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新聞はオピニオンリーダーであるべきか?

私自身は、新聞は公正であるべきで、オピニオンリーダーとなるのは良くない、と思っているのですが、皆さんはいかがですか? このごろの、大手新聞の暴走を見ていますと、これでいいのかなあと思ってしまいます。 生身の人間が書いているのだから、完全に公正な立場で書けるわけはないのですが、イデオロギーに関わる記事は特に気をつけてほしいと思うのです。 事実だけを淡々と伝える、というわけにもいかないのでしょうか。 記者は、新聞の持つ影響力をしっかり認識して、プライベートな感想はまず脇に置いて、書いてほしいと思うのですが。 インタビューの前に、もう記事がほとんどできあがっているような、思い込みの激しい記事は、読みたくないのです。 ご意見、お待ちしています。

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  • EFSF032
  • ベストアンサー率37% (20/53)
回答No.4

前の方も書いておられますが、人間の行いである以上、完璧は無いし、完全なる中立な立場は無い、のでは? ましてや即効力の弱い活字媒体が、主義主張を持ち始めて言論・解説機能に移行していくのは、映像の時代においてはやむを得ないことなのでしょう。 公正(フェア)であるのは、当然です。アンフェアなマスメディアなんて恐ろしくて恐ろしくて、かつての鉄のカーテンの向こう側のようです。 ただし、 >インタビューの前に、もう記事がほとんどできあがっているような、思い込みの激しい記事は、読みたくないのです。 と、いう点は、まったく同感です。 取材を基に、考え方を組み立てて、そこから意見が出てくるのが本来の姿。最初からストーリーがあって、ためにする取材は、論外でしょう。 プライベートな感想は、コラムならよいのですが、社会問題にかかわる案件ならば、困ったことですね。 と、回答にならないことをつらつらと書いてしまいましたが、複数の、しかも立場を異にするメディアに目を通すのが必要な時代になってきたようです。

popoponopo
質問者

お礼

「複数の、しかも立場を異にするメディアに目を通すのが必要な時代になってきたようです。」 何が正しいのかは、自分の目で確かめなくてはいけないのですね。 どうも、新聞に「公正な立場」を求めすぎていたようです。 ご意見、とてもおもしろく、参考になりました。 「新聞」の放っていたオーラのようなものが、消えかかってているのを感じます。 映像の時代ですね。 記事が社会に与える影響力も、昔ほどではないのかもと思います。

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noname#14405
noname#14405
回答No.5

このごろ、といわず、新聞が公正でないのは昔から。 大手新聞の暴走は大戦の終わりの頃や文革礼賛報道の頃の方がいまよりひどかったと思います。 逆にこれまで無自覚に新聞を信用していた人たちが、新聞の暴走をちゃんと暴走と認識できるようになったのが重要だと思います。 新聞は昔から変わってません(むしろおとなしくなってる)。変わったのは読者の意識ではないかと。   「思い込みの激しい記事は、読みたくないのです」   とはっきり認識されておられる時点で、「騙される」事はもうないのですから、新聞が公正じゃなくても、読者がしっかりしていれば大丈夫なんじゃないでしょうか。

popoponopo
質問者

お礼

ほんと、そうですね。 大戦の終わりの頃や文革礼賛報道の頃のことを思うと、今のほうがずっと公正かもしれません。 変わったのは読者の意識ですか。なるほど! おもしろいご意見の数々、参考になりました。 皆さん、ありがとうございました。

  • popesyu
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回答No.3

>完全に公正な立場で書けるわけはない からこそオピニオンリーダーとして自覚して切磋琢磨すべしでしょう。どのリーダーの言ってることが説得力あるかはユーザーが選択すべき範囲の話です。 下手に我が社は公平ですよ的な立場にたたれるほうが返って混乱します。 読者はこの記事は公平にインタビューされた結果がまとめられたものとしてみるのではなく、そのメディアの都合の良いように編集されたインタビューとして受け取るべき。

popoponopo
質問者

お礼

「そのメディアの都合の良いように編集されたインタビューとして受け取るべき。」 なるほど、そう割り切って読むというやりかたもあるのですね。 どうも、物事を、色のついたガラス越しに見せられているようで、首をひねっていたのですが、そう思いつつも、同じ新聞を何十年も購読していまして・・・ 怠慢でしたね。

noname#15902
noname#15902
回答No.2

今の時代、ニュースを知る手段は新聞以外にもあるのですから、淡淡と事実だけを伝えるだけなら、 「けっ、つまんねえの」 とすぐにあきられてしまいます。 読者にとって、 「えっ、日本は周りの外国に遠慮しすぎじゃないか!」とか 「自虐史観まことにけしからん」とか 「朝日はアカだ」とか 「アメリカは世界平和の敵だ!」 などの感情を新聞に惹起してもらわなければ読んだ「かい」がなく、 読んだ「かい」がなければ、すぐに新聞などみんなから見捨てられるでしょう。 なんでわざわざ金払って「新聞紙」を買わなければいけないのだろうか、 とみんな思い始めるでしょう。 恐らく、新聞社は人々から見捨てられないように、焦っているのではないか、と思います。 それで、質問の「新聞は公正であるべきで、オピニオンリーダーとなるのは良くない、と思っているのですが、皆さんはいかがですか?」に関しては、やや反対です。 人々から見捨てられて新聞がなくなっても、私はかまわないのです。 しかし、私が何か意見を述べたり書いたりするときは、自分の好きなようにしたいのです。自分がそうである以上、新聞社にもその権利を認めたいというのが私の立場です。

popoponopo
質問者

お礼

おもしろいご意見、ありがとうございました。 「恐らく、新聞社は人々から見捨てられないように、焦っているのではないか、と思います。」 ほう!と思いました。 これまで高いところから、いつも庶民を見おろしていた新聞が、焦っている! ちょっと痛快な気がいたします。 「新聞は公正であるべき」」という私の意見は、「誰でも新聞を毎日読んでいる」という前提のもとに書いたような気がします。 新聞がなくなっても一向にかまわない、と思いながら読むとまた、違う感想を持てそうです。

回答No.1

 事実を淡々と伝えるだけにしても、伝える事実と伝えない事実を取捨選択する時点でどうしても偏りはできてしまうでしょう。  「そういうものだ」と割り切ってしまい、事件に対する反応も含めたのが記事だとして、複数紙を比較するのが現実的ではないでしょうか。図書館等でも閲覧は可能でしょうし。

popoponopo
質問者

お礼

「伝える事実と伝えない事実を取捨選択する時点でどうしても偏りはできてしまう」 その通りですね。 「事件に対する反応も含めたのが記事」 なるほど、と思いました。 ありがとうございました。