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何故脳死者は、臓器摘出の時、ラザロ兆候を起こすか?
臓器移植問題です。 (1)脳死者がほんとに死んでいるのなら、何ゆえに臓器摘出時、血圧や心拍数が上がったり、ラザロ兆候と言われる、手足を激しく動かしたりする現象が起こるのでしょうか?またそれを抑えるために麻酔や筋弛緩剤を投与するのが当たり前とききますが本当でしょうか? (2)臓器移植後、臓器提供者の記憶が、のり移ったような現象をよく聞きます。(アメリカではかなり多いようですが)もし、体験談など(また聞きや、そのような情報)お教えください。よろしくお願いいたします。
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- pathology
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No.2 pathologyです。 QNo.1393478で既に触れたことなので、そこを読んでいただきたいのですが、脳死は微妙な問題であるため、用語の持つ概念に細心の注意を払って考察を進めたほうが好ましいと考えます。 脳死は診断されるものではなく、判定されるものです。 脳死の判定基準は「脳死の定義」ではありません。「脳が死んでいる」という概念において、脳死を定義することが出来ますが、個々のケースで軽々しく「脳死」という言葉を使うことは危険です。 小児の生命力や脳波などの知見が不十分であり、脳死判定は成人よりも慎重にすべきです。我が国(日本)では4歳の子供は脳死判定の対象にしていません。なお、20年も心臓が動いていたのなら、当初の脳死判定が間違っていたということになります。 私個人の立場としては、脳死移植にあまり乗り気ではないのですが、だからといって、脳死を科学的に検討することに無闇な反対を唱えることは致しません。小松美彦教授の著作物を拝見したことがありますが、非科学的なことをあたかも科学的な事実のように脚色して書かれているので、科学者としては失格と考えます。 「ラザロも2000年前本当に生き返った事があるようです。」と信じることは宗教的にはご自由ですが、科学および科学的合理性に根ざした現代社会の法体系のもとでは受け入れることはできません。 本当に亡くなった人を荼毘に付したら、生き返るはずの人を燃やしたということで、殺人罪を適用しなければなりません。 脳死の判定に疑問をお持ちになったり、ドナーカードに臓器提供拒否を記入されることは良いことです。また脳死を人の死とするか否かを決めるのも人それぞれの死生観によります。 しかし、脳死について反対するために、非科学的な主張をして人心を惑わせることは罪悪になります(松本○○○事件、地下鉄○○○事件にも、超高学歴の方々が加担していました)。 科学的に冷徹に思考しても、脳死の概念に反対することは出来ますが、反対するために「死人が生き返るが如き話」を例に引かれると不信を招きます。 科学者の端くれとして、どうか科学的に思索されることをお願いします。
- sentatoku
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■ラザロ兆候とは、脳死者に刺激をすると脊髄反射によって四肢が動いたり、血圧が上昇したりする現象です。 ■素人向けに神秘的な現象のように語られることが後をたちませんが、脊髄反射が起きているだけですので不思議でも何でもありません。当然それを抑えるために筋弛緩薬や麻酔薬を用います。 ■「ラザロ現象とは脊髄反射では説明できない現象」という記述がありますが、これは単に脊髄反射の知識のない方々が書いているだけの話です。脊髄反射の複合により複雑な運動に見える動きもでてきます。脊髄反射だけで出産(子宮内の胎児が排出されるだけ)もおきますし、あたかも歩くような動きも生じます。手も上がりますし声も出ます。声帯の位置によってはあたかも言葉を発したように聞こえる時もあるでしょう。 ■特に不思議なことでもなんでもないことを、さも神秘的なように書いたり報道されたりするのを見ると「なんともはや‥‥。」と思います。 ■ですから「何故脳死者は臓器摘出の時、ラザロ兆候を起こすか?」ではなくて「脳死者は臓器摘出の時ラザロ兆候を起こす」のです。理由は脊髄反射が残っているからです。
お礼
大変ありがとうございました。
- inoge
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(1)通常想定されている脳死では頭蓋内つまり延髄より頭側の大脳:脳幹や小脳の器質的不可逆的機能停止を意味します。 中枢神経という言葉は上記の脳と脊髄を合わせたものを指しますが、脊髄は脳死の際にはチェックされません。頭蓋内出血や頭部外傷などが脳死の主な原因です。脳死であっても頭蓋外の神経=脊髄は生きている方が普通です。脳死とは人間の自己同一性・意識・記憶・感情などの高次機能が頭蓋内の脳だけに局在する、という科学的知見に基づいています。 (自己同一性については議論の余地があるでしょう) ラザロ兆候や心拍・血圧の変化はすべて脊髄反射、つまり末梢神経から脊髄への刺激の入力とそこから直接(脳を介しないで脊髄のみを経て)末梢の運動神経や心臓交感神経(脊髄から心臓にいたる心拍を制御する神経)として説明がつきます。脳が無くても脊髄で処理できるあまり高次とは言えない機能なのです。(動くと言っても目的を持って制御された動きではありません。) カエルの頭部を切除したモデルでも刺激によって四肢の動きが認められることでも確認できます。 昨今は義務教育課程での動物実験が減っているようですが、生命についての理解を深めるために是非増やしてほしいものです。 麻酔薬については経験がありませんが脊髄反射によって血圧が不安定になったり、手術操作に支障が生じる恐れがある際には使うこともあるでしょう。 (2)そのうわさは私は聞いたことがありません。あくまでうわさであっていつどこのだれに生じたか客観的記録が無いこと自体情報の信頼性の程度が知れる話だと思います。
お礼
大変ありがとうございました。
- pathology
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ご質問(1)脳死者がほんとに死んでいるなら、 ・脳死という状態は確かに存在し、脳が他の臓器より先に死んでいて、早晩「古典的な全身の死」を迎えます。脳死者が「死んでいると考えるか否か」は、死生観(宗教・哲学etc.)とか法律によって決められる性格のものです。 。 ・No.1 juns777さんのおっしゃるとおり、脳死と臓器移植は本質的には全く別の次元の問題です。 ・ところが、臓器移植というものがなければ、脳死という状態から自然に待っていれば「古典的な全身の死」が訪れますから敢えて脳死のことは考慮する必要はありません。そのため望むと望まざるとに関わらず、臓器移植と脳死はセットで扱われています。 ご質問(1)何ゆえに・・・現象が起こるのでしょうか? ・何といっても「脳死」ですから他の臓器が反応したり動いたりしても何ら不思議はありません。「脳死=死」、「死=動かない」あれれ? というような混乱をなさっていませんか? ご質問(1)麻酔や筋弛緩薬を投与するのが当たり前とききますが ・大切な臓器を安全に摘出するための手術です。当然のことと考えます。学会発表などを拝見しても、麻酔医の管理下で行われています。「脳死=死」、「死=動かない」「動かない=筋弛緩は必要ない」あれれ? というような混乱をなさっていませんか? 付記 脳死判定を受けた患者様を拝見したことはありません。ただ、経過中に総合的な所見から脳死状態であろうと推定されることは、稀ならず見受けられます。その場合概ね1週間前後で、自然に「古典的な全身の死」を迎えることが多いです。そのような症例のなかで、病理解剖をによって脳を観察することが出来た症例があり、、下垂体が融解した症例と、脳全体が変化した症例を拝見しました。「脳死」というものがあることを学びました。 脳死者からの臓器移植を見たことはなく、ラザロ徴候というものは知りません。理科の解剖におけるカエルの解剖で、取り出した腿の筋肉が動くのは誰でも知っていますが、この筋肉は脳から切り離されており、言ってみれば脳死者の筋肉に近似できます。また、脳死ではなく古典的な死を迎えた患者様の病理解剖時に、腕がゆっくり動いたりして驚かされたことはあります。「古典的な全身の死」をもって死亡宣告を受けても、場合によっては消化管が動いたりすることがあります。また、精子を取り出して受精させられる可能性があり、腫瘍から細胞を培養できる可能性もあります。死とは何かは難しいことです。 ご質問(2)についてはわかりません。米国の医療については何も知りません。日本においても聞いたことはありません。また、そのような事実を記した学術論文を見たことはありません。私見ですが、そのようなことがあったら、死に立ち会う職業の人は、死者の霊に押し潰され、また巷の空気には、人が猿から進化して以来の全人類総和の霊が充満していることでしょう。私個人は、このようなことは全く有り得ないと考えます。
お礼
大変長文のご回答、ほんとにありがとうございました。心より感謝いたします。 脳死は難しい問題と思います。アラン・シューモン カルフォルニア大教授が4歳で脳死診断後、20年心臓が動き続けた例を報告したそうです。
- juns777
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脳死とは「脳が死んでいる」状態です。体は機能が維持されていますので、移植に使えるのです。体は反応しますが、「脳が死んでいる」場合は、その時点で死です。植物状態とは異なります。 日本の2004年の臓器移植件数は、まだ17例です(腎臓を除く)。噂話が出る数ではないということでしょうか。腎臓では心停止後も移植でき、家族間での移植もあり相当数が実施されていますが、そのようなうわさはないですよね。いまのところ私は聞いたことがありません。 移植ネットワークのURLを貼っておきます。日本の問題は、「脳死」と「臓器移植」がセットになってしまっていることだと考えます。「脳死」とは人の死の一つの形です。これ以上は救命できない状態です。 「脳死での臓器提供、臓器移植」は別の医療です。「脳死」→「臓器提供」が一本道になってしまっているので多くの方は戸惑っていると思われます。 医師ではありますが、専門外で移植経験がないため自信なしとさせていただきます。
- 参考URL:
- http://www.jotnw.or.jp/
お礼
おそくなりすみません。お忙しい中、丁寧なお答え大変ありがとうございました。心より感謝申し上げます。 あくまで私見ではありますが、脳死という単語は間違っているとおもいます。脳不全と言ったほうが良いと思いました。脳死は人の死ではないと確信いたしました。 小松美彦教授の本を読む機会があったのですが、ますます確信が深まりました。 ラザロも2000年前本当に生き返った事があるようです。
お礼
たびたびのお答え誠にありがとうございます。 私なりにもいろいろ調べてみました。 脳死は微妙な問題を多く含んでおり、大変難しい問題であると思います。臓器提供者の立場、患者さんの立場、お医者さんの立場、政治家の立場、世界的な流れ、いろいろな立場のお話を聞くことが出来ました。 この中で、もっとも問題である事は、唯物的合理主義ともいえる科学万能を唱える人々の霊的視点の欠如である事がはっきりと判明いたしました。 (1)人間は死後、(心臓が止まってから)24時間前後、魂が肉体に留まっている (2)脳死といわれる状態での臓器摘出は、意識として、は大変な苦痛を与えている事がわかりました。 (霊的認識による) 臓器提供者、及び術者、法律を決める政治家が、死ねば全てなくなる、という事を信じてしまっている事が問題なんです。 海外では臓器移植がビジネス化されており人身売買のネットワークがかなり活性化している事実がある事も 知って頂きたいと思います。