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髪を引き抜く癖について
こんばんわ。 私は心理学を学んだことがないのですが、ここで質問しても良いのでしょうか?(カテゴリ違いだったらごめんなさい) ある心理学の入門書のような本で読んだのですが、髪をさわるとゆう行為に隠れた深層心理は自己親密行動、それに対し、髪を引き抜くのは自傷行為、とありました。そしてそういった髪やヒゲを引き抜く癖がある人は、自己中心的である、ともありました。 このことについて、もった具体的に詳しく知りたいのですが。。。 すみません、お手数ですがどなたか初心者向けの回答、お願いできたら、と思います。 よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
心理学的に言えば、髪を引き抜く癖には、 「特定の意味はない」と考えるのが妥当と思います。 日常的に髪を触る癖がある人は、 女性でも男性でもそれなりにいらっしゃると思います。 私にも以前、その癖がありました。 ですがこれは顔にかかる前髪を払う行動が習慣化したものであり、 短い髪型にした後もしばらくはこの行動だけは残りました。 今ではそのような癖は抜けましたが。 これは明らかに「習慣」として学習されたものであり、 深層心理には何の関係もありません。 また、強いストレスにさらされた状況や緊張する場面で、 必要以上に髪を触ったり引っ張ったりする人がいるのは事実です。 しかし、これもただの「癖」であり、 緊張すると手を強く握ってしまう人、 緊張するとよくしゃべるようになる人、 緊張すると貧乏ゆすりをする人、などと同じで、 「緊張すると髪を触る」という癖を持っているだけです。 これも特定の意味を持つ場合はほとんどありません。 確かに、自傷傾向がある人の場合、 髪を必要以上に引き抜いてしまい、 それが原因で円形脱毛になったりする人もいます。 しかしこれは明らかな不適応状態であり、 髪を触ったりちょっと抜いたりする程度の健康な人に 一般化はできません。 そもそも、 「○○のような行動をとる人は、深層心理に△△が…」などと書かれている本は、 たとえ「心理学」とタイトルに書かれていても、 学問的な心理学とはまったくかけ離れた、 内容的な信憑性はゼロに限りなく近いインチキ心理学本ばかりです。 まじめな心理学では「深層心理(無意識と呼びます)」はそう簡単にわかるものではなく、 一人ひとりに対して時間をかけたカウンセリングを実施し、 いろいろな話を聞く中から少しずつ見出してゆくものです。 それとて、カウンセリングを必要とする人の治療の助けとして役に立つ程度で、 健康な人にとっては何の意味もないことですし、 その人のことが全てわかる魔法として使えるわけではありません。 (こんなことを言うと精神分析系の人に嫌われるかな…?) というわけですので、 質問者さんご自身やお知り合いにそのような癖を持つ人がいたとしても、 何の心配も要りませんし、なんら気を使うことはありません。 ただの「癖」です。 「自己親密性が高い」ということはないでしょうし、 (↑そもそもこの言葉自体がインチキくさい!) 「自己中心的」だなんてこともないでしょう。 第一、たとえばお知り合いに自己中心的な人がいれば、 髪を触るかどうかなんてことは気にしなくても、 ほかの行動からなんとなく察しがつきますよね。 「深層心理」なんてそんなもんですし、 心理学も、ちょっとした行動から他人の心の中を理解できるといった、 魔法や占いのような学問ではありません。 心理学にはそんなに期待しないほうがいいですよ~。
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- latipes
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こんにちは 深層心理には詳しくないので,質問者様の求める答えとは違うかもしれませんが, 髪の毛を引き抜く行為は,抜毛症といい, 不適応状態にある個人が,髪の毛を抜いてしまうという症状です. 頭皮がみえるほど抜いてしまうのですが,やめられず抜いてしまう・・・. 私のイメージでは,思春期くらいまでの子どもに多いのかなぁ. 行動療法の対象となります. このことから考えると,髪の毛を引き抜く人が 自己中心的というのは,違うのかなぁと思います. 私の知っている症例は, 実母が亡くなり,養母に甘えられない子どもの抜毛でした. また,過剰適応の高校生. 自己中心的とはかけ離れているかも・・・・. 関心があれば,抜毛症で検索をかけてみると より詳しくわかると思います. 髪の毛をさわることに関しては, さみしさをアピールなど聞いたことありますが, 心理学的な根拠は聞いたことがありません. 何か参考になればと思いつつ・・・.
お礼
抜毛症ですか。検索してみてみようと思います。 ありがとうございました。
- kaitaradou
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専門的には無意味な考えかもしれませんが、髪の毛やひげを抜くというのは、自分の存在を確認するには最も安易で確実な手段ではないかという事です。自分自身というものは物としては自分の体であるという以外にないと思います。体が確かに存在するという事を小さな破壊を通して確認しているのではないでしょうか。私は、どうして人間は体毛が少なくなったかという理由として、皮膚を鋭敏にしておくことが、自分(自我意識)というものが物質的基盤を持っていることによって安心する為に非常に重要な意味を持っていたからではないかと思っています。このことは生物としては無防備になる事を意味していますから衣服のようなものを用いるように頭で考える必要が出てきたのではないでしょうか。夏目漱石は自我意識の起源について分からないという事を良く理解していたようです。「吾輩は猫である」の中に書いています。彼は自分の鼻毛を抜いて原稿用紙の上に立てておくという奇癖を持っていたということです。漱石の行動も自分というものの存在を確認したいという無意識の欲求のあらわれだったのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
お礼
わかりやすい回答をありがとうございました。 やはり、心理学などは、難しく、ちょっとした本などは面白おかしく書きたてているにすぎないのかもしれませんね。 鵜呑みにせず、だから何?!くらいの気持ちでいようとおもいます。 ありがとうございました。