を略奪・泥棒してでも村の住民の食生活を守ると言う事もしたでしょう。そう言う行為をするための集団が作られるようになり、またそう言う集団から村を守る為の集団や掘や柵等の施設を付来る様になります。それが軍隊やお城の城壁等に発展して行くのです。 そうして出来た軍隊を使って村の領土拡大と言う事を行い、裕福な村は徐々に大きくなっていき村から国へと発展していきます。日本の場合は、この様にして巨大な勢力を持つ村が国になり最終的に大和朝廷へと発展して行くのです。