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千利休は本当に切腹したのか
あの時代武士でないものが腹を切ることを許されたのか
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質問者が選んだベストアンサー
一応切腹をした。という事になっています。 しかし、切腹と言っても本当に腹に刀を突き立てる様な事は至極まれであり、あくまで形式の呼び方です。 彼の場合はたしか扇子を刀に見立てていたように思います。 普通の切腹には介錯人が付きますよね。彼らが首を落とすのはその扇子(短刀)に手が触れた瞬間だったらしいですよ。 参考URLがなくてすいません。 当方歴史好きの一般人なので、あらかじめご了承ください。
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- yahtzen
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千利休のことは詳しくないのですが切腹の実際についてはたしかTV番組で取り上げられたことがあって、扇子腹というのにびっくりした記憶があります。それほど前でもなかったと思うのですが検索してみても分かりませんでした。多少なり参考になりそうなページを書いておきますね。 http://www.h4.dion.ne.jp/~sanryu/b~seppuku.htm http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002253.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9
お礼
今の落語と同じで扇子は何にでもなるのですね。有難う御座いました。
- iemotojikimon
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表千家家元には「利休居士」着用の「具足」が残されて います。厳密に武士とは言えないでしょうが「士分」の 扱いだったのでは?また裏千家家元には同じく着用の 「吉光」の短刀がございます。また裏千家家元の伝承では 「大徳寺山門に有った居士の木像の首が切られた」事に なっております。また町人とは言え織田信長公より三千石の知行を持って召抱えらて居られましたので、「お腹を召されても」不思議は無いかと愚見しますが?
お礼
図録で鎧・短刀見たことあります。士分とゆう身分を知りました。有難う御座いました。
お礼
以前堺南宗寺の受付の方が本当に切腹したと思うかと問われどの本を見ても切腹したと思っていたので目から鱗です。確かに扇子は結界にも使いますよね。ただ利休は武士と同等だったのですかね