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勉強することの意味
私は中学2年の頃からぐれてしまい学校へもろくにいかずにゲームばかりしていました。高校は卒業できましたが大学へも行かずかといって就職するでもなし地元の友達と毎日マージャンばかりしていました。そして数年が経ち、そのときになって初めて自分のたどった過ちに気付きました。中学1年生程度の学力と思考力しか持たない自分を呪う日々が始まりました。しかしこのままではだめだと一念発起し人生をやり直すためにもう一度勉強をすることにしました。 現在、私は一日の大半を勉強して過ごしています。午前中は新聞と小説を読むことに使い、午後から高校用の参考書で勉強します。夜はネットでblogや新聞各社のページのコラムなどを読みます。そういった生活もようやく半年にさしかかっています。しかし今になってそのことを後悔し始めたのです。勉強なんてしなきゃよかったと思ってしまったのです。今と以前の生活を比べれば以前の方が幸せだったのではないかと思わずにはおれません。 最近読んだ記事にとても感銘を受けた記述がありました。「学習は、物事を純粋化するためのもの」というものです。複雑な世の中を自分の努力によって少しずつときほぐしていく、世界の輪郭をかたどっていく、そんな作業はいかにも幸福そうに見えます。しかしそもそも、勉強をしなければもともと全ては純粋だったのではないか?と思ってしまったのです。私は最初新聞の記事がまともに読めませんでした。努力の甲斐あってか最近ではほとんどの記事を辞書なしに読めるようになりました。しかし、読めるようになって唯一理解できたのは、自分は何も理解していないし記憶していないということだったのです。わからないことがわかるだけでも進歩かもしれませんが、あまりにもわからないことが多すぎるのです。今では毎日が苦痛です。 勉強することとしないこと、選択肢としてどちらが有力なのか、理由を添えて回答して下さい。
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質問者が選んだベストアンサー
NO7&11です。三回も登場していいんでしょうか?って感じです・・・。 本はまだ返却していなくて良かったです。作者はバーバラ・スタニー/訳・大西央士/kkベスチセラーズ出版で「お金に強い女になる」という本です。 これは題名の通り女性が自分の資産を持ち運用するまでのインタビューと、実体験を書いている本です。なので貴方が読まれても面白くないとは思いますが、第2部第4章に「学習曲線」について書かれています。もしも興味があったら読んでみて下さい。 この本は「女性の金銭的自立」について書かれていますけれど、それは「社会的自立」について書かれているとも受け取れるのではないか、と私は思いました。他力本願が自力でやり遂げるまでの過程だからです。 そして学習は「投資=資格取得」とも受けとれます。そうやって色々考えていけたら、吸収できる物も増えそうな気がします。 でも本当に、質問者さんはそろそろ目標を持った方が良いのではないでしょうか。意思の強い方の様にお見うけしましたので、方向を決められたらそれこそ有意義に勉強出来そうな気がします。 最後に、著者は心理学者ではなくてジャーナリストでした。開院後、どうやら転職されたみたいです。認識不足ですみません。
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- en_law
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文を読む限り、他人を見下すがゆえに自分が見下されないようにしているのがわかりますね。見下されたくないけど、今やっていることに対しての果てのなさと無意味な側面を感じて、葛藤なされているように思えます。しかしながら、まだ今の自分をちゃんと見つめることができていないような気がします。自分の能力、地位、容姿、性格、夢、などをしっかり認めたうえで物事に取り組んではどうでしょうか?今の状態なら勉強をすることを薦めることはできないです。
お礼
回答ありがとうございます。 ええ、そうなんです。精神的にとても未成熟なんでしょうね。自己全能感が駆逐されていないのです。一体どうすればこの不要な感情を消せるのでしょうか?多くの他人の書いた文章を読むことで、自分がいかに力ない人間かということはいやというほど理解したはずなのに、最後の一線が越えられません。自分は凡人ではないと、受け入れることをかたくなに拒絶する自分がいます。人は成長の過程で、自分を社会とすり合わせることで、自らの至らなさを知り、それを認めた上で、自分の置き場所というか、ありようを得ることができるそうですが、私にはまだそのことの意味が理屈でしかわかっていないのです。殻をまとっていることの安心感をとっぱらうことができないでいるのです。 また、いつも誰かが自分を見ている視線を感じます。僕は常にそれを意識していて、いつも怯えています。他人がいちいち自分ことなど見ているはずがないのはわかっています。でもどうしてもその視線から逃れることができなくて、とりあえずとった回避策が進学や就職の拒否だったのでしょう。他人の中にいる時間さえなくなればその視線もなくなるはずだと確信していました。でも今、僕はあのときと同じ視線を感じています。馬鹿にされることを恐れて、ちぢこまって身動きがとれなくなった自分がいるのです。この視線はきっとなくならないんだと思います。だからたくさん勉強して、とにかく手当たり次第に自信をつけていかないと、僕がもたないんだと思います。 やっぱり僕はただ逃げているだけなのでしょう。苦痛の正体が他人の視線だとわかっただけでも前進だと思いたいです。
ANo.17です。 そうでしたね・・『新司法試験制度』がスタートするのでしたね。(知識不足で申し訳ないです・・。) 現行の司法試験制度も、平成23年まで併行して存続(それ以降は『予備試験』に移行)するようですが、『新司法試験制度』に比べて、格段と面倒な事になっている様ですので、基本的には【ロースクール→法曹】という事になっていくようですね。 tochanxさんの文面から察するに、かなり沢山の書物をお読みになっておられるようで、語彙が非常に豊富であるように見受けられます。(私なりに、かなり無理して、言葉を使っています・・。すぐにボロが出そうです・・笑。) 表現力が豊かであるという事は、素晴らしいことだと思います。 ただ、今までの苦い経験等、全てあわせて【tochanxさん】という人間を形づくっているわけですから、以前の自分に関してもあまり否定せずに、これから頑張っていってくださいね。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 自分を否定することはできません。これからもとんまな自分をひきずってでも前へ進んでいこうと思います。
勉強を続けていくうえで、何か目標を見つけたいのであれば、『司法試験』を目指してみては? 『知らないこと』を気持ち悪いと感じているのならば、うってつけの試験かもしれませんよ。 もし大学を目指されるのならば、条件によっては、『1次試験』(一般教養科目・外国語)が免除されるようですし。
お礼
回答ありがとうございます。 確かこれからはその1次試験そのものがなくなるのではなかったでしょうか。司法に携わる人たちの需給のバランスがあまりにも悪くて、その原因は現状の司法試験があまりにも狭き門だからで、その門を広くするために司法試験の制度自体を改革したのではなかったでしょうか。これからの司法試験は今のものよりもずっと受かり易いものになるけれど、その受験資格として法科大学院卒業が必須だったと記憶しています。 司法試験、確かに目標としてはこれ以上のものはないかもしれませんね。ですが、まずは大学入学を目指してがんばってみようと思います。
- tyuuta
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少し補足させて下さい。 勉強する上でせっかくインプットした事柄を忘れてしまうのはとても辛いものです。 他の回答にもありました、学習曲線ですが 認知心理学の分野において記憶に関しての有益な理論になっています。 ドイツの心理学者 エビングハウスの忘却曲線とも言われますが、人間の記憶はインプットした事柄のうち20分後 に42%忘れ、1日後には8割の事柄を忘れます。 と共に反復練習をすることで記憶定着率がよくなる事が分かっています。 ですから少なくとも翌日、一週間後、一ヶ月後のように 復習を心がけると勉強時間も無駄になりません。 どんな勉強であれ確実にインプットできるように 頑張って下さい。
お礼
なるほど、私が昔聞いた話はこの忘却曲線のことをいったものだったのですね。わざわざ教えてくださりありがとうございます。 確実にインプット、心にどっしりと響く言葉です。これまで、読む量が増えるにしたがって反復の回数は激減してきました。同じものを読み返すくらいなら別の新しいものをという回路に陥り,ほとんど再読というものをしてきませんでした。これからは、記憶があやふやで使い物にならない100の断片よりも、かっちりと納められた堅実な10の記憶を重視しようと思います。 回答ありがとうございました!
確かに、学習することをやめたら、猿になれたら幸せなのかもしれません しかし、 例えばイルカは魚のようにただ泳ぐだけじゃなくて、それなりに頭がいいです 決して、「魚のようにただ泳ぎ続ける一生」を送るなんてことはしません 人間も同じじゃないでしょうか?人間も動物ですよね? そこで、 人間も動物だから、サルのようにただ単純に生きる じゃなくて 人間も動物だから、人間らしく生きる だと思います らしいとはなにか? 生物的にもっているスキルを使い生活することだと思います 人間が一種の生物としてもっているスキルは自由に使える手、2速歩行できる平衡感覚と足、世界がカラーに見える目(生物によって見え方が違うとこは知ってると思いますが) などなど、さまざまですが その中に 他の生物に比べて 「人間的な思考ができる脳」 もその1つだと思います 高度な思考とは言いません(高度とは何を基準に高度でしょうか?計算ができることが高度でしょうか?鳥のように方位がわかることが高度でしょうか?曖昧です) 生きなきゃいけない。人間らしく。人間らしいって何? お金を稼いで、物を買うことで生きること。 どこで稼ぐ?お金ってそもそも何? 社会で稼ぐ。社会が作ったもの。 つまり、人間らしく生きるには社会に属さなきゃいけません 社会が要求することに応えなければなりません そこで、必要なのが勉強です。 数学なんて使わないじゃん? でも考えることができる頭が作られます(実感してますよね) そして社会でお金を稼ぎ、物を買い人間らしく生活できるわけです といいながら、未だに世界には狩をする民族もいます そういう生き方も日本人としての生き方と同じ1つの生き方です そういう生き方を望むなら、そういう社会に属すればいいだけです 働かずにただ遊ぶ そういう社会に属すればいいだけです 毎日音楽三昧 そういう世界にぞくすればいいだけです 僕の結論は、どう生きたいのか? によって勉強するっていうことです。 サルが漢字を読めるようになる必要はありません 音楽家が飛行機を操縦できるようになる必要はありません 勉強しているということはそういう社会に属したいということですよね?そうじゃなければ、勉強する意味はなんですか? もう一度自分に聞いて見てください
お礼
とても論理的で説得力のある回答をありがとうございます。 私は多くのことを覚えきれない自分の脳にきりきりしていますが、その直接的な理由は自分の傲慢さにあるのだと気付きました。人が知っていることを自分も知っていないと、そのことが許せないのです。もっというなら、人から愚かだとみなされることを極度に恐れているのです。だから、文章を一つでも多くの難しい言葉で着飾るために、人の知っていないことをえらそうに垂れ流すために、周りの人間を見下せるように、ほとんど強迫観念にも近い感情でもって息も絶え絶えに勉強してきたのだと分かりました。恥ずかしいです。情けないです。こんなふざけた考えで勉強なんてやっていけるはずがありません。もうやめなくちゃいけない。 これからはもうちょっと前向きにやっていこうと思います。駄文失礼しました。
勉強して自分は何も理解していないし記憶していないということ、に気づいたんですよね?じゃあもっと勉強したらもっとよく理解でき、記憶でき、新しい世界が開けるかも知れませんよ。もう少し勉強を続けてみたらいいのではないでしょうか。 具体的には新聞や参考書だけでなく新書などを読んでみてはどうでしょう。新聞だけではどうしても知識が断片的になりがちです。よい本は断片的な知識を有機的に結び付けてくれますから、理解にも記憶にも役立ちます。新しく出る本を本屋でチェックして、興味のあるものを色々読んでみてください。理解が深まればまた新しいことを学ぶのが楽しくなってくると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに新聞による断片的な記事のみでその事柄に対する理解を絶望視するのはばかげていますよね。 小説なら無駄に読んでいるのですが、新書ものはとんとお世話になったことがありません。図書館に行けばいくらでもそういったものが入手できるので利用することにします。 しばらくは働く気もありません。親にもわがままを許してもらっています。これから数年、ひたすら勉強して、自分がどこまで行けるのか試してみたいと思います。
- freeway55
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NO.10さんと同じ意見です。 勉強は、目的ではなくて手段です。 本や体験を通じて人は多くの知識を蓄積していきますが、それがゴールなわけではなく、その蓄積したものを活かすことが楽しさや充実感となります。 知識や経験という蓄積の無い人は、活かすことができません。 私は、そう考えてきました。 もう45歳ですが、毎日勉強が楽しいです。
お礼
回答ありがとうございます。 しばらく勉強の目的について考えてみましたが、答えは得られません。強いていうなら、「全部知りたい」がそうなのですが、あまりにも漠然としています。 私も勉強は楽しいです。しかしその結果としてきちんと自らの脳に記憶や応用としてインプットされているかと思うと、途端にそれまでの勉強量に比例して闇に包まれた気分になります。 単純な世界で生きてきたことやテレビゲームばかりやってきたことが一因でしょうか。たとえばテレビゲームなら敵を倒し得た経験値を重ねていくとレベルが上がり体力や知力が上がり、ステータス画面でそれらが一望できます。しかし勉強によって得られた知識は数値化できません。脳の中を一望することは不可能です。ゲームならパラメータは保存されて固定されていますが、人間は忘れてしまいます。人間は10覚えたら翌日には8忘れて、一週間経てば1も残っていないというようなたとえ話を昔聞きました。覚えても覚えてもそれ以上のスピードで忘れていく、記憶したデータには優先度がつけられていて優先度が低いものから波にさらわれるように空白で塗りつぶされていく、それがたまらないのです。私は今一週間前に勉強したはずの歴史の参考書のある章を開いていますが、その内容をほとんど記憶していません。ちょっと空想したのは、賽の河原で積み上げた石を餓鬼に崩されるシーンです。地獄だと感じました。先ほど勉強の目的はないと書きましたがやはり私は「全部知りたい」です。しかし人間の脳は特定の分野に特化する道しか示してくれません。人間の脳は専門書にはなれても百科事典にはなれないのです。そのことが悲しくなりました。 何が言いたいのかわからなくなってきました。すみません。 毎日勉強が楽しいと言える45歳を目指してがんばります!
- harusamme-33
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NO7です。まだ締め切っていなかったので追加します。 勉強する事の意味についてではありませんが、私が最近読んだ本に「学習の過程」について書いてあったのを思い出しました。 その方は米国の精神科医で、社会問題について本を書いている人です。 彼女の説によると人間の学習の過程においては大概、ある一定の法則があるそうです。 1・無意識の無知 2・意識した無知 3・無意識の有知 4・意識した有知 1は、自分が無知である事すら気付かない状態。 2は、自分が無知である事を自覚した状態。 3は、無知を意識し学習を始めたものの、自分でその成果が判らずにいる状態。人はここで挫折しやすいとか 4は、積み重ねた学習の成果が自分で分かる状態。 以上の段階を経て到達点に向かうそうです。人によってはその中で長く一箇所にとどまったり、二箇所の点を行ったりきたりを繰り返すという事です。そして時には、何も知らなかった方がよっぽどましだと思ってしまう時もあるとか。まさしく質問者さんの状態かと思いました。 そしてその成果が自覚できるのは、長く積み重ねてきたものがある時霧が晴れる様に、又はブロックが決められた位置に収まる様に、理解が出来るそうです。 もちろん、学習の内容によっては上記の説明で説得できない場合もあるとは思いますが、参考になれば幸いです。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 よろしければその本のタイトルを教えていただけませんか?興味があるのでぜひ読んでみたいです。 こういう風に自分の地点を全体像から把握できたことは大変心強いです。わからないの先にはわからないしかないということだけが鮮烈にイメージとして頭の中にあって、勉強の度にその影がちらつき手を止めてしまいがちでしたが、そのこと自体が学習の範疇なんだと納得できました。ありがとうございます。
- tyuuta
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かなり必死に勉強されたのだと思います。文章を見ると それがとてもよく分かります。 さてご質問内容について個人的な意見ですが、結論として私は「勉強」することは目的ではなく手段だと捉えています。 例えば何かに興味を持ちより深く学びたいから勉強するとか仕事をする上で便利な資格とか技術職につく際の資格を取る勉強とか何でも良いのですが、必ず目的や目標があってそれを叶える為に勉強すると言うことですね。 tochanxさんは当初、無知でばかばかしい人生に苦痛を感じ てそれを取り除く目的で勉強していたと思うのですが それがいつしかやればやるほどわからないことだらけになるという矛盾を感じたと言うことだと思いますが、 矛盾を感じているということは当初の目的は達成されたのではと思うのです。 要するに今、勉強する目的を見失っているのだという風に感じます。と同時に勉強について根本的で哲学的な問いを しているのです。人間だれでも目的を見失うと無力感に至るものですし、そもそもある物事を突き詰めていこうとすると 必ず最後は結局わからないと言う結論に達するのではと思います。例えば人間が生きる意味とか、死とは何かとか 哲学者は常に答えを見つけようとしますが結局確信的な答えはないものですよ。 tochanxさんは次のステップに進むべきだと思います。 無知であるという苦痛を和らげる為でなく、 何かなりたいものとか就きたい職業とか資格、何でも良いのですが何らかの違う目的がみつかると勉強もきっと有意義になると思います。 私は一度大学を出ましたが、再度医師になる為に勉強を しています。何も焦らなくて良いので一度立ち止まって自分の目標をじっくり探してみてはいかがでしょうか。 脈絡のない文章ですいません。
お礼
回答ありがとうございます。 今の私には目的はありません。目標ならあって、一応大学を目指しています。同窓生たちが卒業する段になって大学を目指すというのはずいぶん乗り遅れてしまった感がありますが、それでも自分にとって人生の分岐点、落下点は学校だったと思っています。その学校を克服することをまずは目指してみたいと思っています。私も医師には憧憬の念を抱いていますが、私はあまりに不器用でどじっこなので、私なんかがひょっとして医師になってしまったらリピーター医師になることが必死です。ネットでぱっとみかけるだけでも一度社会に出てから新たな目標を発掘して、それに向かうためにもう一度大学へ入るという人は多いですね。数学のために入った人とか弁護士になるために入った人とか、かっこいいですよね。 私も早く夢を見つけたいと思います。 夢の実現、がんばってください。
- muu612
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勉強することの意味ですか・・・。 なかなか難しいですね。 私の見解は、生きること=勉強(する事)だと思います。つまり、人は生きて今まで知らず知らずのうちに様々なことを学んでいるのです。 赤ちゃんは、まず、自分の目で見て、匂いをかいで、かじってみたりして、モノ(物体)を一つ一つ覚えていきます。これも勉強です。 自分の身の回りが解れば、今度は外の世界を学びます。 大人になれば、それが人間関係だったり、深い学問だったり、宗教だったり、ビジネスだったりと変貌していきます。これらも全て人生における勉強です。 なので、人は生きている以上学び続けて、死に近づけば忘れていきます。 生きる以上、勉強することから、逃れることはできないものだと思っています。 勉強など無駄と思うのかもしれませんが、無駄があるから人は生きていけます。 まだ21歳ということですが、深く悩むことは自分を見つめなおしている証拠だと思います。 あなたは将来どういう大人になりたいですか? 5年後10年後20年後・・・。 今から自分の将来を思い通りに紡ぎだすには、今の悩みを自分自身で乗り切らなければいけないでしょうね。 ニュースや小説を読んだとしても、暗記や記憶はタダのデータの蓄積に過ぎません。 大事なのは、読んでどう感じたか。 自分の命や人生について考えるのも勉強です。 勉強の仕方は様々ですが、あなたは確実に成長されていると思います。 少なくとも、質問文を読む限り、中学1年生程度の学力と思考力(質問文を引用させてもらいました、)の方だとは思いません。 むしろ、自分と向き合うしっかりした青年であるとお見受けいたしました。 幸せはあなたが決めることですが、世界はもっと広いです。 「勉強をしなかった自分」と「勉強した自分」の2つの世界だけではないはずです。 ご自身の可能性を、もっともっと広げてから再度考えてはいかがでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 私はまだデータから思考を組み立てる段階へは到達できていませんが、訓練は怠らないようにしたいと思います。今はとにかくデータの蓄積に励みます。 人生自体が勉強ですか、私も勉強からは逃れられそうにありません。これを機に真剣にこのことを考えてみようと思います。
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お礼
「お金に強い女になる」 ebookoffに古本の在庫があったので早速注文しました。教えてくださりありがとうございます。 目標はまだ見えませんが、ここで皆さんの回答をもらい、ずいぶん励まされました。しばらくは今のままちゅうぶらりんで勉強がんばってみようと思います。 3度も回答していただき、どうもありがとうございました!