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「水に流す」歴史観

大勢の日本学者は日本人の「水に流す」歴史観について論文を書いています。 「水に流す」歴史観とは、過去のこと(歴史)を水にし、関心を持っていないことです。 皆さんはそう思っていますか? ご回答お願いいたします!

みんなの回答

  • mon-roe
  • ベストアンサー率38% (330/852)
回答No.2

水に流すのと関心を持たないのとでは、ちょっと意味が違うと思うのですが。 過去の過ちはどこかでけりを付けなければいけませんが、けりが付いた後で過去の過ちについて悩んだり卑屈になるのは間違っていると思います。 "過去の事を水に流す"とは、"罪を憎んで人を憎まず"に似ていると思います。悪かった事は訂正し謝罪しなくてはならない。そこで罪を償わないものは責められて仕方ないが、償ったものは綺麗さっぱりと許されるのがもっともである。つまりそういう事だと思います。 関心を持たない(=過去を忘れる)のではなく、過ちを問わない(=過去を赦す)ことで一度リセットし、過去を教訓として改善を図る。というのが"水に流す"ことだと、私は思います。

  • adelaide
  • ベストアンサー率37% (184/497)
回答No.1

こんにちは。 人間、生きて行く上で、問題の内容が何であれ、水に流すべき事と、流すべきではない事と、二通りあると思います。 個人的には、歴史上での事実は事実として受け止め、認識し、自分の精神の中で忘れないようにすべきと思っています。ということは、生涯、常に関心は持ち続けるべきという認識です。 ただし、日本が犯した過ちは数々ありますが、過度に卑屈になる必要は、無いように感じています。