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「目からうろこ」ってどういう意味
よくテレビを見ていると、(バライテー系の情報番組)アナンサー諸氏が「これが本当の”目からうろこ”ですね。」 と、コメントしている場面をみかけます。この 「目からうろこ」とは、どんな意味ですか?
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目からうろこが落ちる 普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる(あるいは落ちた)」と言うようです。 実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。この言葉は、使徒行伝の9章にでてくるのですが、この9章は、イエス・キリストが死んでまもなくの、キリスト教がキリスト教としての歩みを始めた極めて初期の時代のことが記されています アナニヤがサウロの上に手を置き、「イエス・キリストが、あなたのところに私をおつかわしになった」ということを告げたとたん、サウロの目が見えるようになったのです。このとき聖書は、「サウロの目から鱗のようなものが落ちて、再び見えるようになった。」といっています。そしてここに、「目から鱗が落ちる。」という言葉の語源があるのです。 サウロという人は、当時のユダヤ教の学者の中では一級の人物ガマリエルと言う人の弟子でした。そういった意味ではエリートと呼ばれるような立場にあり、自分の力と才覚でいろんなことを考え実行できる人であったと言えるでしょう。そのサウロが、人生の一大転機の時に視力が奪われ、人に手をひいてもらい、自分の力ではなく他人に頼らなければ何事もできないということを経験するのです。まさしく、人間の能力や力の限界といったものを経験したのです。 それは、厳格なユダヤ教徒からキリスト教徒になるという、信じる内容の変化だけでなく、自分の力と才覚によりすがって生きていく生き方から、自分の力と才覚の限界をしって、ただ神によりすがって生きていく生き方へと目が開かれていく転換でした。その境目に「目から鱗のようなものが落ちた」のです。 そういった意味では、「目から鱗が落ちる」ということの本当の意味は、人間が自分の力や才覚を誇り生きていくような生き方ではなく、自分の限界や無力さを知り、神に頼るということに気がつくということなのかもしれません。
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- takugogo
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目からうろこが落ちる 何かの拍子、あるいは何かのきっかけで、急に視野が開けて、物事の実態や本質が理解できるようになることのたとえです。 昔、魚は目にも鱗があって目が悪かったそうです。あるとき、その鱗が落ちて急に目が見えるようになったとかいう昔話を読んだ記憶がありますねぇ。
- blackdragon
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目からうろこが落ちる の省略ですね。 何かのきっかけで、それまでわからなかった・知らなかったことが、急にはっきり理解できるようになった状態のことです。
- cats1234
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お礼
有難うございます。以前から、「なるほど、そうだったのか。」的なとき使われていたので、感動するほど 納得する(理解する)場合に用いれば、いいということは知っていましたが、何故「目からうろこ」なのか、理解に苦しんでいました。 今回、語源も分かりすっきりした気分です。