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「気づき」なるものが自分の中で起こる瞬間
まず私は宗教信者ではありません。(通っていた学校は宗教学校でしたが) 私には、多分一般でいう「気づき」というものが、ふとした瞬間に起こる事があります。 今まで、大学生の頃1回、ここ1年くらいでは3回ほど「気づき」の瞬間を体験しています。 あるものごとに対して、ある瞬間に、自分の中で、「ぱっ」と解決方法が理解出来るというか、 「あっ、そうだったのか!!」って、言葉では上手く言い表せないのですが、 とにかく気づくことがあるのです。 ある教授の、普通の人にはなんてことのない一言で、 子供の頃のトラウマなようなものが「そうだったのか」って 瞬時に解決?実感?出来て、自分の中に吸収されていくような瞬間を 体験したのがはじめての「気づき」でした。 その瞬間は大学の講義中だったのですが、涙があふれてきて、 とにかく訳もわからず一人で感動しました。 その時は、その現象が何なのか分からなかったのですが、 一ヶ月後頃に大学の講義の中で「気づき」のワークというものをやった際に、 自分に起こった現象がその「気づき」であるということが判明しました。 ここ一年では、特に「気づき」というものが起こるようになっています。 会社内での問題や解決策とかを、日々どこかでなんとなく自分の中で考えていて、 ある人の一言とか、インターネット上でたまたま見かけた情報、今までの過程が一本の糸のように結びついて、 瞬間的に解決策が自分の中に流れ込んできて、理解と感動と解決方法をもたらしてくれます。 また、ある時は、ある知人から自分自身の「気づき」をもたらされた数日後、 友人自身の悩み相談を受けていたところ、 直感的に私にも出来るかもしれないと思い、 実際に、その友人にまで「気づき」をもたらし、 びっくりさせたこともありました。 起こるときは夜寝る前、布団の中でふと起こる事が多く、 大学の時のように講義中や仕事中にも起こったりします。 起こった瞬間はアドレナリンがドバーっと溢れ出てすごく興奮する感じです。 想像力は仕事柄もかなり豊かな方なのではないかと思います。 ただ、一般的に「気づき」というものが概念的にあるということは 現在でも理解出来ているのですが、その正体がよく理解出来ずにいます。。 今まで数人にしかこの事を話した事はありませんが、 周りの人にはそのようなことが起こるといった人は聞かないので 自分って宗教信者でもないし、特殊能力(笑)?なのか、 何かおかしいんじゃないのかなあとかと思ったりもします。 「気づき」の体験をされた方、もしくは「気づき」とはなんなのか。 うまく説明して下さる方はいらっしゃいませんでしょうか?? 宜しくお願い致します。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 私は「気づき」、というのは何も特別なことではないと思っています。 昔からある言葉で、「腑に落ちる」というのがありますよね。 私は「気づき」=「腑に落ちる」だと思っています。 そして、日常生活の中の些細なこと、友人達や両親から言われたことなど、いろいろな事が その時は納得せずに単に聞き流してしまっていた事などがある日、突然「腑に落ちる」。 「腑に落ちる」というのは頭で考えるとか理性で納得するのではなく、 ただ、理由なくストンと心に収まって「あぁ、そうだったのか」と魂で納得するもの。 「気づき」に関して、私はそう思っています。 「気づき」を得た瞬間、アドレナリンが出ているような高揚感や興奮を感じられるのは、 自分が長年、トラウマなどとして抱え込んで囚われていたものから開放されたという 開放感からだと思います。 なんにせよ、「気づき」を得ることで自分が長年抱え込んでいた「誤解」から開放されるので 心もとても軽くなったように感じるのではないですか? 心が軽くなると「気づき」も更に増えてきて、どんどん良い方に変わりますよ(全てが)! 以上は私の個人的な体験をもとに書き連ねたものですが、ご参考になれば幸いです。
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- magga
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気づきが強いと感じるのであればヴィパッサナー瞑想にチャレンジしてみては? サンガ出版の「現代人のための瞑想法」をオススメします。
- michael-m
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質問者様の「気づき」の背景にある宗教については判りませんが、多くの宗教(特に古い宗教)は、「気づき」をもたらす為にあると考えて良いでしょう。 自分がいかなる存在なのか、何故居るのか、現状を苦しみと思うのは何故か、幸福とは何か…など。「教え」というと学校の勉強のように道の知識を与えられるイメージが強いですが、仏教など、本来は視点を変え、本来の現象を気づかせる為の「教え」なのです。そして「気づき」の至高のものが「悟り」だと私は考えています。 宗教関係の学校では、気づきに繋がるワードが多く聞かれると思います。(そうでなければ宗教法人が学校をやっていても、単なる塾の延長でしかないと思います) ですから、自然とそのワードが記憶の中に入っていたのでしょう。しかし多くの生徒・学生はそれにすら気づく事無く終えてしまうでしょう。でも、質問者様は「気づき」に気づかされた事で、記憶の中に眠っていた気づきの為のワードが活性化されたのだと思います。 気づきという言葉は、至高の悟りから日常の些細なヒントまで、とても広い解釈があります。そして気づき自体も、直接的なひらめきから、一見なんの関連性もない現象をきっかけに気づかされる場合も少なくありません。ニュートンやアルキメデスの逸話などはこの中間的な気づきではないでしょうか。 また、人の言葉の行間に隠れた真意を汲み取ることも「気づき」という場合があります。会話の中に表現し得なかった相手の心を受けとる事も気づきだと考えます。 近年は言葉重視になってしまい、話の間や言葉の行間を汲み取る「気づき」が失われてしまっている気がします。 でも、汲み取ったつもりが単なる「思い込み」ということもあるので、この場合の気づきは用法が難しいです。
誰でも経験します。 人は勉強やいろいろな経験をすることで成長します。 その中で、体験や思ったことが過去の記憶からよみがえり、気づきにつながる可能性があります。(集中力のある人に起こりやすいとも聞いたことがあります。)
お礼
返答有り難うございます。人は気づきを体験しながら成長していく、誰でも起こるということは分かるのですが、明らかに、普段の「気づく」とは異なった感覚に襲われることがあるので、これは何なのだろうと質問してみました。 自分の体や心の中の感覚なので、説明するのが難しいですね(笑) 有り難うございました。
お礼
ご回答有り難うございます。 確かに学生時代に通っていた宗教学校では、 「気づき」に関する直接的なワード自体は耳にしたことはなかったですが、 いつも「世のため人の為になるような行いをしなさい。」 「嬉しいことも悲しいことも、一切が自分を成長させる手段を与えてくださっているのだと感謝しなさい」 など、人間としての道というものを長い期間教わってきました。 今現在は直接その宗教に関わっているわけではありませんが、 確かに、学生時代に教えられたことは、潜在的にも意識的にも守るようにしていますし、常に自分の在り方を振り返って考えてみるように、些細なことにも気づけるようになれるように努力はしていると思います。 ただ、そういう普段の生活の中で「気づく」とは明らかに違う感覚で 「気づく」、頭の中に全ての解決策が思考として流れ出てくるようなことがあったので、普通の「気づく」とは全く違う存在だと思っていたのですが、それも同じ「気づき」の延長なのでしょうね。 学生時代は規則が本当に厳しく、普通の高校生みたいな生活がしたい、と自分の環境を不足にばかり思っていましたが、 人が生きる上で本当に大切なことを教わっていたんだなぁととても感謝します。 ただ、恋愛などでは気づくあまりに悲しい思いをすることも多々あります。直感で相手の違和感を感じ、探ってみたら本当にやましい行動をしていたとかがよくあるので、恋愛相手を心から信用できなかったり、変に勘ぐり過ぎるようになってしまいました。きっとそれが単なる自分の思いこみであるにも関わらず心配して自暴自棄になってしまうみたいなこともあるかもしれません。 会社ではどんなに上手くやれても、必要とされる人間になれても、 心の底から分かりあいたい相手と分かり合えないというのはやはり 寂しいものです。 全ての自分をさらけ出せる相手が見つかれば良いのですが・・・ 恋愛相談の様になってしまいましたが(汗) もう少し「気づき」というものと気長に向き合ってみます。 どうも有り難うございました。