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戦争犯罪について

どうして戦争後の国際裁判では、敗戦国の指導者のみが裁かれるのでしょうか? 戦勝国の指導者に罪はないのでしょうか?

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  • torauma
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回答No.11

最近の御国の指導者とかいう連中が「責任をとって腹を切る(=死ぬ)」なんて聞きませんよね。 昔の日本では上級武士というのは、馬鹿な自分の子が可愛ければ勘当して、他人の優秀な子供を養子にしてお家の役割を果たす習慣がありました。 そうでなければ、実子が切腹させられかねない責任があったのです。 戦中、山本五十六は敗戦を予想しながら、戦争現地(現場)に出かけて殺されました。 >指導者に罪はないのでしょうか 北朝鮮の金日成は元々ソ連軍の将校でしたが、北朝鮮に傀儡政権を作ると同時に国家・軍指導の指揮権を得る目的で突然朝鮮戦争を始めました。 元々ソ連の傀儡政権なので”北朝鮮の人々の暮らし”に責任なんてありません。 米軍を半島から追い出す役割を実施すれば、ソ連と中国に守ってもらえる体制です。 それで”北朝鮮の人々の暮らし”はボロボロ。 いっそのこと戦争で北朝鮮体制を米国が破壊し”米国(又は日本)が責任をとって経済復興”してくれれば、北朝鮮人民にとってはありがたいのです。 罪の無い指導者を、指導者にしているのは現在の日本人と予算バラマキ官僚の関係みたいなものでしょう。 国民は忠義で指導者達の保身の役に立てば、金も機会も与えられる優等生達が”指導者達に罪が無い”事を理論証明します。 その手の優等生は幾らでもおります。

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  • Broner
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回答No.13

 それは国際社会が、完全な民主主義になっていないからです。  歴史に学ぶことがたくさんあります。現在もなお、民主主義を進歩させている段階で、完成には、日暮れて道、遠しです。  人類は、古代から近代、現代と民主主義を進歩させてきました。戦国時代、江戸時代の人たちは、民主主義なんて考えも出来ないくらいに、領主に支配されていました。それは現代の人にとっては、絶望的な日々だったろうと思います。それが少しづつ、民主化されてきているのです。進歩してきているのです。  その原動力は、大衆レベルの知識、倫理、情報収集の向上です。衆愚政治からの脱却です。  しかし、現在社会は未だ衆愚政治です、日本政府の財政破綻は、(国債残高が大きくて、税収以上の借金を返済しています、このままでは、借金はどんどん膨大化します。そして政府の財政は破綻します、年金も払えなくなります。)端的に衆愚政治を具現化しています。現在の議員内閣制度は、代理制度は、国民の意思と違うことを決めることが多いようです。  わたしは、これを解消するには、大衆レベルの知識、倫理、情報収集の向上が大事で、とくに、経済に対する知識が不足していると思います。 日本経済新聞社の「昭和経済史、上、中、下」には、政府の経済政策と、その結果が書かれてあります。まさに政府の通信簿的なものです。  また、ダイヤモンド社の「失敗の本質、日本軍の組織論敵研究」は、防衛大学の教授が書かれたもので、先の戦争の敗因が詳しく書かれています。  これらの本は、いかに衆愚政治が害をなすか、如実に書かれています。

  • kandaWolf
  • ベストアンサー率40% (30/74)
回答No.12

 まず、その「国際裁判」というものが、普通に考えられる裁判とは違うものであるということに留意する必要が有ります。以下、説明しますね。  人類の歴史では、戦争の敗者を戦後に処罰するという行為が長く行われてきました。復仇(仕返し)といいます。戦争に勝った方が負けた方の王様の首をちょん切る行為ですね。  しかし、そこで裁判を行った訳では有りません。ナポレオンがワーテルローで負けて連合軍に捕まった後で、弁護士/検事をたてて、裁判が行われたでしょうか?日露戦争の後でロシアの皇帝は裁判を受けましたか?ついこのあいだまで、戦争後に「裁判」などなかったのですよ。  しかし、19世紀頃の国際法(の概念)では、一国の指導者個人は国家のために職務を尽くしたのにすぎないのだから、その人間だけを処罰することは非文明的であるとし、復仇は禁止されました。  で、ニュールンベルグ裁判と東京裁判ですが、復仇を「裁判」という「形式」で敢えて行ったものです。お分かりでしょうか?戦勝国の指導者に罪がないから裁かれないのではなく、そもそも、形だけ裁判で、その目的は仕返しですから、敗戦国の指導者のみが裁かれたのです。  したがって、蛇足ですが、今次の「国際裁判」とやらは、人類の文明に対する犯罪行為(裁判の振りをして19世紀以前の状態に戻したから。)であるというの が、私の見解です。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.10

>敗戦国の指導者のみが裁かれるのでしょうか?  靖国神社の話でA級戦犯のことばかり話題に なりますが、B,C級戦犯もあります。  赤紙で召集された人たちも 東京裁判で裁かれたんです。  今絶版になっているようですが、 参考URLのような本もあります。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393441532/qid=1118930464/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-4394699-5141160
  • kikiki99jp
  • ベストアンサー率12% (132/1021)
回答No.9

勝てば官軍です。 でも敗戦国日本の行為が、正しかった理由にはなりません。 戦争はおろかな行為なのですから。 正しかった戦争などありません。

回答No.8

戦争!大昔からなんら変わっていません。勝者が敗者を裁く!これがまさに戦争なのです。どんな理由も”コジツケ”に過ぎません。原爆投下の理由を、早く戦争を終わらせる為!と言ってるように!勝者は常に正義なのです。敗者は悪者(悪い国)!誰かが責任を負わねば勝者は許さない!のです。~世界が裁く東京裁判~ご一読を・・・

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.7

重要な点は、これらの裁判が戦争終了まえに行われているということです。あくまでも戦争終了とは、講和発効をもって終了しますから、それ以前に行われていることは戦争行為であり、戦争裁判も戦争行為の一環だということが言えるでしょう。 戦争において敵軍を倒すことは手段に過ぎません。戦争目的を達成することが本当の目的であり、そのため敗軍を武装解除し、戦争裁判を行うのです。つまり戦争の総仕上げのひとつなのです。したがって敗者が裁かれるわけです。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.6

誤記がありました。訂正します。  クラウゼヴィッツの『戦争論』における戦争の定義、つまり「戦争は他の手段による政治の継続である」に基づくならば、「戦争の反省」というのは、戦場の悲劇を訴えることや、自分たちのイデオロギーの発表の場にすることでもなく、「敗因を正確に分析して、次は失敗しない」ことでしょう。そういう意味では、日本ではまともな「戦争の反省」はできていないような気がしますね。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

 まず始めに、政治カテゴリーですから、道徳的・哲学的・宗教的な意味での「罪」を議論する必要はないでしょうね。  さて、戦勝国によって裁くというルールが生まれた背景をご参照ください。 『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 「極東軍事裁判関連」から http://mltr.e-city.tv/faq08h18.html <【質問】なぜ戦勝国が敗戦国の戦犯を裁くという、復讐裁判に転化され易いルールがまかり通ったのか?> http://mltr.e-city.tv/faq08h18.html#02088 <【回答】第1次大戦における戦犯追及の大失敗の反省を踏まえたため>  さらにいえば、次のやりとりもご参考までに。 <【質問】それは事後法(※極東軍事裁判のこと)で裁く事にならないのですか? 【回答】国内法だろうが国際法だろうが、法とは、強者が自分の獲得した権利を維持継続させるため、尤もらしい口実を設け、作ったもの。  弱者がそれに不服なら、国内では革命、対外的なら戦争に訴えるしかない。  日本は、その戦争に訴える賭けに出て敗れたのだから、事後法だろうが何だろうが,何をされても仕方ない立場。 「勝者は敗者に対する万能の神である」by 東条英樹 in 巣鴨刑務所。 【質問】それは、いくらなんでも自虐的過ぎる見解ではないか? 【回答】そういった主張を許せない、と思っても、戦争に負けたらそうなる。  ビスマルクの言った 「大国は自らに利あれば万国公法(国際法)を押し付けるが、これが一度不利となるや、軍靴をもって踏みにじる」 という主張は今も昔も基本的には真理だよ。  それが嫌なら、戦争に勝つか、始めから負けるような戦争はしないことだな。  まあ現代では、あまりやりすぎるとその後が困るから、そんなにやりたい放題はしないけどな。 【質問】それはつまり、今日的に見れば問題があるが、覆すことはできない、ということか? 【回答】そう思ってくれていい。貴方は「自虐ではないか?」という質問をしたが、オイラはあえて「自虐であるかどうか」というスタンスで答えなかった。  なぜならオイラが軍ヲタだからだ。それが自虐だろうが他虐だろうが反日だろうが興味はない。  その主張を聞いて「自虐だ!」と怒るのがコヴァ〔小林よしのり狂信者〕であり、 「じゃあ,負けないようにするにはどうしたらいいか?」を考えるのが軍ヲタなんだよ。  つまり戦争に対する根本的な切り口が,コヴァと軍ヲタでは違うんですわ。  ちなみに、「そもそも闘う必要があるのか?」 まで遡って考えるのは政治オタですな>  クラウゼヴィッツの『戦争論』における戦争の定義、つまり「戦争は他の手段による政治の継続である」に基づくならば、「戦争の反省」というのは、戦場の悲劇を訴えることで、自分たちのイデオロギーの発表の場にすることでもなく、「敗因を正確に分析して、次は失敗しない」ことでしょう。そういう意味では、日本ではまともな「戦争の反省」はできていないような気がしますね。

参考URL:
http://mltr.e-city.tv/faq08h18.html
  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.4

罪があるか無いかではなく、不愉快な者を、都合が悪い者を殺せということですからね。 フセインも口止めしないといけないこともあって、なかなか世間の前に出さないのだと思います。 記者会見やってもいいとは思いますが。

  • edf
  • ベストアンサー率21% (47/222)
回答No.3

戦争自体が、2国間(もっと多いかもしれませんが)のルールの押し付け合いなので、 負けた方が勝ったほうのルールにしたがう。 そして特に敗戦国の責任者は主犯として罰せられるのだと思います。 この場合、戦勝国は自分たちのルールを破っていませんから 裁かれたり罰せられたりすることがないのでしょう。

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