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考えるときの声

こちらのカテゴリーでいいのか分かりませんが、教えてください。 人間が物を考えるときの声というか、聞こえている感じの…声(それしか言い方が分かりません)は誰の声ですか? 自分の声のようにも思うのですが、はっきり確信できません。 実際に聞こえている声じゃないからと思い、誰かの声で考え事をしてみようと思ったのですが、多少無理が出ました。 人間は誰の声で物を考えているんでしょう。 また、考えている時に聞こえると感じる声と、実際の聞こえる音は脳の同じところで処理されているんでしょうか。 訳のわからない質問ですが、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ruehas
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回答No.3

こんにちは。 果たして、それは質問者さんの声であるのか否か、何とご回答申し上げたら良いのか、これは難しい質問ですね。 まず、聞こえているのは、質問者さんの思考が言語化され、それが意識に登ったものです。 どうして聞こえているのかと言いますと、そのとき質問者さんの聴覚を司る中枢が働いているからですね。そして、働いているということは、聴覚中枢は実際に声が聞こえているときと同じ処理をしているということです。この処理が成されることによって、それは声として認知され、質問者さん意識に登ります。そして、質問者さんは声が聞こえていると認識するわけです。つまり、まず、その声は聞こえているときと同じところで同じように処理をされています。 頭の中の思考を言語化してくれるのは、言語を取り扱う中枢です。言語中枢とか、言語野とか言いますね。ですが、それを言葉として認識するためには、どうしても聴覚中枢の働きが必要になります。 我々が頭の中に何かを思い起こすときは、たいがい何れかの感覚中枢を使っています。感覚中枢とは、視覚や聴覚などの感覚機関から情報を受け取り、それを処理するためのそれぞれの処理中枢です。どのように使うかと言いますと、それを記憶のパレットのようにして使います。 音を思い出す場合は聴覚中枢を使いますし、色や形を思い浮かべるためには視覚中枢を働かせます。そこに記憶を呼び出して、見たように、また聞いたように、その状態を再現するわけですね。ですから、言語化された思考を言葉として扱うためには聴覚中枢が働きますし、それを文字として認識しようとするならば、視覚中枢の助けを借りなければなりません。正しくは「視覚連合野」「聴覚連合野」というらしいです。 さて、この声の主なんですが、いったい誰の声なのか、こんなにも判別し辛いのはどうしてなんでしょうか。 聴覚中枢が反応しているのですから、脳の中では、それは声を聞いているのと同じことです。ですがその声は、実際に誰かが言葉を話しているのを耳で聞いているのとは情報量が全然違います。 例えは、耳から得られた情報で、聴覚が判別できるものには以下のような要素があります。 音の大きさ。 音の高さ。 音の質。 音の方向。 音の変化。 この内、言葉を理解するために最低限必要なのは「音の変化」だけです(まあ、発音やアクセントなんてのもありますけどね)。言語中枢は、聴覚が捕らえた音の変化さえ分ればそれを言葉の特徴とし、その意味を特定することができます。 これがどういうことかと言いますと、つまり、何か考えるために頭の中でそれを言葉として再現しなければならないにしても、これ以外の情報は不必要なんです。だって、音の大きさや音質、まして、音のする方向なんてのは言葉を理解するのに全く意味がありませんよね。何よりも、実際に耳から声が入って来ているわけではありませんから、元々そこにはそれ以上の情報は含まれていないんです。つまり、頭の中で作られる声には、声の質なんていう情報は最初から再現されていないということなんです。ですから、それがではいったい誰の声なのか、きちんと判別できないのは当たり前ですよね。 では、そのような情報は不必要だから再現されないのといえば、必ずしもそういうわけではありません。どちらかと言えば、普段はそれを意識していないだけで、ちょっと意識すれば、声質の再現もある程度は可能です。 例えば、漫画や小説を読んで、台詞の部分を登場人物のキャラクターや男声・女声に読み分けるなんてことは、やればできますよね。それから、良く知っているひとの声を思い出して頭の中で再現してみるとか。 ですが、人間は感覚神経などから得られた情報、即ち言葉で言い表すことのできない体験を記憶し、それを思い出すのがたいへん苦手です。色や形、音に関する人間の記憶というのは相当いい加減なものなんです。 質問者さんは試してみて、あまり上手くゆかなかった仰いますが、それも道理ですね。できるといってもそれはある程度までで、そんなにリアルに、また思い通りになんてなりはしないんです。ですから、頭の中で声質をきちんと再現しょうと思っても、人間の脳はそういうことが元々苦手なんですね。自分の声で考え事ができれば良いのですが、そんなことに神経を使っていては、考え事の方が纏まらなくなってしまいます。 ただですね、これは全く根拠のないことなんですが、もしかしたら個人差があるかも分りません。色彩に敏感なひとはカラーの夢を見ると言います。ならば、音に敏感なひとは、自分の声で考え事をすることだって、もしかしたら簡単にできるかも知れません。 さて、余計なことばかり書きましたが、肝心の回答です。それはいったい誰の声なんでしょうか。 質問者さんの声帯から出た声が質問者さんの耳に入ったもの、もしくはその声質が忠実に脳の中で再現されたもの、というのであるならば、それは質問者さんの声に間違いありません。ですが、普段の頭の中の声というのは、どうもそういうものではありませんね。では、あれないったい誰の声なんだ。 ただ、これだけははっきりしています。ちょっと注意をして良く話しを聞いてみて下さい。声質は誰のものかは分かりませんが、その口調や論調は間違いなく質問者さんのものではありませんか。口調や論調は質問者さんが言葉を扱うときの癖ですから、そこには必ず特徴が現れてしまうはずです。 ですから、声質はともかくとして、やっぱり喋っているのは、質問者さん以外の人物ではありませんね。 当たり前か……。

その他の回答 (2)

回答No.2

自分が正しいと思っていても、人と話していると 実は違う事に気がつく事もあります。 自分の声だと、思いますが、あからさまに他人の 声だったり、自分のしらない事を話すような事が あれば、一度精神科の門をたたいた方がいいかも しれません。 もしくは脳外科。 精神が不安定になっていたり、脳に腫瘍ができていたり すると、幻聴や言葉に関する違和感が出るといいます。 一応念のために、超人的能力が自分にはあるという妄想が ある場合は、分裂症ぎみかと。 と、ここはでは重い話ですが。 誰かと話す場合は、耳から入ってくる声を聴覚野、 言語野(ウェルニケ領域)、前頭葉と通ると思います。 独り言は、骨電動や耳から、聴覚野を通り大体は 同じルートを。 頭で考える声ですが、前頭葉で直接生まれ、そこから、 波のように言語野に波及すると思うので、たぶん 脳内にある声のイメージだと思います。 つまり誰の声でもないです。 と、想像してみました。 専門家ではないので、怪しいですが。^^

  • LARK1
  • ベストアンサー率12% (4/32)
回答No.1

こんばんは 自分の声派です。 一番身近な声ではないでしょうか?

ryo1982
質問者

お礼

ありがとうございます。 やっぱりそうですか。 今のところ自分の周りも自分の声だと言っています。

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