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遠山金四郎、大岡越前
度々時代劇の事で申し訳ありません。 江戸を斬るでおなじみの遠山金四郎は最後に今で言う判決の申し渡しをしてますが、実際に白州で裁き、その場で「何々の刑に処する」と言っていたのでしょうか。 また大岡越前は非常に忙しかったとは聞いてますが、この時代今の裁判なる物はあったのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
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- kusirosi
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回答No.1
町奉行は、 江戸において、現在の 都知事 警視庁警視総監 東京消防庁消防総監 東京地検検事正 東京地裁所長 まですべて兼任している存在で、 また、幕府の最高裁判所である評定所の一員でもあり、 その権力は絶大でした。 但し武家屋敷・寺社は管轄外なので武士僧侶の逮捕には慎重を期した。 (当然、非常に多忙な役職で、 午前に江戸城に行き、上様や老中に報告し、 午後は奉行所に戻り遅くまで働き、 奉行所内の役宅で寝る←住み込み\(^^;)。 裁判や捜査に費やせる時間は わずかです。大半は、担当与力の報告書を検討して追認した判決を下していた。) 判決の言い渡しは、もちろん、 逮捕され奉行所に連行された者に 入牢言い渡す拘置決定も、かならず奉行が宣告する 慣習で、ために、深夜早朝寝ていても部下が手柄立て 悪人しょっぴいてくると、叩き起こされてしまうという 過酷な勤務環境でした。 大岡越前や遠山の金さんは、公正な裁判を、心がけていたでしょうが、 司法の独立という考えなく、警察・検察のトップと裁判長が同一というのは、 制度的に問題ありですね。 なお、この時代も、江戸など天領では、死刑は町奉行のみでは、執行できず、 死罪の判決は、老中の許可もらってから、言い渡し、 執行も、老中通じ将軍に書類回し、将軍のハンコもらわないと、できませんでした。
お礼
その場で奉行が言い渡す権限はない、と言う事でしょうか。 昔も今も正式な書類上の手続きが必要、というところですね。 ありがとうございました。