科学と宗教というのを同じ机上で論じる事は出来ません。
科学、医学の知識をもってそれを否定しても世界宗教であるキリスト教の根底が揺るぐ事はなく、科学的根拠というのは宗教には重要ではないのです。
現在の科学的思考で考えると、死んだ人間が復活するという現象はあり得ないこと(仮死状態の人が息を吹き返す、事はありますが)。
そんなことは誰でも知っていることです。
ただ、「キリストが死後復活した」というのは歴史的事実、物理的事実が重要ではなく、神の子イエズスを象徴する逸話として深い意味を持っているだけで、事実を詮索するのはこの場合ナンセンス、なんですね。
物理学者、科学者、医学者、その中にたくさんのキリスト教徒がいます。彼らの中で「医学的根拠からキリストの復活を検証する」なんていう人がいるでしょうか。
キリスト教が始まったのは2千年以上前のこと。
聖書の中にはたくさんの逸話が出てきます。
海を割ってそこを歩いた、水をぶどう酒に替えた、
お話としてとても面白いものがたくさんあります。
それをいちいち事実として検証するのではなく、その中から人間の「真理」を知る事、イエスが何を言いたいのかをその逸話から感じ取る事、それが宗教では?
昔は、教会は科学を全面的に否定していましたし、
地動説の否定、ダーウィンの進化論の否定、科学と向き合う事は教会にとっては脅威でしかなかったわけですが、現在ではヴァチカンも「進化論」を緩やかに肯定しています。科学と折り合いをつけながらも、聖書にある様々な奇蹟の話、復活、などの話が覆る事はないのです。
ちなみに、復活したか、否かは科学で計り知れないとも思います。ある人の目に見える事が、違う人の目に見えない事があります。科学では分からない現象も未だにたくさん残っています。自分が見えない、分からない、現在の科学で証明できないからといって、それが「ない」とは100%断言は出来ないとも思ったりしますが・・・。
私は信者じゃないですけどね。