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なぜ人間は自分にとって不利益な選択をできないのか
- 人間が自分にとって不利益な選択を避けるのは、本能と理性の作用によるものです。
- 本能は生物の生存や存続のために生まれる前から決まっている反応です。
- 価値観が変わっても、理性は判断の仕方を変えることはできず、常に自分にとって有益な結果を選択します。
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難しい問題ですね。 ですが、難しく考えないと私の中では答えは一つになりました。 それは「自分に不利益になるのは嫌だ」ということです。 嫌だからその行動を選択出来ないという答えしか、浮かびません。 そもそも理性とは、欲求を満たす為の手段だと感じます。 つまり、理性とは別に目的がある、理性という手段を使って何かをする目的があるというものです。 例えばお腹が空いたけども今は会議中である、といった場合…。 欲求は食欲ですが、それを今すぐ満たしてしまえば会議どころではありません。 会議を抜けてしまえば、会社を解雇されたり、職場の人間に信頼されなくなってしまうかもしれないですよね。 つまり食欲とは別の欲求、即ち自分の評判を落としたくないという欲求が心にある訳です。 それを理性という手段で満たすのです。 本能に関わるような欲求がまずあり、次に自己顕示欲など様々な、三大欲求に次ぐ欲求が出てくる訳です。 一番大切なのは生命の維持の為にある欲求ですよね。 これが関わってくると、そして危険に晒されると、その次ぐ欲求は出てきません。 それどころではないからです。 ですがまだ大丈夫だと思う余裕がある時、自分に有利な展開になるように(有利になれば結果的に自分自身の繁栄に繋がります)今後を考え、本能の欲求を抑えまた次なる欲が出てくるのです。 それを叶えるのが、理性になります。 また理性は、どちらが損か特か、どちらに価値があるか、どのような意味があるか決定していくことことは得意です。 でも何故そういったことに価値があると信じているのか、何故それに無条件に従ったり嫌ったり好きだと感じるのか、その一番最初に動機になったものに理性の目が向けられることは少ないと思います。 長くなりましたが、結局理性は欲求を実現させる為の手段・道具でしかないと思うのです。 自分にとって不利益な欲求を抱かないというのは、また本能の部分でしょうし、不利益な結果になれば人生に障害が出ます。 本能と理性は直結しており、欲望を満たす為に、生きる障害にならぬように迂回しながらも、その目的を果たす為に動いているだけなのです。 だからこそ、理性は有益な選択しか出来ないようになっているのだと思いますよ。 ご参考までに。
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- vagabond_0710
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ん~、素人ながらに疑問に思います。 >本能の反応が自分にとって不利益な選択をできない 「自殺」行為はどうでしょう。自ら生命を絶つという行為、おそらく人間以外自殺する生物はいないと思います。(例えばカマキリのオスはメスに食べられますがあれは自分の子孫を残すためです) そもそも無意識の働きはまだまだ未知の領域なんだし、全てにおいて不利益な選択ができないとは限らないと思います。しかしこの問題も言葉の問題でもあって、つまり、「不利益」という意味において個人差があると思います。人間は瞬間的にみれば常にひとつのことしかできないし、そこに「利益」や「不利益」の理性判断があるかといえば、また微妙です。 今のところ、僕は自分にとって不利益な選択は可能だと思っています。目の前に1円玉と100円玉があって好きな方を取っていいよと言われたら、どっちを取るかは人それぞれです。つまり人それぞれの価値観があるわけですよね。「不利益」なのが価値という価値観を持った人もいるのではないでしょうか? どこか間違いがありましたら、ご指摘願います。
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回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。
この回答は、数合わせのいいかげんなものです、 くれぐれも本気にしないで下さい。 「選択されたものが、有益である」 まずこの可能性が無いかどうかを、吟味する必要が有ります。 それに、無批判に理性が存在すると考えるのも危険です。 くれぐれも、参考にしないで下さい。 尤も、私はこの延長線上で、解決できる可能性を探っていますが。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。
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