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サグラダファミリアについて
バルセロナにあるサグラダファミリアについて知っていることがあれば教えてください。学校で建築物のレポートをできるだけ早めに書き上げてしまいたいんです。些細なことでもいいので教えてください。
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- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
ある季節にサグラダ=ファミリア教会の真後ろから朝日が昇るのが素晴らしいそうです。ガウディは、建設費を稼ぐために自分の財産をすべて教会に寄付し、生活もままならないまま募金と設計に明け暮れたそうです。路面電車に轢かれるまでは、 、、、、、、。
- kanegonok
- ベストアンサー率15% (2/13)
はじめまして。大学で建築を勉強した者です。 No.#4のJIMIさんの回答を補足させていただきます。 「一本の鎖を両手に持って、ダラーンとたるませたときの形」これは専門的には「カテナリー曲線」と言います。そしてカテナリー曲線の形を成したアーチを「カテナリーアーチ」と言います。 垂直方向の均一な荷重に対して強い形状なので、ガウディだけに限らず近代建築においてよく使われてきました。 以上、ご参考になれば。
- JIMI
- ベストアンサー率58% (125/215)
構造的な話を.... サグラダファミリアの塔の形(細い放物線を逆さにしたような形)は、一本の鎖を両手に持って、ダラーンとたるませたときの形を上下ひっくり返した形を元にデザインされました。ガウディは「この形は構造的にも優れており、このような有機的建築デザインは構造的に優れている」というようなことを言っていました。
- ojiq
- ベストアンサー率41% (121/291)
1984年に作られた記録映画に「アントニー・ガウディー」〔監督.勅使河原宏〕があります。以下にその内容を紹介します。サグラダファミリアについては、最後の方で触れています。参考にして下さい。 ナレーションはなく、説明の字幕も極力抑えて、「アメリアの遺言」と武満徹の音楽で静かに建築家ガウディーの世界を見せていく記録映画である。従って伝記的な要素もほとんどなく、動く博物館といった切り口は、実に清々しく、観ていて心の落ち着きを感じることができるだろう。 スペイン内戦当時の弾痕が残るバルセロナは、ピカソ、ミロらのゆかりの地でもある。20世紀初頭、ガウディーと同時代の他の建築家の作品が紹介された後、いよいよガウディーに移る。先ずは、「カサ・バトリョ」。鱗のような瓦、骨のような柱や階段のてすり、とんぼの複眼のような窓、キノコのような椅子、貝殻のような天井や窓、あばら骨のような屋根裏部屋。複雑な曲線が幻影・幻想へと誘う。「カサ・ミラ」。「スター・ウォーズ」のダース・ベーダーを思わせる外観。昆虫か甲殻類を思わせるベランダのてすり。海草のような大きな入口が開く。中は、海底深く沈んだ遠い時代の宮殿のようだ。レリダ県タウールは、中世のたたずまいを残した町だ。ガウディーは若い頃、中世文化を発掘する運動に関わった。 「カサ・ビセンス」〔1883年〕。ガウディー最初の作品だ。動物や植物を象った装飾は抽象化の度合が低く、直線的で、生硬な印象が強い。「テレーサ学院」。丸みを帯びてくるが、まだ見る者に幻想を抱かせるには至らない。「グエル別邸」。「エイリアン」の造型を思わせる門。グエルは、ガウディーにとっては、最大の理解者で、友人であった。グエル別邸の厩舎は、今はカタルーニャ工科大学の一部になっている。 「グエル家の酒倉」〔1895年〕から作風が激変する。えび、貝、魚、海産物の豊富なバルセロナ。「コロニア・グエル」。グエルは工場に隣接して文化・医療施設を作る。「サグラダ・ファミリア教区学校」。1898年、最後の計画として、教会が建設されることになる。「コロニア・グエル地下聖堂」。ミロの絵を思わせるモザイク、花びらのようなステンド・グラス〔これは、花びらの形のままに個別に窓が開く仕組みになっている〕、広げた雨傘を思わせる天井、バナナの木のような柱。「パルケ・グエル」。自然の起伏をそのままに生かした公園である。お菓子の家のような外観を持つ建物。カメレオンのような水飲み場。公園の周りを囲むようにのびるてすりには、聖人の物語が描かれているかのような印象を受ける。原始の誕生を思わせる渦巻状にのびていく柱の列。聖地モン・セラを見る時、私はいつも「北北西に進路を取れ」に出てきたラシュモア山を思い出す。 「サグラダ・ファミリア贖罪寺院」。トウモロコシを思わせる巨大な尖塔の群れ。足の関節を連想させる上層部の飾り。ボカビリアという本屋さんが作り始めたこの教会をガウディーは引き継ぎ、独特なスタイルに作り替えて行く。「生誕の門」を設計する時、ガウディーは20日間の断食を行い、ふらふらになる。若い頃の軽薄さを清めようとしたためという。その門には、キリストにまつわる色々な人物が描かれる。1926年6月10日、ガウディーは不慮の事故で亡くなる。その後、スペイン内戦で「サグラダ・ファミリア贖罪寺院」の模型が壊れてしまったため、復元するのに手間取る。一本の柱でも、切れ目なくどこにでもつながっていてほしいという願いを持っていたガウディー。引き継ぐ人が独自のものを付け加えて行くことで、もっといいものになっていくはずだと考えていたガウディー。この寺院の完成には、まだ100年はかかると言われている。
- yosikun
- ベストアンサー率43% (235/542)
些細なことでもいいので教えてください・・・ということであれば、ネットで「サグラダファミリア」と入れて、検索するのが良いかとは思いますが・・・ 取り急ぎ参考になりそうなページを <Antonio Gaudi> http://www.shibata.nu/~gaudi/ <ガウディについて> http://www.palnetwork.com/chie/1999/10/indexb.html あとは検索するとゴロゴロと・・・