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難聴克服後の鬱状態
幼児の頃からの慢性中耳炎で、3年程前まで中程度の難聴でした。3年前と1年前に片方ずつ鼓室形成術を行い正常な聴力を得られました。本当は長年切望した聴力なので、理屈としてはとても嬉しい筈なのですが、喜ぶ気力がありません。 もし、難聴を克服された事のある方がいらっしゃいましたら、その後の気持ちの事など教えて頂けないでしょうか。 というのも聴力を得るようになるまで、社会人として補聴器をつけて仕事をする上で、とか、日常の些細な会話レベルでも、常に「難聴を馬鹿にされたくない」「健聴者に見劣りしないくらいちゃんと仕事してやるんだ」と、気張りすぎたからだと今では思うのですが、両耳とも聞こえるようになった今でも、喜ぶ気がわかないのです。 モチロン、聞こえるようになって神経が疲労しなくなり体力的にもらくになり、聞こえる事がとてもありがたいとは思うのですが、難聴だった頃に比べると、聞く事そのものに注意が払えず聞き逃したり、何につけても興味が沸かない、集中力が持続できないといった状態が続いています。 疲労だと思い、退社して1年程無職でぼんやりしてみましたが、疲れが取れるどころか気力が沸かない事に拍車がかかっていくような状態でした。いつ自分そのものが回復してくれるのか分からないので、無理矢理でも仕事をしていればハッパかけられて元気が出るかも、と派遣で仕事をして半年経ちますが、周囲に迷惑がかかってしまう程仕事に支障が出ます。 最近心療内科を受診し鬱と診断され、ルジオミールと入眠剤を処方してもらい、それは自分でも納得できるのですが・・・・。 今も難聴で困っている方からすれば、贅沢な悩みかもしれません。それは以前の自分の心境を振り返れば理解できるのですが、ようやく難聴から開放されたはずなのに、今もってとらわれている事がつらいのです。 難聴を治された方から、ぜひお話しをお願いします。
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こんばんは 僕は難聴ではないので、あなたの希望にかなわない かもしれませんが、母が片耳難聴で何も聞こえない ので、少し気持ちがわかるから投稿しました。 『コンプレックスは力の源にもなっていた。』 『うつが治れば悩んでいる症状から開放される』 と申し上げます。 お偉いさんではナポレオン(背が低い)や ベートーベン(難聴)がいるように。身近な人にも コンプレックスや劣等感があるから、それをバネに 頑張っている人は沢山います。ある程度コンプレック スは必要なのではないでしょうか?自己向上心を もったり、やる気を持つ為に。 僕は小児喘息から始まって病弱だったから、勉強を 凄く頑張ったし、大きくなってからは筋肉トレーニン グに励みました。コンプレックスがあったから。 僕の友人の一人は事業の成功を目指して起業に着手 しています。彼にもそうさせるコンプレックスが あるのです。 僕の友人の一人は学歴が中卒で、それにコンプ レックスを持っていましたが、体を何年にわたって 鍛え(25歳を過ぎてから)、肥満だった彼は現在 体脂肪が10%ぐらい。プロのサッカー選手並の 体つきになりました。 あなたも難聴に負けずにきっと頑張ってこられた のではないでしょうか?本当に辛く長い戦いだった と思います。僕も辛く長い戦いに疲れ、2回うつに かかりました。当然?死にたいと思うこともあった けれど、よくなって「うつから学べた事もある」と 力まずに言えるようになりました。 あなたのウツは必ず治ります。信じてください。 そして、今まで頑張り続けたあなた。少しは休憩 しなさい、と神様がくれた人生の休憩時間が今回の 「うつ」なのかもしれませんね。 自分にやさしくしてあげてください。あなたを癒し 見守ってあげられる最大の協力者はあなたご自身 ですよ。 どんな人だって、あなたが「用を足している時まで ついて行くことはできないですよね?僕がそれをした ら、警察につかまっちゃいますよw でもあなたは その時ですら、自分に優しくして、癒す事ができるの です。お体、ご自愛くださいね。
お礼
回答ありがとうございました。 喘息のコンプレックスの事、どうぞお体ご自愛くださいマセ。 質問の仕方が悪かったみたいでした。 苦労話ではなく、もっと簡潔に、難聴克服後の精神状態や、鬱状態が続く中で周囲に迷惑をかけながらも、働かざるをえない中での精神状態の処し方、、職種や就業形態といった事を具体的に質問すべきでした。 残念ながら難聴の時は、コンプレックス感覚ではなく、常に世間との戦いのつもりでいましたので・・・・・。 せっかく質問に答えてもらって、こんな返事しかできずゴメンナサイ。 また時期を改めて、もっと具体的な質問が出来るよう、整理しようと思います。 失礼しました。