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フランスが舞台なのにみんな英語をしゃべってる?変な英語圏映画について
さきほどWOWOWで放映していた「モンテ・クリスト伯爵」を見たのですが、「ええ?」と思ったことがありましたので質問させていただきます。 それはずばり『英語』についてなのですが……。 舞台がフランスだと言うのに役者は英語をしゃべっており、見始めた時に「なんだこりゃ」と思いました。製作元を確かめてみると、アメリカやイギリスで作られた映画のようです。 舞台をイギリスに移してストーリーを作りなおした、と言うのなら分かるのですが、やっぱりフランスです……。デュマもフランスの人ですし、もちろん原作はフランス語で書かれているんですよね。 (映画自体面白いと思えなかったのですが……)英語圏の人たちは英語をしゃべるフランス人たちが活躍する映画を見て違和感を覚えないのでしょうかね? アメリカでは字幕を読むという習慣がなく、すべて吹き替えだと聞いたことがあります。 吹き替えが悪いとは思いませんが、なんかおかしいなぁと感じます。彼らはそれで当然と思っているのでしょうか? 英語圏の映画と英語について興味を覚えました。 そうした吹き替え事情や英語をしゃべるフランス人のような変な映画情報について、なんでもいいので教えて下さると嬉しいです。
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- mozofunk
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98年のフランスワールドカップの際にモンパルナスのホテルで小栗公平の「眠る男」をTVの深夜放送で観ました、日本語版でフランス語の字幕付きでした。小さな画面に字幕が付いていてちょっと読みにくい感じがしましたが、あー他国の文化を大事にしているんだなぁと感激した覚えがあります。 数日後にゴーモン社の映画館でブルースブラザーズ2000を観ました。10分ぐらいしてからなんか聞き取れないなぁと思っていたら、フランス語だったのに気づいてびっくり・・・ほんとに声がそっくりなんですね。 アニメだともっと話は 簡単ですが、もののけ姫のDVDをごらんになるとよくわかると思いますが、確か10カ国語くらいの吹き替えが入っています。ラテン系のフランス語とイタリア語が非常に嵌って気持ちがよい反面、ロジカルな英語やドイツ語だとどうも・・・ そういえば日本の漫画に フランス語を付けた海賊版もそのときお土産に買ったなぁ。
- penguin929
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No.8です。 その後思い出したことを2つ3つ。 吹き替えについてですが、テレビの洋画劇場で育った身では、アランドロンやクリントイーストウッドが野沢那智や山田康夫の声で日本語を喋っていても、慣れているせいもあってさほどの違和感はなかったのですが、ある時テレビで仲代達矢が出ているハリウッド映画を観たとき、オリジナルでは仲代達矢も英語で演技をしているのですが、テレビでは当然すべて吹き替えですのでアメリカの役者には違和感はなかったけれど、仲代達矢を違う人が吹き替えていたのには異様な感じがしました。 見慣れた日本人が違う声で喋っていたらまるで別人のようだし、何より名優仲代達矢が大根役者に見えるのです。 吹き替えは本来の芝居になっていないということを強く認識させられた出来事でした。 日本以外の国では外国の俳優に自国語を喋らせるケースが多いですね。イタリア語を喋るアランドロンやドイツ語を喋るデニスホッパーなどよく観ました。 デニスホッパーなど「アメリカの友人」という映画で、れっきとしたアメリカ人の役なのにもかかわらずドイツ語です。 「JM」に出演したビートたけしも言っていましたが、撮影前に語学の特訓があるそうで、国際派俳優も大変です。 あと、何度か話題に上っていますが、「ラストサムライ」においては、アメリカ人に対して英語がしゃべれる日本人が英語を喋っているという、必然性があったと思うのですが。 実際にモデルになった侍も、英語の知識があるような人だったらしいですよ。 日本人同士は日本語で喋っていたし、あの映画は問題ないんじゃないですか? たびたびすみませんでした。
お礼
日本人の役者が違う声で吹き替えされている、というのは何だか面白いです。ちょっと見てみたいような……。 ホットペッパーのCMで何かの映画の映像におかしな吹き替えが入っているものがありましたが、基本的に他の映画でも吹き替えはそんな感じに聞こえてしまうんですよね。吹き替えされている言語を知らない人が聞いたら、同じように見えるんじゃないかと。 理解出来るかどうかは別としても、やはり演技に重点をおくと吹き替えは違和感がありますよね。すごい迫真の演技なのに、声に違和感があるせいで滑稽に見えてしまうというか……。 撮影前の語学の練習、とても大切だと思います。もっと普及すれば良いのですが……。 昨日クリムゾンリバーを横目に見ていて、フランス語(母国語なので当たり前ですが)も英語もぺらぺらしゃべれて英語圏の映画にもたくさん出ているジャン・レノはすごいと感じました。 「ラスト・サムライ」については、英語をしゃべる日本人が英語をしゃべれる理由は理解できるのですが、流暢すぎるのが気になってしまいました。 もろ日本語英語でへったくそだったら満足だったと思います。でもそんなの贅沢ですね(^^) それと、勝又の最期が英語だったのが……不満でした。ああいう時は母国語にしてほしかったなあと。 侍の生きざまや魂を描いた映画なのに……と。日本の文化の上に成り立っているものですからね。その言語と考えた方や文化は密接に関わっていると感じますし。 いろいろと疑問は湧いて来ますし、、他国で公開される時やもちろん自国で公開される時の観客が理解しやすいかなど問題は多いですが、私が映画と言語について考える時一番考えてしまうのはやはりそこですね。 映画にかぎることではありませんが……。
- johnnyblues
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No.7です。 うろ覚えで何で読んだのか忘れてしまったのですが、日本での公開時に制作側から(たぶん監督本人からだったと思います)細かいセリフも逃して欲しくないので吹き替えでとの要請があったのだと思います。 字幕の件ですが、いっぺんに画面に表示できる文字数に制限があります。 法律で決まっているとかではなくて、読みやすい文字の大きさ、書体(昔はすべて字幕専門の方が文字を書いていたそうですが)で、誰もが読めるであろうと考えられる時間だけ表示されるわけで、例えばエディー・マーフィーが早口でまくし立てるセリフを同じ速度で完全に文字化していたら読み終わる前に次のセリフが来てしまいます。 したがって、原語のセリフの意味になるべく忠実に、でも削ってしまいます。もちろん短いセリフのときはその限りではないのでしょうが。 これもうろ覚えなんで大変申し訳ないんですが、確か戸田奈津子さんだったかな「翻訳と言うよりも俳句に近い」みたいな発言をされていたと思うのですが。 「北京の55日」ですが、伊丹十三さんが出演されています。伊丹さんの「ヨーロッパ退屈日記」と言う文春文庫のエッセイ集にこの映画に出演したときのエピソードがあり、監督の構想では中国人の役は中国人が中国語で、日本人は日本人が日本語でといった様に各国人が各国語で演じさせたかったのに、制作サイドからの反対で実現しなかった旨の話があります。結果として例えば西大后が英国人で英語をしゃべる映画に仕上がっております。きわめて違和感があります。多分、中国の方が見たら違和感よりも不快感(英語ウンヌンよりも映画自体の歴史の描き方に)があると思います。 私自身は字幕派ですが、違和感はあってもアメリカ製の映画は英語であっても仕方がないのではないでしょうか。 極端な例ですが、「ベン・ハー」みたいな映画を忠実に当時の言葉で作ったら何人の人が理解できるでしょうか?ラテン語やらヘブライ語が飛び交うわけですよね。日本の時代劇も同様です。司馬遼太郎さんの作品にありましたが、四国の長曾我部家の家臣が、織田だか豊臣に使いしたとき訛りが強くまったく話が通じずやむなく「能」の言葉を使って会話したようなことが書いてあった記憶があります。江戸弁イコール東京弁イコール標準語ですらないわけで(私は神奈川モノで、神田生まれのご老人と知り合った事がありますが、早口でしゃべられると何を仰っているのか不明の事もありました)、程度の問題になってしまうのかなって言うのが私の正直な感想です。
お礼
詳しく教えて下さりありがとうございます。 早口にしゃべっている時は、たしかに字幕では追い切れませんね。奥が深いんだなぁと感心しております。 普通にしゃべっている時は問題ないのかもしれませんが、字幕は字幕なりに問題があるんですね。私自身、一気にその台詞がすべて見えてしまうので、耳で聞いて理解した時の驚きなどは薄れてしまうんじゃないかと感じたこともありました。 忠実に作り過ぎると、訛りやなにやらで分からなくなるということですが、分かりますね。私も時々祖母の言葉が分かりません(^^;) オーストラリア英語で撮られた映画が、訛りがひどいので英語圏でも字幕が入ったという話も聞いたことがありますし。 歴史的な映画は当時と今で話されている言葉が違うから現代の言葉で撮られるのは仕方がないかとは思っています。 日本でも昔の言葉でやろうとしたら大変でしょうね。書き言葉と話し言葉の差異もあると思うので、実際どのような言葉をしゃべっていたのか分からないということもあるような気がしますし。 ただ方言に関しては、現在だいぶ見直されて来ているようですし方言が使われる映画が増えてほしいなぁと思います。(字幕付き)役者さんが大変でしょうけどね。 監督の意向(芸術性)と制作側やプロデューサーやスポンサーの要求(大衆受けするかどうか)の兼ね合いも難しいですよね……。
- penguin929
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前々から違和感を感じていた一人です。 でも、アメリカ映画はそういうものなんだと割り切るようにしました。 困るのは複数の国の人がでてくる物です。 ショーン・コネリー主演の「レッドオクトーバーを追え」は、ロシアの潜水艦がアメリカへ無断で航行するのは、はたして亡命目的なのかスパイ活動なのか?という映画ですが、冒頭数分間ロシア兵がロシア語を喋っていたのに、ストーリーにかかわる台詞になったとたん全員英語に切り替わったのです。もちろん役者は全員アメリカ人です。 これにはいくらアメリカ人でも違和感あると思うんですが、「エイガッテ、ソウイウモンデス」とか思ってるんでしょうか? 最近一番違和感を覚えたのは、実はアメリカ映画ではなく日本映画でした。タイトルは「スパイ・ゾルゲ」。 この映画は日本が舞台で、出てくる外国人はドイツ人とロシア人なのです。 つまり、ドイツ人とロシア人が日本で英語を喋っているという、ワンダーランドのような映画でした。日本人は普通に日本語を話しているので、ますます英語の意味が分かりません。 それに、複数の外国人が絡むスパイ映画ですから、ドイツ人とロシア人を見分けるのは物語上とても重要なポイントなのですが、どちらも英語ですから、どちらの人間かわかりにくく、かなりのマイナスポイントでした。 篠田正浩監督は引退記念の映画で、どういう意図があってこんな事をしたのか真意を問いたいです。
お礼
同士がいたようでちょっと嬉しいです。 やっぱり「映画ってそういうものよ」と割り切るしかないんですかね。 ご都合主義って良くないと思うんですが。 複数の国の人が出てくる映画で全部英語っていうのは……。「スパイ・ゾルゲ」ちょっと気になりますね。 当たり前のように思っていた多言語を使い分けている映画がとても偉いもののように思えて来ました。 ドイツ語とロシア語を話せる役者を確保できなかったんでしょうかね。それとも英語は世界の通用語だから~とタカをくくってしまったんでしょうか。いくら英語を話せる人たちでも、同国人とは母国語で話しますよねえ? ふと思い出したのですが、「サウスパーク」というアメリカのアニメがあります。かなり品のないアニメなのですが……、諷刺や批判が痛烈なアニメです。 911のテロの直後に作られた話に、ビン・ラディンやイスラム圏の国や人たちが出てくる話がありました。 そこで「(アメリカが敵だとか言ってるのにアメリカの言葉である)英語で話してる俺たちっておかしいじゃん」というような制作側が自分でつっこんでいる台詞がありました。 その時はプッと吹き出すくらいだったのですが、こうした映画なども皮肉っていたのかも知れないなぁと思います。 やっぱり変だと思う人は違和感を感じるのですよね。
- johnnyblues
- ベストアンサー率30% (294/951)
アメリカが最大の映画市場である事は、異論の無いところだと思うのですが、識字率のことはお考えになったことがありますでしょうか? アメリカの実際の識字率は50%程度との意見があります。つまりフランス語で演じられる映画を英語字幕で上映した場合、アメリカ人の半分は残念ながら字幕が読めず内容を理解できないことになります。アメリカは移民国家であり、現在も不法入国も含め様々な国から移民の方たちが流入しているわけで、仮に米語を話せるようになっても読み書きが出来るのか?読み書きが出来ても映画の字幕のスピードについて来られる速度で読めるのか?って言うこともあると思うんです。もちろん英語で話すことの出来ない人もいらっしゃることでしょうが、やはりマーケット的なことを考えれば、米語でしゃべらせるのが一番楽なのではないでしょうか。 アメリカ国内でスペイン語圏出身の人の多い地域で映画を観たら、スペイン語字幕が出ていたなんて事を以前誰かのエッセイで呼んだ記憶があります。 また、確か「ニュールンベルグ裁判」を日本で上映する際に監督が必ず吹き替えで(つまり、字幕だと台詞を端折ってしまう事が多いので)上映するようにとの指示があり、吹き替え版で上映したところガラガラだったために、午前の一回目のみ吹き替え版で、午後からは字幕にして何とか凌いだっていう話も読んだことがあります。日本人は字幕好きであることの好例ではないでしょうか。私もその一人ですが。 これは村上春樹さんがエッセイで書いていたと思うのですが、「荒野の七人」でメキシコ人の村人たちが、みんなヘンなスペイン語訛りの英語をしゃっべっているそうです。つまり英語で観たいけど雰囲気だけはメキシコのつもりでって言うことなんでしょう。 ただ、フランス人をアメリカ人(その他英語圏の人達)が米語で演じるくらいなら、まだ良い方ですよ。「北京の55日」とかご覧になってみたら如何でしょう。
お礼
識字率ですか……盲点でした。 日本は昔から識字率が高いですからね。 なんだか映画の字幕・吹き替えひとつをとっても、社会の暗部が浮き上がってくるようで難しいです。 ひとつ「?」と思ったことがあるのですが、「ニュルンベルク裁判」(題名は聞いたことがありますが、見たことはありません)と言う映画は吹き替えにせよと要請があったのですか? 私の認識では、吹き替えは役者の口に合わせなければならず、訳詞を作ったりするのが大変で多少ニュアンスの違う言葉を使わなければならないこともあるが、字幕はそうした制約がないのでもとの台詞に忠実に訳せる、と思っていたのですが違うのでしょうか。 「北京の55日」は知らなかったのですが、見てみたいと思います。全員が英語をしゃべっているんですよね? 中国の人が見ても「?」と思わないのかなあ?? やっぱり民族の言語に対する誇りとか、そういったものは映画の中では尊重されないんでしょうかね。歴史をあつかったものでは、「誇り」とかそうした感情は重要になってくると思うのですが。
- ismael
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先ず想定観客が何語を理解できるかが最初のポイントです。製作者が米・英の場合は、英語圏の観客ですから英語版になります。 戦前、ヨーロッパでは、同じ映画でもドイツ語版とフランス語版を別々に撮影するなんてことが有りました。 「三銃士」「ノートルダムのせむし男」「シラノ・ド・ベルジュラック」「ジャンヌ・ダルク」など全てハリウッド製は英語です。 聖書から題材を取った映画もたくさん作られていますが、聖書の人物が米語を話していたとは考えられませんよね? 皆さんご指摘のように海外では「吹き替え版」が一般的ですから字幕版に慣れた日本人ほど違和感は感じないのだと思います。 台詞どころかタイトルや挿入カット(看板や手紙等の文字など)までフランス語になっているアメリカ映画は何本も観たことが有ります。 アメリカも公開される外国映画が全て吹き替えということは有りません。アートシアター系で公開される映画には字幕版が多いです。 フランスでも原語版が、数は少ないけれど必ず公開されます。10館で公開されていたら2館は原語版とか、夜の7時からの上映は、原語版にするなど。 日本の吹き替えは、俳優本人の声と声優の声が似ていないことが良く有りますが、フランス等は本当に良く似た声の持ち主が吹き替えをしています。声は似ているけれど「演技」は、また別物で、吹き替えにすると「生き生き」とした感じは失われることが多いですね。 面白いのは、フランス語吹き替え版のアメリカ映画を観て感じるのは、西部劇やアクション映画は何とも間が抜けてしまうのですが、歴史映画は逆に米語の安っぽさがなくてフランス語版の方が「合う」のです(特にイタリアやスペインと言ったフランス語とおなじラテン系言語を話す国が舞台になっている場合)。
お礼
映画によっては、想定の観客が90パーセント以上その言語を理解できなくても、自国語以外で撮られるものもありますよね。 前にもあげましたが、「ホテル・ビーナス」や「冷静と情熱のあいだ」など。 観客を物語りに引き込むため(リアリティを持たせるため)そうしたことをするのだと思いますが、それは日本人が字幕に慣れているからなのかな?と思いました。日本人が字幕以上に吹き替えに慣れていれば、そんなことする必要はありませんからね。 私は映画を見る時たいてい字幕版を見ますが、やはり吹き替えを選ばない理由は違和感や役者の生き生きとした演技が損なわれる気がするからです。 吹き替えにすると、役者の演技が半分も生きてこないように思うのですが、吹き替えが主流のところではそういったことは気にしないのでしょうか。気になります。 まあ、どこの国でも映画好きの人は字幕版を見ると思いますけど。(そして吹き替えも見ていそう) フランス語吹き替えのアメリカ映画は見たことはありませんが、そうですか、「合う」んですか。見てみたいですね。 米語が荒いと言うのは分かりますが、クイーンズ・イングリッシュはどうなのか気になるところではあります。 イタリック語系、ケルト語系、ゲルマン語系の違いと言うのも聞き分けてみると面白そうです。 興味深い回答、ありがとうございました。
#3です 度々すみません 他にも思い出したので補足的に 韓国でみたハリウッド映画(「ハンニバル」)はハングルが字幕でした 東南アジアのある国でハリウッド映画を見ました(「トゥイスター」) その国の言語の吹き替えでしたが 俳優の口の動きに絶妙に合っていたので始め どこの英語? と思ってみていたことがありました フランスからチェコ(正しい言い方はチェク)へ行くバスの中で映画をやっていました メグライアンが出ている映画なのですが(確か「フレンチキス」)はじめそれを見た時 耳を疑いました 英語でないことはもとよりセリフが “棒読み” なのです 翻訳された台本を感情表現せずに 書かれたままをそのままに読んでいるのです さらに 恐らく場面に沿ってない! 人が出ていない場面でもセリフが読まれているからでした でもそう思った最大の理由は それではなかったのです 朗読の声に原因がありました 男性です 台本を朗読しているのが ずーっと男性 なのです ずーっと。。。 メグがでてきて喋っているのに 野太い男の声で棒読みのセリフ (せめて男女に分けろよッ。。。) バスの乗客に驚いたふうの人は 私以外いなかったのは言うまでもありません。。。 不思議惑星キン・ザザの世界にはまってしまったような気持ちがしたのでした (どうでも良いけど「ジャパン」と言うのもやめてほしい 俺の生まれ育った国は「にっぽん」って言うんだよ! すみません 話がそれました(汗々)) 今回は脱線しっぱなしです お粗末さまでした
お礼
面白いお話をありがとうございます! こういった話を望んでいたんです。難しい話題で考えこむのもまた一興なのですが。 棒読みで声の区別がないと言うのは聞いたことがあるような気がします。 吹き替え用の台本を作るのは字幕を作るのよりずっと大変らしいので、そうした手間をはぶいてしまったんでしょうね。 口に合わせてうまい言葉を見つけなければならないから……。それを思うとお話の東アジアの国はえらいですね。 分かりやすい、と言うのはありますが、字幕より数倍手間のかかる吹き替えがどうして主流の国があるんだろう……? どうせ吹き替えをするのならニュースみたいに二重音声にしたらどうだろう、と思いましたが、聞きにくいですね(苦笑) 「ジャパン」はマルコ・ポーロさんのせいらしいですが、「日本」は「ニホン」なのか「ニッポン」なのか悩むところです。 正式には「ニッポン」らしいですが、個人的には「ニホン」のほうが……。 同じ国でも地域によって呼び方が違って、由来などを調べたら面白そうですね。
そういった違和感を感じるのは歴史映画が多いと思うのです。 『ラストエンペラー』『スターリングラード』『エル・シド』『スパルタカス』『グラディエーター』『ジャンヌ・ダルク』など。 歴史映画を撮る際、アメリカは歴史が浅いので、他国の歴史を借りてくることが多い。だからそういうことが起こりやすいのではないかと思いました。
お礼
そうですね、たしかに歴史映画に多いです。 服装などの時代考証はきちんとするのに、言葉だけ違うと言うのは変な気がします。 まあ、あまり昔過ぎると今と言葉遣いが違ったりするのであまり忠実だと自国語でも理解不能になってしまいそうです。 ただ、「ホテル・ビーナス」「冷静と情熱のあいだ」など、日本が製作元でもちゃんと韓国語なりイタリア語、英語なりをしゃべっている映画もあるので、米国映画にもがんばってほしいと思います……。 ありがとうございました。
質問の内容からずれてしまうかもしれませんが #1氏の意見とかぶるかもしれません カナダの東側のある州では映画館がフランス語(仏本国のものと英語圏の映画の仏語吹き替え)のものと英語のものとがそれぞれあります 私は 英語圏のオリジナルのものをフランス語の吹き替えで見ることに違和感を感じ それを当たり前のように見るフランス人に「吹き替えって変に思わないのか?」的な質問をしたことがあります 彼ら曰く「英語判らないんだから。。。」と何を疑問に思っているんだ?と言わんばかりでした その都市で行われる映画祭で日本映画を見たのですが 字幕が英語でスクリーン下に電光掲示板(というんでしょうか?文字が右から左へ流れて行く電光板)がありフランス語が流れていました 勿論音声は日本映画ですので 日本語でした 映画によって字幕がフランス語になることもありました またフランス映画には英語の字幕がありました ちなみに欧米諸国で ポケモン をなんと発音するかご存知ですか? 「ポキモン」です(書き間違いではありません POKEMON のEの上に ´ という記号がついています) 国境を境に違う言語が話されるとはいえ地続きの土地に住む人々にとって 他国の原作を自国語で演じることなど何ともないのかもしれません ちょっと話しがそれますが 歌などにもありますよね 英語で歌われていたものなのに(あるいはメロディだけのものなのに) まるで歌もの(あるいは日本の歌)のようなもの 私にとっては「蛍の光」などとても違和感があります(時期についても) 「遠き山に陽は落ちて」(曲名は??)や「野ばら」などもそうですし 最近英国作曲家のホルストの組曲惑星から「ジュピター」のサビ部分に詞をつけて歌っているものがありましたが 私にとってはああいうのも違和感を感じるものの一つです 歌一つ取っても 数限りないです 言語による違和感は他にもたくさんあります 言い出したら切りがないです 映画の吹き替えからかなり脱線しかねません(笑)のでここまでにしておきましょう もし英語版「モンテ・クリスト伯爵」をフランス語吹き替えで見たら 違和感ない のかなぁ?(気になる(笑)) 好き勝手に書いてしまい散漫になってしまいました。。。
お礼
お礼が遅くなってしまいました。ご意見ありがとうございます。 最初質問を書込んだ時は我ながら浅はかだったな、と私もここ数日いろいろと考えているのですが、難しい問題だなぁ……と思います。 「蛍の光」はたしかどこの国かは忘れてしまいましたが、ヨーロッパの民謡でしたよね。 三月に学校の卒業式で歌いましたが、歌詞に掛け言葉らしきものが使われていたり、日本の歌と化していますね。もとが日本の歌でないと知らない人もいるんじゃないでしょうか。 基本的にオペラなんかは吹き替えが出来ないので(やるつもりになれば出来るかもしれませんが)字幕になりますね。 歌についての疑問はたくさんあります……。 「モンテ・クリスト伯爵」は古典だから違和感がないのかもしれません。現代の話なら、さすがにちょっと変だなと思うように思うのですが。 私も吹き替え自体が悪いとは思いません。字が読めなくても分かりますし。ただ、もとから他の言語で撮ってしまうのが変だな?と思うんですよね。 私も考えがまとまらず散漫になってしまいましたが、とても参考になりました。ありがとうございます。
特にアメリカでは映画に限らずポップスにおいても英語以外の言語がヒットすることはめったにありえません。(例外としては坂本九、フリオ・イグレシアス、ネーナ等ごく数える程度)。 それは英語が世界的な通用語であるということと、ポップミュージックや映画の流行の世界基準が自分達であるということの自負(うぬぼれ?)のあらわれでしょう。 過去においても「ラストエンペラー」や最近では「ラストサムライ」も英語で当然のように作られていますし、フランス人の俳優といえども例えばドヌーブ、アジャーニ、ドパルデューといった面々のようにアメリカで成功している俳優達はみな英語が出来ることが条件のようになっています。バンデラスも英語が話せるから成功しているのですし、ジャッキー・チェンやジェット・リーなども言わずがなです。 そうは言っても、日本人が英語が話せる人に対するのと同じように、アメリカ人にとってはフランス語を話せる人に対して憧憬の念を抱くそうです。
お礼
そうなんですよね……。どうもそうした傲慢さというかうぬぼれというか、そういうものを感じてしまうんです。 英語が世界的な通用語だから、というのは分かります。だから仕方ないのかなぁとは思うのですが。 フランス人俳優で英語ができて、アメリカの映画に出ていたりする人たちはすごいと思います。もちろんフランス人にかぎりませんが。 英語圏でないところの映画でいい映画もたくさんあるので、もっと上映してほしいと思ったりします。 「ラストエンペラー」や「ラストサムライ」、みんなが当たり前のように英語を話しているのは変だと思いました。 これを書きつつ思ったのですが、私が気になるのは英語を使ってしまうことによって時代考証やらなにやらをないがしろにしているんじゃないか、と言うことのようです。 言語はその民族の誇りだったりしますよね。それを無視しては、本当のところは描けないんじゃないか……と。 「戦場のピアニスト」も確か英語をしゃべっていましたね。ドイツ人はドイツ語でしたが。もうちょっと言語に対して繊細になってもいいんじゃないかと思います。 見たことはないですが、そういう意味では「パッション」は偉いなぁと思います。
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お礼
声と口がぴったりあっていて、声を入れた時の変な違和感がない映画は、私はあまり見たことがありませんが、いいですね。 画面を見ないでも声を聞いただけでアニメや吹き替えはそれと分かってしまうので、その違和感が気になってしまうので……。 「もののけ姫」は日本語以外では見たことがないのですが、DVDは持っているのでちょっと他の言語でも聞いてみたいと思います。全く知らない言葉で聞いてみたら、けっこう面白そう。 そういえば漫画ですが、日本の漫画は擬音が多用されているので訳すのが大変だそうですね。 きちんと考えたら分からないけど、なんとなーく伝わってくる擬音って多いですから。 そもそも、背景や人物などの画面と一体化してしまって、差し換えられない擬音もたくさんあると思うので、そうした兼ね合いも難しいんでしょうね。 やっぱり言葉を他の言葉に変換するのは大変なことなんだだなぁと感じます。
補足
みなさん、たくさんの回答をおよせくださりありがとうございました。 とても参考になりました。いろいろと考えさせられ、私にとって有意義な時間になったと思います。 みなさんにポイントを差し上げたいのですが、選ぶことができません。 申し訳ありませんが、該当者なしということにさせていただきます。 参考にならなかったというわけではなく、みなさんの回答に甲乙をつけられないからです。ご了承ください。 本当に、ありがとうございました!