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間違いは誰にでもある

自分の非を認めることをしない人というのがいます、認めたら負けだとか思ってるのかどうか知らないけど、そういう問題ではないと思うのです。 自分の非を指摘されて、言い逃れができないとなると問題をすりかえたり沈黙したり、間違いを間違いとして認めないことには前進できないと思うのですよ、たとえその場はそれでしのいだとしても、また同じことを繰り返す、何でそのことがわからないのか疑問です。 どちらか一方に非があるというときもあるでしょうが、お互いに非があるというケースもよくあります、僕は自分の非は認めるようにしているつもりです、相手にも彼の非は認めてほしいと思います。 そんなに自分の非って認めたくないものなのかな?間違いなんて誰にでもあるわけだし、認めちゃえばいいじゃんと思うのだけど、自分の非を認めようとしない心理ってどういう心理なのかな?

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  • A_Bone
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回答No.8

こんにちは。 ちょっと思ったのですが、質問者さんは 「過ちを指摘されたら認めて謝れ」 というような指摘の仕方をされてませんか? 言いたい気持ちはわかります。 実際そんなつもりはないし、そういう言い方をしていても気づかないことって結構あると思います。 ですが、言われている人が「追い詰める(蔑む)ような言い方をされている」と感じれば、自分のアイデンティティを守るために反論するのは人間の性(サガ)です。 たとえ質問者さんが指摘した内容が正論であったとしても、です。 間違っていることを指摘し、相手にそれを理解させたいのなら、相手の言い分も認めつつ、会話の中で相手が正しい答えを自らの考えのように導き出せるように話の方向性を持っていけば、理解してもらえることと思います。 例題) 15階建てのビル、質問者さんと相手が10Fにいて1Fに下りたいとき、相手がエレベーターのボタンを押す。 なぜか[▲]を。本当は[▼]が正しいのに。 その時 1.「お前どっち押してるんだよっ。[▼]だろっ(怒」or「下に行くんだよ?どっち押してんだよ」 2.「早く上ってきて欲しいと思うと、下に行くのについつい[▲]押したくなっちゃうんだよね。判るよ」 どっちを言われた方が相手は素直に受け止められるかしら?

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 嫌味じゃなく模範的な回答だと思います、具体例を示すというのはいいことですよね、適切かどうかは微妙なところですが。 そんなまわりくどい指摘の仕方をしなくてはならないとはかったるいですね、けど仰る通りだと思います。できればそんな面倒な相手とは関わりたくないところですが、社会で生きる上ではそうもいかないので、うまく対処していきたいと思います。 できることなら間違いを指摘されたくらいで揺らぐようなアイデンティティを持たないでもらいたいですね、客観性・柔軟性を持ってもらいたいものです。

その他の回答 (9)

  • emichii
  • ベストアンサー率21% (145/685)
回答No.10

#5です。 >悔しいから素直に認めたくないって、いい大人がそういうことでは困ると思う。 でも内心はわかっていて、ホントは認めているから 自分が間違えてるかも、すら考えないタイプよりは ある意味歩み寄っていると思いますよ。 >僕は前者のタイプと思われがちです。ちゃんと理屈の通った説明をされれば間違いを認めるのにやぶさかではないつもりですけど。 「自分が正しくて周りが間違っている」と思っていると思われるなら もう少し回りの意見を聞いてみるといいかもしれません。 別に賛成しろとか、自分の意見を曲げるのではなく あくまで「人の意見を聞く」「耳を傾ける」んです。 その上で自分の意見を言ってみてください。 自分的には十分聞いているつもりでも はたから見たら足りないのかもしれませんね。

yellowbutterfly
質問者

お礼

どうでもいいことですが、僕のことを述べるなら、もちろん十分に人の意見には耳を傾けているつもりです。その上で、相手の言い分に論理的正当性を認めることができないことが多いのでそれを指摘すると沈黙されたり問題をすりかえたりされることが多いです。むしろ相手の方が、人の意見に耳を傾けていないと感じますね、何故なら相手の返答は僕のそれより早いからです(相手の頭の回転が僕の数倍早いのかもしれないけど)、「お前、感情だけでもの言ってるだろ」と思います、相手の意見に耳を傾けて感情的なものをできるだけ排除して論理的にものごとを処理しようとしている自分が馬鹿に思えます。感情でものをいうのは構わないのですが、それはそれとして論理的に客観的にものごとを捉えてどうなのかということはちゃんと理解してほしいです、その上で感情を優先させるのは構わない、感情だけというのがよくないです。たとえば、「あなたのいうことは正しいけど、冷たい」と言われれば、「そうかもしれない」と認めもします。 どうやら非を認めることのできない心理というのは「客観性」がポイントのようですね。

  • akushu2
  • ベストアンサー率10% (73/695)
回答No.9

自分の非を素直に認めないのは、基本的にその人の「生理」であり、ど~しようもない場合が多いです。 尚、心理というよりも、自分の非を認めようとしない人はとかく「自分」を優先します。 自分の存在が、「みんなのために」ではなく、「自分のために」なのです。だから何かあっても、「お客様に迷惑をかけた」とか、「会社のみんなに迷惑をかけた」などの想像ももちろんできません。 経験上です。客観的に見ても、素直に反省しない人はレベル低い人が多いですね。

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間は誰しも自分本位ですので、「みんなのために」も根源的には「自分のために」です。僕は「自分のために」非を認める姿勢でいます。 沈黙や問題をすりかえてる自分というのを客観的に見て、恥ずかしいと思えるような感性を持ってもらいものです。

  • oinieaga
  • ベストアンサー率12% (95/779)
回答No.7

本来、人は自我を持っているものです。 「ああなりたい。」「そうありたい。」 等、希望を抱くように出来ています。 ただし、自分の間違いを認めないと、いつか大きなマイナスを得るかも知れません。 それが、自分にとって受け入れ難い、ことだったらどうなりますか? 自分の考えに酷使することに、どんな価値があるというのでしょう?

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 「自分の考えに酷使」というのはどういう意味なのかよくわからないです、「自分の考えに固執」というわけではなくて? 僕も頭の固い人間にはならないようにしたいと思います。

回答No.6

こんにちは。 接客業をしていた経験から言うと、自分の非を認める人間って、思いの他ずっと少ないものです。 普段「いや、自分は自分に非があったら認めるぞ」と言っている人間でも、いざ、その時になったら案外何かと言い訳をしたり、論点をずらしたりして認めたがらないものです。 やっぱり 「認めたら損だ(金銭がからまない場合でも)」 「認めたらバカにされる(間違うような奴は劣った人間で、自分はそんな人間ではない)」 「この私が間違うわけがない(子供のような全能感の持ち主)」 「確かに自分に非があるようだが、言われてそれを認めるのは悔しい(相手との論争の勝ち負けという考えにすり替わっている)」 などが理由ですかねぇ。 いずれにしても、認めてそれを直す事が進歩につながる、という風にその時考えられる人はあんまりいませんね。でも、その時点では認めようとしてなくても、心の底ではわかっている人もいるかもしれないですよ。 逆に簡単に「あ、ごめーん」と認める人は、間違いを軽く考えているのでまた繰り返すし、非を認めるのに多少挫折感と時間を伴う方が、「もう二度とあんな思いはしたくない」と成長するかもしれませんよ。 まあ、その場で認められないのはいさぎよくないですが。

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、非を認めても反省がないのは考えものですね。

  • emichii
  • ベストアンサー率21% (145/685)
回答No.5

いますよねぇ。 あたしの周りにいる人では 自分が正しくて周りが間違ってると思っているか 「間違えた」事が恥ずかしかったり、悔しかったりして 素直に認められない、のどちらかでしょうね。 後者ならホントは間違いに気づいているから 指摘の仕方を優しくしてみたりしたら変わるし なんとかしようがあるからいいんですが。 前者はきついですよね。 自分は絶対合っていると思っているから 相手の話を聞いていても穴探しというか あげ足取りみたいな・・・。 素直になって聞いてみればいいのに、って思っちゃいます。 「相手のいう事は間違ってる」って構えてる感じがします。 でもホントはわかってたりするんですかね。

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 僕は前者のタイプと思われがちです。ちゃんと理屈の通った説明をされれば間違いを認めるのにやぶさかではないつもりですけど。 悔しいから素直に認めたくないって、いい大人がそういうことでは困ると思う。

回答No.4

頭の中の世界では誰でも支配される人物がいない絶対的独裁者です。頭の中の世界では周囲の人は人の形をしたロボットです。人格はありません。頭の中の世界では 周囲の人にも人格があるということは原理的に困ることなわけです。自分の世界の主導権が周囲のロボットに奪われることは恐ろしいことです。誰もそのようなことを望むはずがありません。あなたが自分の非を認めるというのは非を行った自分というものと非を責めてくる周囲のロボットより一段高いところに自分がいると考えて始めて可能になあることだと思います。このようなことは誰にでも叉いつでもできることではないことだと思います。

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり自分について客観的判断をくだすことは誰にでも、また、いつでもできることではないということかな?なるほど、確かにそうですね、感情的になっていると客観的になれなかったりしますね。

  • sameid
  • ベストアンサー率19% (88/452)
回答No.3

『お前ごときの人間に従いたくねぇよ』 と思う人がいるだけでしょう。 認める認めないではなくてさ

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 それは、相手によっては非を認めるってことでしょうか?従いたくないような相手の場合は非を認めず、従う気になる相手ならば非を認めると。そこに非があるならば、相手が誰であろうと関係なく非はあるはずだけど、相手が「お前ごとき」かどうかは非があるかないかとは関係ないことがわからないような人間は既に間違っているように思います。たとえ相手がどんなクズであろうと、言ってることが道理が通っているのであれば、それはそれで認めるべきだと思う。

  • milkmint
  • ベストアンサー率23% (9/39)
回答No.2

こんにちは。 自分がいつも絶対正しいと思ってる人は、非を認めないですよね。 そういう人は、自分が間違っていることが信じられないのではないですか?→間違えたらこの世の終わり!みたいな。 そして、そういう人は逆に、物事はすべて是非でしか、実はくくれないんです。 ○か×で解決することなんて、この世にはないと思うんですけれどね。(それが、間違いは誰にでもある、という答えになりますよね) なんかわかりずらくてすみません。

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分が絶対正しいと思ってる人、実は他ならぬ僕自身がそう思われることの多い人間です、そんなことはないつもりなんですけどね。 僕がよく出くわすのは、感情的になってるのか知らんけど自分の非を認めようとしない人です、彼らは言い逃れができないとなると問題をすりかえたり沈黙したりするのです。

  • angorumoa
  • ベストアンサー率14% (11/76)
回答No.1

知り合いにも一人いますよ 自分的に言えばプライドじゃないかな? 自分の考えは絶対に間違ってない ってねw そして回りから指摘されると沈黙してるしww それで段々と付き合いが無くなっていきます・・・

yellowbutterfly
質問者

お礼

ありがとうございます。 余計なプライドですね。素直に認めることができずに沈黙って、見てて痛いです。

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