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日本史上最後の飢饉は?

いろいろな要因があると思います。 しかし、ここ何十年か「飢饉」という言葉が廃れるほど、実際上消滅したのではないでしょうか。 それで、最後の飢饉はいつだったのだろうと興味を持ちました。 私なりに考えたのは、1918年の「米騒動」だったのではということです。これを境に、前近代的な食料危機というのが終わりを告げたのかなと感じました。

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回答No.2

1918年の米騒動は飢饉でもなんでもありません。 単なる米屋の出し惜しみが原因です。 日本での最後の飢饉は1930年~1934年まで続いた冷害です。 日本では30年に一度小さな冷害、60年に一度大きな冷害がきます。 日本では一昨年辺りから大きな冷害がきているようです。大きな冷害の特徴は必ず間に酷暑があり、米価が暴落する原因になります。天保の飢饉、1931年が酷暑の年で、米価が大暴落しています。

その他の回答 (5)

  • otty1970
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回答No.6

こんにちわ。<(_ _)> 1993年の冷害で起こったときの米不足も飢饉的なものだったのかなあと思います。 ただ、この時代だと米がなくても他にもいろいろと食べ物は豊富だから、日本中が飢饉になったと言うわけではないですけどね。 農作物の不良と言う点ではないですが、やはり戦後の混乱期の食糧難の時代も「飢饉」と言えるのではないでしょうか?

noname#32495
質問者

お礼

飢饉というと悲惨な状況が起こるものという頭があって、ああいうなんでもない状況はそう思えないですね。「ダイエット」とかいう言葉が消滅しないとだめでしょう。 戦後も多分そうでしょう。流通の不備限界ですか。また1945年は凶作らしいです。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

 江戸時代の場合は、いわゆる「泰平の世」が長く続いたことにより、食料自給率の限界に近いほど人口が増加したことも要因のひとつでしょう。 「食料はあるのに飢饉が起きる」という場合もあります。つまり食料の輸送経路・配給体制の不備によるものです。戦後の食糧難がその一例ですし(逆に戦時中の方が輸送経路が確立していたので、物資不足ながらも配給は確実に行えたようなものです)、アフリカや北韓(北朝鮮)の飢饉・飢餓というのも、海外の援助物資が存在しながらも、一般に行き渡らず、外貨獲得のために援助物資を輸出している(していた)場合もあります。 「ようするに食料形態を分散しておけばいいし、やはり輸入がストップしてもまかなえれば強いのでしょう」  逆です。国内での食料自給率では日本国民の大半はまかなえません。海洋国家では政治力・外交力・軍事力によって確実な輸入経路の確保が方が大切なのです。  

noname#32495
質問者

お礼

輸送経路の重要度納得しました。 やはり日本のような、江戸時代から限界な国家では、自給自足などは望み得ない状況ですね。 難しい国に住んでいるものです。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

飢饉には天災的な面と社会的な面との両面があります。 20世紀に入ってからはどちらかといえば後者の影響が強く出ています。 戦争、労働力の不足、耕作地の荒廃、社会的食糧不足など人為的な要因による事が多く多数の餓死者を出すような深刻なものは無くなりました。 天災と社会的の両面を持ったどうしようもない飢饉は19世紀の江戸時代が最後だったと思います。 多数の餓死者も出し、絶望した農民の離村による耕作放棄、難民化した農民の都市流入、それに伴う治安の悪化と騒擾から社会不安という連鎖が増加しました。 国民の反乱にまで及んだのは江戸時代です。 1800年台初期の豊作時銀35匁であった米価が天保4年(1833年)の飢饉では銀98匁強、天保8年には銀172匁を越えました。 当時鎖国中で輸入は出来ませんでした。

noname#32495
質問者

お礼

人為的なものは壊滅的でないということが言えるようです。戦後のものはそういう類でしょうか。 例に挙げていただいた、幕末の米価高騰は不思議です。著しい自然変化があったわけではないのにこういうことがおきるのは、社会情勢の変化でしょうか。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.3

1993年(平成5年)が記憶に新しいですね。 長梅雨&大冷夏&大冷害で米が大不作。政府の備蓄米が無くなり、タイ米の緊急輸入がありました。 米が日本の食生活に占める割合が少なくなった現代だから、飢饉までにはなりませんでしたが。 近代的な食料危機は終戦直後で、 1945年(昭和20年)1947年(昭和22年)に、食料難から餓死者が出ています。

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se50-2.htm
noname#32495
質問者

お礼

あれが一種の飢饉だったのですか!ただタイ米になっただけで、まるで危機感なかったです。ようするに食料形態を分散しておけばいいし、やはり輸入がストップしてもまかなえれば強いのでしょう。 かつて江戸幕府がやった、サツマイモ奨励計画もこの類ですか。 戦後の食糧難はなぜ起こったのかよくわかりません。

回答No.1

1918年の米騒動は飢饉でもなんでもありません。 単なる米屋の出し惜しみが原因です。 日本での最後の飢饉は1930年~1934年まで続いた 冷害です。 日本では30年に一度小さな冷害、60年に一度大きな冷害がきます。 日本では一昨年辺りから大きな冷害がきているようです。大きな冷害の特徴は必ず間に酷暑があり、米価が暴落する原因になります。天保の飢饉、1931年が酷暑の年で、米価が大暴落しています。

noname#32495
質問者

お礼

そうですか。 スペイン風邪かなんかと連動していたのではと思ったのですが。 やはり、冷害とう自然条件で近年も飢饉的状況になるものです。1930年代がそういう状態とは知りませんでした。これも戦争勃発の一因かもしれないと思いました。

noname#32495
質問者

補足

気候が歴史を大きく動かすというのはあります。 鎌倉時代末の地球規模の寒冷化が、幕府崩壊の近道になったり、17世紀ころからはまるそれも、やはり何か影響したでしょう。 考えてみれば、縄文文化の発展というのは、もっと大きなスパンの地球温暖化がもたらしたものです。弥生の小寒期というのも、やはり時代をシフトさせる要因となったのでしょう。 自然環境と歴史は興味深いテーマだと思います。

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