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嘘をついてはいけない?
なぜ「嘘=いけない」と認識されているのでしょうか?大学のレポートの題材にしたいので皆さんの意見を参考にさせてください!
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レポートということなのでちょっとしたアドバイスを。 ものごとをある程度断定する場合、その逆の現象から推察する手法が あります。この場合は「嘘=いけない」の逆、「正直=いい」のことですね。 中国の故事にこんなものがあります。 「私の村の青年はとても正直者で、ある時、彼の父親が盗みを犯したときも 彼は父親の罪を告発したんですよ」 これに対して 「私の村とは違いますね。私の村の正直者は、たとえ父親が盗みを犯しても、 子は親をかばうし、親は子をかばうものですよ」 あなたはどちらが人として正しいと思いますか? ただし、現代の感覚だと警察に出頭するべきだと説得するのが正しいと 言われそうですが、当時は窃盗は死罪であることから推測して下さい。 人が嘘をいけないことだと認識するのは律だからなんです。 つまり集団生活を営む上での律に従うことが、社会の最大公約数に なるということです。認識と感情は別ものということですね。
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- imasa
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集団的・共同社会においての規範として「嘘=いけない」としつけられたからと思います。 嘘=間違った情報を意図的に流す、伝える。と狭義に定義すると。おそらく個人または特定の集団が嘘をつくことは、他のうそをつかない個人や集団より時として優位に立つことを目的とするためではないでしょうか。そして、そのことが連鎖的に行われたとき、どれが正しい情報なのか、わからなくなり、ついには個人や集団が危機に瀕することが多々あったのではないかと思います。または、そのようなことを思い描いた人たちがいたのではないでしょうか。そして結果として、皆同じく正確な情報を共有することが集団で共同生活を営む上に必要と考えるに至ったのだと思います。旧約聖書モーゼの十戒、大乗教典にもあります。汝嘘をつくなかれと。そして、嘘をついたら閻魔様に舌を引き抜かれるよ、と。 人の知恵と思います。ちなみに、数学の問題でありますよね、三人の内一人が嘘つきの時、二人が、三人とも、または全員が正直者の時、受け取る利益の平均は?。 確か、全員が正直者の時高いはずですよ。
お礼
ありがとうございました。 「納得。」でした。参考にさせていただきます。
- savaren
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まず、「嘘=いけない」という認識はおそらく 嘘をつかれた→不快な気持ちになった→嘘はいやなものだ→嘘をつくことはよくない ということで出来上がったのだと思います。 つまり、「嘘=いけない」といわれる場合の「嘘」は 相手を不快にさせるようなものであるわけです。 しかしながら、同じ嘘ということばでも 相手を不快にさせないような「ウソ」もあるわけです。 例えばそれは人間関係を円滑にするための”建前”であったり 友人を励ますための”思いやり”であったり 教育のための”厳しい言葉”であったりするわけですが、 ここで、難しいのは相手を思ってついたウソが必ずしも相手を不快にさせないか というとそうでもない所にあります。 気持ちのすれ違い、価値観の違い理由は色々でしょうが、 僕の経験上、タダのおせっかいになってしまうことも多々あります(笑) でも、やはり「嘘」と「ウソ」の間には明確な境界線があるわけで その差異性を認識して考えることが大事なのではないのでしょうか。 最後はちょっと論理が破綻しかけてますが ちょっとしたヒントにでもなったら幸いです。
お礼
素敵な回答ありがとうございました。 思わず今までの自分を振り返り、苦い経験を思い出したりしました。 人間て難しいですよね、機械みたいにマニュアルがないから。
- Haizy
- ベストアンサー率40% (404/988)
tomato4409さん、こんにちは。 私見では在りますが、お付き合いください。 「嘘」は、必ずしもいけないのではない。 誰かを守る為の「嘘」は、悪いものとは言い切れない。 誰かを陥れる為の「嘘」がいけないのではないでしょうか。 例えば、独裁者を陥れる嘘は、民衆の為では在るが、同時に他人を陥れている。 同じ事をするにあたり、大事なのは、その真意・心境なのではないでしょうか。 表面上だけで、結果を求めては”所詮それだけ”の結果しか出ないでしょう。 最後に 「嘘」は、口に虚(むなしい)と書きます。 むなしいのは、嘘をついた人間か?つかれた人間か?はたまた、双方でしょうか? レポートがんばってくださいね。 でわ
お礼
丁寧な回答、ありがとうございました。 とてもわかりやすかったです、参考にさせていただきます。 レポート頑張るぞ!
- huchio
- ベストアンサー率25% (7/28)
言葉とは、本来真実を述べるためにあるものだからです。
お礼
なるほど。 ・・・なるほど。 ありがとうございました。
嘘をついた時、言葉がいやに空虚に響いた覚えがあります。 本心ではない言葉を使う時って、なんだか心の手ごたえ(?)が違いますね。 自己表現としての言葉と、自己の表現したいことと。 それを同調させるのは日頃の努力、訓練だと思います。 嘘をつく、という行為は逆の訓練になると感じます。 精神衛生上から見ても、あまりいいこととは思えません。 日頃平気で嘘をつけるようになってしまうと、だれにも信用されない『おおかみ少年』になるのでしょう。 嘘をつかないこと……良識でもあるでしょうが、「身のため」という見方もあるのでは?
お礼
ありがとうございました。 「身のため」、確かにそのとおりかもしれませんね。 うそをついた時もバレタ時も一番痛むのは自分の心かもです。
- nabayosh
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嘘をついたことで良心がとがめるなら、悪いことでしょう。 法で禁止されたことをやる時も良心がとがめますよね。 でも、本当は逆で、良心がとがめるようなことが「悪いこと」なんじゃないでしょうか。 そうすると、僕は何度も良心を裏切ってきたなぁ。
お礼
ありがとうございました。 ドキッとしました。良心を、自分自身を私も何度と裏切ってきました・・・。
- ikijibikix
- ベストアンサー率14% (3/21)
回答の種類は、とりあえず”回答”としましたが、私なりの考えですのでその辺のところヨロシク! ”嘘”には「…をつく方の論理」と「…をつかれる方の論理」が有ると考えます。 「嘘=いけない」は嘘をつかれる方の論理であり、嘘をついた方にとってはメリットが有るから嘘をついた訳ですから、「嘘=都合が良い」となります。 嘘を殺人に置き換えるとどうなるでしょう。戦争で大勢の敵を殺すと英雄になり、一時の感情で人を殺せば犯罪者になる。つまり同じ行為でも時と場合と事情によって意味が変わってくると言う事です。私なりの結論としては、人と言う生物は常に自分にとって都合の良い「言い訳や環境」を創るのが上手な生き物である様な気がします。 ご質問の主旨と違ったらゴメンナサイ、失礼しました。
お礼
ありがとうございました。改めて、とても深く難しいテーマなんだなと思いました。参考にさせていただきます。
お礼
ありがとうございます。 何度も読み返しました、とても有効なアドバイスになりました。 レポートもはかどりそうです。