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死とか暴力とか
こんばんは! 昔からもそうですが、最近ゲームとかドラマでよく死とか暴力が出てるじゃないですか それって普通になってて、不倫もそうですが、それがあって当然という風になってると思うんですが みなさんはどう思いますか? というのも、死が正しいとか暴力が正しいとはありませんが 簡単に死や暴力が出てる気がするんです。 社会でもよく「死ね」とか平気で言う人や、特に子供が平気で「死」と言う言葉を使ってる そのことに驚愕をおぼえるんですが。 私が子供の頃はやられたーとかやっつけろでした。 今は殺せーとか死んじゃったーとか。まぁ私の周りだけかもしれませんが。 死ねとかいう言葉は間違いなくよく聞きます。 そしてドラマでもよく死とか暴力が出てると思うんですが どう思いますか? 私は死んだ人が生き返ると思ってる人が多いと聞いて、ちょっと怖いです。
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- echodawn
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私は19歳(男)ですが、友達同士のコミュニケーションとして、よくふざけ半分で「お前本当死ねや!」などと口にします。おかしいと思われるかもしれませんが、私達の中では、大阪人の「アホか!」と同じ感覚です。かといって命の重さをわかっていないわけではありません。死という言葉が会話に頻出することが、その人の生命観や倫理観の貧しさの表れだと考えるのは、ちょっと短絡的すぎると思います。日本語文化としてなげかわしい、というのならその通りかもしれませんが・・・。 死や暴力の表現を含んだゲームやドラマが子供に与える悪影響は、確かにあると思います。しかしゲームには、血しぶきの描写や性表現のあるものには、15禁などの年齢制限が表示されています。ドラマでも、時間帯を遅くする配慮はされていますよね。 それより広い範囲のこと、殴り合いといった軽めの暴力表現や、物語上必要な死の描写などが子供に与える影響は、もうメディアの持つ影響力として仕方ないと思います。それより、家庭内のコミュニケーションや教育がうまくいっていることの方が、正しい生命観や人間関係の運用法を学ぶのに大事ではないでしょうか。 死人が生き返ると思っている小学生が多いというのは、私もテレビで見ました。メディアのせい、身近で親類の死を体験しないせい、など諸説ありますが、私には正直わかりません・・・。成長するにつれて自然に学ぶことなので、それほど気にすることではないとも思うのですが。昔より死を学ぶ年齢が極端に遅くなっているのでしょうか?でも佐世保小の事件もありますし、気になりますよね。
- tiltilmitil
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>私は死んだ人が生き返ると思ってる人が多いと聞いて、ちょっと怖いです。 そうでしょうか。世界中でかなりの人は復活を信じているはずですが。彼らの信じるところの「神の子」は一度死んでから復活したとされていますし、世界の最後には全ての人が復活して審判を受けるといわれているはずです。
お礼
回答ありがとうございます^^ 私が思ってるのはそういう意味じゃないです。 全文を読んでいただいたり、最近のニュースを見てれば分かると思うんですが、 死んだとしてもその人が、その人としてすぐ生き返る。 ようはリセットがきくと思ってることが怖いってことです。 死んだ人が生き返ると思ってるそういう方は輪廻を信じているって事でしょうか
こんばんは 死を軽視してる人は身近な人の死を見ない限り死を意識する事は無理だと思います。 むかつく死ね、死ねって感じ(どういう感じ?この世から排除したいという意かな?)というのは、最近サイゼリアで中学生か高校生かわからないぐらいの女の子の団体が度でかい声でいってました。 多分ですが、本当に死ねとは思ってないかとは思います。 (そう信じたいですが) 自分に都合のわる事、ゆうずの聞かないことは、全て死ねみたいな感覚ですねきっと。 後は教育ですね。 ゲームである、桃太郎伝説は鬼とかやっつけると、 殺したではなく、こらしめた、と、表示されます。 いいですね。 誰かにむかつく死ねと言われたり、どっかから、むかつく死ねと聞こえたらおまえが死ねって思ったり言ったりするかも・・・。
お礼
回答ありがとうございます^^ 私はここまで死を軽視している人は、身近な人の死を見ても理解は無理だと思います。 葬式の間でも遊んだりしてそうだし…。 私も本当に死ねって意味で使っているとは思っていません。 でも本当に相手がそれで死んじゃったらどうするんだろうって^^;
- pasya
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こんばんは! 確かにそういう言葉が多いですね。私も非常に問題だと感じています。 何を問題だと感じているかと言いますと「死」とは何か?「暴力」とは何か?その言葉の意味を理解せずに使っていることです。現実的ではない言葉は現実的でないまま行動へとつながっていきます。これは日本の社会を作ってきた我々大人にも大きな責任があります。 例えばメディアはよく「○○対○○の戦い」といった表現を使います。これは社会がその表現を求めているからです。メディアは視聴者が求めるものをそのまま伝えます。 「買収合戦」「海外企業対日本企業」「与党対野党」・・・ 全て戦いです。目的へ向かうための手段は戦いしかないかのような表現をします。新聞各紙などでもこういった書き方ばかりです。 しかし本当に戦いは必要なのでしょうか?またこれは社会にとって有益なものなのでしょうか?非常に疑問に感じます。なぜならば、企業間においても政治においても国家間においてもそれは良い社会を目指した「競争」なのであって決して戦いではありません。今よりも環境に良い方法を発見した、あるいは今よりも平和で豊かになるシステムをつくった、だから我々の国ももっとできることがあるのではないか?学ぶべきことがあるのではないか? これは競争です。 競争によって目的を達する場合もあれば、最初から調和によって目的を達する場合もあるでしょう。しかし、それすら結局最終的に同じ大きな目的を目指しているに他なりません。個々がより良い状態へと努力する。その結果調和へ向けた良い意味での競争が生まれる。 決して「戦い」ではないのです。 戦いは必ず「正義」と「悪」、「勝者」と「敗者」を生み出します。それが病気や自殺者が増える原因の一端でもあると思うのです。「死」や「暴力」こういった言葉の意味を理解することは「傷み」を理解することです。まず大人が率先して変えていくべきではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます^^ そういえば最近は何でもかんでも戦いにしたがってますね。 よっぽど戦いが好きなんでしょうか…。 お受験戦争って言葉は聞いたことはないですけど、そんなのもあるのかなって感じがします。 競争は大事ですよね。でも戦争や無益な戦いは意味がないと思います。 時には戦いが必要な場面も出てきますけど、それはそれですよね。 ここまで頻繁な事じゃあないです。
死ねという言葉には、感覚が完全にマヒしていると思います。私の子供の頃、クラスで「死ね!」と口にした子が先生にきつく叱られたことがありますが、もう、すごい昔話という感じです。 それと、スタジオジブリと宮崎駿は子供にも安心してみせられると思うのか、すごい人気ですが、私は「紅の豚」「天空の城ラピュタ」の殴り合いのシーンは、とても嫌で仕方ありません。(ついでに言えば、身分制度を肯定しているような印象も受けます)殴り合いしてぼこぼこになるシーンが、BGMに乗って見せ場になってます。子供は勘違いしそうです。 「なんとか殺人事件」というタイトル、ちっとも刺激的じゃないですよね。まるで駅弁を選ぶような感覚で小説を手にしたりします。まるで殺人事件が日常茶飯事であるみたいに。 小説の世界だけでなく、ゲーム感覚で衝動的な殺人も増えました。今は犯人が子供でもないと世間の耳目を集めないです。 殺人がこれほど軽く扱われるようでは、命の重みなんて言葉が空しく聞こえますねえ。 思うんですが、まだ自我の確立していない子供の時代に、次々と敵を殺して行くといったゲームは、よくない影響を与えるんじゃないでしょうかねえ。邪魔になったらすぐ排除=殺す、という短絡的な図式がインプットされそうに思います。 危ないからという理由で小刀やカッターナイフを禁じるのも考えものだと思います。危ない刃物を扱って、その危険性を知り、切ると痛いのだとわかるのも大事なことだと思います。
お礼
回答ありがとうございます^^ 私もジブリは好きです!「紅の豚」と「ラピュタ」は私とちょっと違うみたいですね。 この世の中に全く暴力がない、そして完全に身分制度がない訳じゃないです。 そしてまぁ作られた時代もあるでしょうが、見ていてそんな悪い暴力じゃないと私は思いました。 それより今のまさに「なんとか殺人事件」ですね^^; これは酷すぎると思います。 暴力も理由がある暴力ならいいと思うんですが、理由もなくドラマなんかだと 真似するだろうなぁって。
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お礼
回答ありがとうございます^^ ちょうど私の弟と同じ年代です。そして、同じ感じですね 私は思うんです。それでふと相手が本当に死んだら、死ねって言った人はどうするんだろうと。 相手の気持ちはその人じゃない限り100%は分からないです。 だから相手が死ねと言いつつも、本当は言うのが嫌かもしれませんし 結構物事を深くとらえる性格かもしれません。 それで死ねって言われて死んだらどうするの?って感じです。 いやまぁ説教する訳でもないですし、私がそういう疑問を弟を見て感じているって事です。 そして最近のドラマがいくら遅い時間にやっても、ゲームに年齢制限をかけても たいした制限にはなってないですからね^^;逆に興味をそそるんじゃないでしょうか あと核家族が増えたことやご近所さんとの関係がなくなってきたのが 死から遠ざかった原因でしょうね。 昔は祖母が亡くなったときや近所のおばあちゃんが亡くなった時に 初めて死を体験したと思いますから。 まぁ家庭でのコミュニケーションや、きちんとした教育があれば 死という言葉が簡単に出てくることはないと思います