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立春
暦の上では春になります。しかし昔は新年を迎えると春と考えられていたと思います。(その名残?で年賀状には賀春などと書かれていたりしますよね。) ふと疑問に思ったのですが年が明けて「春」、立春からでも「春」、この辺の違いは何でしょうか。昔の人(平安時代とか)はどう考えていたのでしょうか。 そもそも私の疑問自体が大きな勘違いをしている気もするのですが気になってしまって、宜しくお願いします。
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若干ややこしいですが、春の始まりは3つあります。 新暦(太陽暦)の1月1日・・新正月 旧暦(太陰太陽暦)の1月1日・・旧正月・・今年は2月9日 立春・・今年は2月4日 旧暦と立春は深い関係が有ります。 旧暦はもともと月の満ち欠けで(月の中の)日を決めます。 ところがこれでは旧暦の月がどんどん進んでいってしまうので、 太陽の1年と出来るだけ合わせようとします。 これが太陰太陽暦(旧暦)です。 ここで月名を決めるために24節季というものを導入します。参考URL。 これは太陽の1年を24等分し、月名と対応付けています。 この24節季と月の動きを見比べて月名を決めていくのです。 ズレが大きいところは閏月を入れて調整します。 旧正月は毎年変動しますが、24節季の立春は殆んど毎年固定です。 乱暴な言い方をすれば旧正月の平均日が立春と言う事になります。 旧暦(太陰太陽暦)は数百年使われていたらしいですが、平安時代は この暦ではなかったと思います。 この時代正月と言うのはどうしていたんでしょうかね。
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- ymmasayan
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No.7です。細く質問にお答えします。 > ということは「月の満ち欠けにあわせた暦を二十四節気にあうよう調節していた」 > と思うのは強引になるのでしょうか。 強引では有りません。全くその通りです。
お礼
何度も質問してしすいませんでした。理解が悪くてすいません。少し恥かしいくらいです。本当にありがとうございました。
- shangyan
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二十四節気の決め方は、現在では太陽の黄道上の位置で決められています。立春は黄経315°です。 ところで一太陽年は365.2422日なので、暦上の一年つまり365日より約6時間ほど余ることになります。太陽の動きは毎年、6時間ぐらい遅れているわけです。これを4年に一回の閏年で一日24時間を設け、一気にもとに戻しているのです。この6時間ぐらいのずれによって二十四節気の日付がずれるときがあります。立春は基本的に2月4日ですが、1984年までは2月5日である年がありました。2025年からは2月3日になる年がでてきます。 また旧暦の一日(ついたち)は、かならず新月、15日は満月(に近い)になります。 月の満ち欠けの周期29.53059日の12倍と一太陽年とは当然、一致しません。それで太陽の動きをもとにした立春に対して月の動きをもとにした旧正月は毎年違う日になります。ただ立春前後に設けられるというだけです。 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0101.htm ↓No.6さんの和歌は「年内立春」について詠まれた歌ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5 あした2月9日は今年の旧正月です。中国や韓国の旧正月の行事についてニュースで報道すると思うので注目してみてください。
お礼
ありがとうございます。きっかり割り切れるものがそうそう転がっていませんよね。考えが足りなくてすいません。
- ymmasayan
- ベストアンサー率30% (2593/8599)
No.4です。補足にお答えします。 > 確か閏月は四年に一度。そうしたら旧暦でも立春と新年はずれる気がするのですが、 > 概ね一致すると思っていいのでしょうか。 4年に1度は閏年ですね。閏年と閏月は別物で、全く違います。 閏月は約3年に1回(正確には19年に7回)です。 閏年は1年が1日多いですが閏月は1年が13ヶ月になります。 例えば6月の次に「うるう6月」が来たりします。 この閏月を入れることで太陰暦を太陽の動きに近づけているのです。
お礼
ありがとうございます。勘違いしていました。度々すいません。ということは「月の満ち欠けにあわせた暦を二十四節気にあうよう調節していた」と思うのは強引になるのでしょうか。
- kogotokaubewe
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平安時代初め(905年)に出来た『古今和歌集』の最初の歌(巻第一・春歌上)は、 ふる年に春立ちける日よめる との詞書(ことばがき)がある、在原元方(ありはらのもとかた)の歌で、 年のうちに春は来(き)にけりひととせを去年(こぞ)とやいはむことしとやいはむ です。 暦(旧暦)の日付では、まだ古い年のうちなのに、立春(=新年)になった。いったい、過ぎ去ったこの一年間を、去年と呼んだらいいのか、今年と呼んでいいのか。 というぐらいの意味です。 質問者さんがお感じになった疑問を、平安人も感じていたということですね。
お礼
ありがとうございます。遅くなってすいません。前になんかそんな和歌を何かで読んだきがするなぁ、と思っていたのですが、出典がわからないままでした。わかって嬉しいです。
- shangyan
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今日は二十四節気(一太陽年を二十四等分したもの。よく間違われるのですが、「気」であって「季」ではありません)の「立春」で、暦のうえで今日から春ですね。 正月については、皆さんもおっしゃるとおり、旧暦では立春前後の新月の日だったので、暦のうえで春であることが多く(立春が元日の後になって、正月が冬のときもあります)、新年を祝うと同時に新春を祝っていたわけです。 この習慣が新暦に移されて続いています。それで1ヶ月もまえになるので変な感覚がするわけです。 なお、中国・韓国では旧暦の旧正月のほうがいまでも大事にされていて、正月休みも旧正月前後にとり、さまざまな新年を迎える行事を行います。お年玉だって旧正月です。今年は2月9日です。 ただ、この立春から始まる春は、あくまでも「暦のうえ」でです。2月4日ですよ。日本人の感覚では冬でしょう。 二十四節気は二千数百年前の中国中原の気候をもとに作られたものです。実際の現代日本の春と1ヶ月ぐらいずれています。それで日本の季節感覚とはあわないんです。 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0702.htm ちなみにこの中国の暦は、6世紀頃には朝鮮半島を経由して日本に輸入されたと言われています。ですので、平安時代の貴族たちも「立春」を知っていたでしょうね。ただ民衆はまだ、こういった天体の動きからの計算によって作られた文字の暦よりも、雪解けや桜の開花など経験にもとづく自然暦に従っていた時代だと思いますがね。
お礼
ありがとうございます。遅くなってしまいすいません。少し混乱してきそうになりました。まず教えていただいたサイトをじっくり読みます。
- Haru_Sakura
- ベストアンサー率45% (221/483)
これは旧暦と新暦の違いです。 実は「立春」とは、旧暦正月のことです。 なので、新暦(=太陽暦)が日本に入ってくるまでは、 「立春=正月」となっていました。 しかし、新暦が入ってきたことによって、行事が1ヶ月ずれることが起こり、現在の1月1日の正月と、旧暦1月1日の立春に分かれてしまった、ということです。 昔の人の感覚では「立春=正月」だったということです。
お礼
ありがとうございます。遅くなってすいません。
- shkwta
- ベストアンサー率52% (966/1825)
明治6年に廃止された天保暦では、現在の太陽暦で1月下旬~2月上旬に1月1日が来ます。つまり、江戸時代には、立春ごろに新年を迎えていたわけです。 (参考) http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm 旧暦←→新暦の計算ができるページです。
お礼
ありがとうございます。遅くなってすいません。
- marbin
- ベストアンサー率27% (636/2290)
↓が参考になりそうです。 節分雑記 http://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/setsubun.html 以下抜粋です。 ---------- 立春は新しい年の初め、 すなわち新年の元旦であった。ということは節分は一年の終わり、大晦日だったのである
お礼
ありがとうございます。お礼が遅くなってすいませんでした。
お礼
ありがとうございます。遅くなってすいません。太陽の動きにあわせたのが二十四節気、月の満ち欠けにあわせたのが太陰歴、あわせて太陰太陽暦ということでしょうか。確か閏月は四年に一度。そうしたら旧暦でも立春と新年はずれる気がするのですが、概ね一致すると思っていいのでしょうか。理解が悪くてすいません。