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運命について

25歳の男です。何十万人に一人、という確率の難病にかかり命を落とす人や、事故などに巻き込まれ若くして死ぬ人がいる、という事実が受け入れがたいのです。多分に精神的、宗教的な話になってしまうと思いますが、何故そのような不公平が存在するのか、納得行くような説明を教えて欲しいのです。 ちなみに僕は、斎藤一人さんの本などが好きで、幸せ=考え方、気付きだと思うので、病気だから不幸せ、とは一概に言えない事は分かるのですが・・もしそうした人たちに出会ったとき、「かわいそう」なんて思うのは失礼だと思うし、どうしたらそういった人たちを前にしても暗い気持ちにならず、逆に元気付けてあげられるでしょうか? また、こうした問題にも答えてくれる、尊敬できる心の師を持っている人がいたら、その人の事も教えて下さい。よろしくお願いします。

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  • dareka
  • ベストアンサー率17% (10/57)
回答No.6

「何故そのような不公平が存在するのか」っていう考え方がよくわかりませんね。 だいたい人間みんなが公平なわけないじゃないですか? ものすごい努力をした親から生まれた子供と何も考えず適当な人生を送ってきた親から生まれた子供とでは、子供の代でものすごい差がついているんですよ。 (いわゆる親の因果が子に報うってやつ…。) 人それぞれ本当にいろんなことが違うんですよ。 生まれたときから、どんな親から生まれるかによって、全く境遇、容貌、能力、運などまで何から何まで、違うんです。 わたしの家族は「何十万人に一人、という確率の難病にかかり命を落としかけたり、事故などに巻き込まれたりして何度も入院」しています。本当によく生きてるなぁ。普通死んでるよな。結構しぶといなぁ。(笑)って思うくらいです。 その人を長年観察していて、思ったんですが、言動にかなり難ありなんですよ…。良いところも一杯あるんですけど、かなり人の気持ちを傷つけるような言動が多いんですよね。わたしは、その人に何度も傷つけられてきました。でも我慢してきました。そのたびにその人に天罰が下っているんだと思ってます。正直いいかげん、自分の言動がどれだけ人に不快感与えているのか、気付けよって思ってるくらいです。(いまだに気付いてないけどな。) 別にあなたからみて不幸な人を見て、暗い気持ちになったり、元気づけてあげたりしなくていいんじゃないの? そんなこと誰もあなたに頼んでないでしょう? 頼まれたんなら「わたしになにかできることがありますか?」って聞いて、頼まれたことをすれば? 励ましてほしいって言われたんなら、励ましの言葉を考えて言ってあげたらいいんじゃないの? わたしは、わたしの家族が難病だからって、別に他人に暗い気持ちになんかなってほしくないです。他人には関係ないことだし。 他人の不幸に気持ちを煩わされてる人より、自分の幸せに集中している人のほうが、好きです。 こころの中で「大変なんだなぁ。病気が治るといいなぁ。」ぐらい思って、「病気が治りますように!」ってお祈りでもしてくれてたら、嬉しいけどね。

kazukundegozaru
質問者

お礼

ありがとうございます!その方の、”言動にかなり何難あり”という所が引っかかりました。斎藤一人さんは、「幸せは、口から出る言葉で決まる」と教えてくれたのですが、人の心を明るくするような事を言っているとドンドン運勢が良くなり、逆に悪口や文句、泣き言など言っているとドンドン良くない事が起きてしまうそうです。 僕も、自分の幸せを追求して、他人にもその明るさをおすそ分けするぐらいの気持ちでがんばります!

その他の回答 (5)

  • kirinko
  • ベストアンサー率35% (100/282)
回答No.5

私は人からみれば、いわゆる「波乱万丈」な人生のようです。運がいいぶん、落ちるときはこてんぱんに落ちる。そのふたつの繰り返しです。 10代はかなり最悪でした。なんで私ばっかりこんな目に、といくど思ったでしょう。 でも、結婚して子供ができて、相変わらず落差の激しい浮き沈みがあっても基本的なところで心の安定がある環境を得た今、すごく思うんです。 いいことも悪い事も、すべてのことには、必ず理由があるのだと。 どんなにひどいできごとに遭遇しても、それは将来必ず「ここまで生きてきて本当によかった」と思うときのための礎石なんです。その礎石は、1cm、1秒ずれても目的の場所には辿り着かない。 あ~あ、と思うような壁に当たってしまったときも、これも礎石、と思って納得するようになってからは、私自身、とっても楽になりましたよ(当然その時点であきらめるのではなく、全力を尽くします。よりよい将来のために)。 もちろんそれは妥協ではなく、ある意味発想の転換であり、同時に真実だと思うのですが、いかがでしょうか。 それから、「かわいそう」が私もだいっ嫌いです。そういう発言をする人は、「人の不幸は密の味」タイプの偽善者です。比較でしか自分の幸福度をはかれないなんて、その本人こそが、「かわいそう」ですよね。

  • ardoise
  • ベストアンサー率18% (11/60)
回答No.4

こんばんは。 確かに、受け入れがたい事実ですね。 私が思ったことは… あなたは今まで、何かを食べて生きてきてますよね。 知らない間に殺してしまった生き物もいないはずがありません。 互いに苦しませずには生きて行けないのが、ここです。 いつかは自分も苦しんで死ぬでしょう。 その苦しみに優劣があるように感じられますが 精確には優劣ではなく、互いに別の存在であるから別の苦しみがある、そういうことなんだと思います。 分かり合い切れない、同じ存在になれない それはもうここの現実ですから それを置いておいて 互いにできる最善のことをしていく以外に 心の痛みを消す方法はないのではないでしょうか? 苦しみは互いに比べるものではないと思うので 私は、辛そうな方を前に義務感めいたものを感じるより その方が何を求めているのか、どう応えてあげようか、と考え 相手の気持ちを分かろうと努めています。 初めは誰でも驚いてしまうため、義務感めいたものを感じてしまいますけど。。 それとも、酷い苦しみもあるここの存在自体が 受け入れられないですか?? もしそうなら、折角ここに生まれたのですから 今できることはできるだけしてみる方が ずっと良いと思いますよ。 辛いことを抱え切るだけの辛抱強さをお互い持ちましょう。

  • ecco90210
  • ベストアンサー率22% (315/1382)
回答No.3

こんばんは~☆ 私もo24hiさんのご意見と同感です。 <こうした問題にも答えてくれる、尊敬できる心の師> います。亡くなった祖母です。 私が18歳の時に亡くなりましたが、天使のような人で、私の心の中にたくさんの種をまいて他界しました。今になってその種達が芽を出し花咲かせ私の手助けをしてくれてます。 私の祖母はハンデキャップのある方々の事を、健常者で生まれてきたらと~っても凄い事を簡単に出来てしまうから、私達と同じレベルにするために、神様ハンデをつけたんだよ・・・だからお前もハンデキャップのある人に負けないように何でも一生懸命やるんだよ。なんて話してくれました。 また、前世や運命の話もたくさんしてくれました。 若くして早くに亡くなってしまう人は、人間界の修行が早く終わっただけなんだよ・・・ お前だって、お母さんと離れて遠い所で暮らしてたら家に帰りたいって思うだろ??でも課題が終わんなきゃ帰れないし、寂しいだろうからたくさんの楽しい事も用意されてる。でも、私達はそうゆう記憶を忘れてこの世にきてるから、お家に帰るだけの事を悲しい出来事って思ってるんだね。 でも悲しい事って思ってないと、課題が終わんないうちに帰ろうって思って自殺しちゃったりするから、忘れてて良いんだよ。 そして、あの世に帰らないで楽しくこの世を生きたいって思えるから、自分への課題にも前向きに挑戦できるって思うよ。なんて・・・もっと簡単な表現だったと思いますが沢山お話してくれました。 貧しい家に育ち、学校にもろくに行ってなく、自分の名前を漢字で書くのが精一杯の人でしたが、周りの人に優しく、面白い人でした。葬式は一介の婆さんが亡くなったにしては異例ともいえる数の祖母を慕う参列者でいっぱいでした。 火葬した祖母の喉仏は本当の彫刻の様に仏様の形をしていて、火葬場のスタッフが皆見に来た程でした。

kazukundegozaru
質問者

お礼

遅ればせながら、回答ありがとうございました。 すごいおばあさんだったんですね!僕もあれから色々な本を読んで、あなたのおばあさんの言っていたような話も知りました。でも、そのおばあさんが色んな本を読んでそういう事を知ったんだとは、考えづらいですね。仏陀のお弟子さんの生まれ変わりとか、そういう人だったのかもしれないですね~。今この回答を読んでもすごく勉強になります。

noname#62656
noname#62656
回答No.2

 質問者さんを納得させられるような回答かどうか自信はありませんが、若くして人生を終えた人(つまり自分で…と言う意味です)、終えざるを得なかった人(こちらは選択の余地無く亡くなった人)を、何人も見送った経験があります。  以前…つまり人生の終焉を幾つか見送るような経験をするまでは、運命や命について、そう深く思い悩むこともなかった私ですが、何人もの10代20代の友人、知人、身内を見送る内に、そういうことを頭がおかしくなるくらい考えるようになりました。これは「不公平」ではありません。  言葉にするととても平坦ですが、難病にかかっても、すぐに亡くなる人ばかりではありません。大きな事故に巻き込まれても、奇跡のように無傷で助かる人もいます。自らの人生を終わらせようと決意しても、命を落とせない人だって沢山います。  なのにどうして、私の大切な人達は旅立ってしまったのか。今私が思うのは、そういう人達はきっと、人生における使命を果たし終えたのではないかということです。  亡くなるということは、不幸なことではありません。若くして死す、という言葉に、「可哀想」という反応を示す人は多いのですが、生きているということは、結構つらいものです。苦しいことも沢山あります。そういうことから解放されたいと願う人にとっては、死は安らぎでもあるわけです。  もちろん、死にたくないと願いながら、命を終える人も沢山います。ですが「若い死=不幸」とは言い切れないと、私は思います。遺族としてそう願うだけなのかもしれませんが。。。  憎まれっ子世にはばかる、と言いますが、若くして亡くなる人は、人間的に素晴らしい人が多いです。そこに当然のように存在していた人がいなくなると、人は良い思い出しか思い出さなくなるのかもしれませんが、決して歳をとらず、沢山の人に良い思い出しか残さずに逝くことも、一つの幸せであると思います。  歳をとって死ぬ場合には、残す恥の量も増えますし、残される友人知人の数も減っています。歳をとると「死」に対する免疫も付いてきますから、故人を偲ぶ度合いも、やはり薄いでしょう。大往生をとげた老人を、慟哭して見送ってくれる人が、果たして何人いるでしょうか。。。  歳をとり、穏やかに、お疲れさま、と見送られる幸せもありますが、惜しまれ、泣きわめかれ、何度も思い出をよみがえらせては泣いてくれる人がいること…それも、ひとつの幸せの形です。  若くして亡くなることを推奨しているように取られると不本意ですが、そういう人を「可哀想」とか「不幸」とは思って欲しくないのです。  ですから、そういう人を前にしても、暗い気持ちになる必要はありません。元気付ける必要も、ありません。私としては、人生は短くとも立派に生き抜いたんだ、という最低限の尊敬の念を抱いてもらえれば、とても嬉しいです。

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.1

 こんばんは。 >多分に精神的、宗教的な話になってしまうと思いますが、何故そのような不公平が存在するのか、納得行くような説明を教えて欲しいのです。  宗教的なお答えでもよければ、宗教家の「江原啓之」さんの受け売りになりますが、  人間は死後、霊界にしばらくとどまり、また「現世」に再生し、それを繰り返しながら魂が浄化し、しだいに霊性を高め、最終的には「神界」の光に溶け込んでいくというもので、魂が浄化しないと死後にさまよってしまい、「神界」にたどり着けません。  何度も生まれ変わり、磨くことにより、魂が浄化し、しだいに霊性を高め、最終的には「神界」の光に溶け込んでいくからです。  人はそれぞれ、この世に生まれる際に、この世での学びのプログラムが与えられているそうですから、何十万人に一人、という確率の難病にかかり命を落とす人や、事故などに巻き込まれ若くして死ぬ人は、あらかじめそういうプログラムが与えられており、それを全うすると魂が浄化されるわけです。  ですから、本人にとっては全く不幸な事ではないと言う事です。 >病気だから不幸せ、とは一概に言えない事は分かるのですが・・もしそうした人たちに出会ったとき、「かわいそう」なんて思うのは失礼だと思うし、どうしたらそういった人たちを前にしても暗い気持ちにならず、逆に元気付けてあげられるでしょうか?  お心がけは大変すばらしいと思いますが、少し前段のお考えと、後段のお考えが矛盾しているように思います。  そういう方を「かわいそう」と思うのが失礼ならば、そういう方は元気付けなければならないと思うことも、同じく失礼と言うか思い込みだと思います。  普通に接する事が大切だと思います。

kazukundegozaru
質問者

お礼

ご返事遅れましたが、どうもありがとうございました!自分では気付かなかった指摘を頂き、ハッとさせられました。確かに、普通に接することが大事だと思いました。それだけでも、偏見を持ったりする人よりずっとずっといいですね!

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