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いい加減な性格で人からも認められません。
性格がずさんでいい加減です。 実験しても信用できるデータがないと先生にいわれます。 実験どころか普段の日常生活でも 字が汚い。整理整頓出来てない。 風呂に入ったり入らなかったり。 歯磨きをせずにうとうと寝てしまう。 脱いだら脱ぎっぱなし。など。 直すにはまず心がけ自分の内面考え方を かえることによって自然と 行動ににじみ出るようにする。 それとも嫌々でも無理やりでも 几帳面、丁寧に行動だけでもやってみて 徐々に潜在意識にすりこまして 心理的内面に働きかけていき いつのまにか当たり前に条件反射 できるくらいにまでなる。 どちらのほうがよいでしょうか。
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#1です。 簡単なことから、と書きましたが、もう少し考えてみました。 私自身もどうもそうだったようですが、要領がいいと言われる人がいます。要領がいいというのは几帳面とは言えないが上手いことやっているというような意味で使われていると思います。 そこで、要領がいいというのはどういうことなのかを考えてみました。あまり良い例えが思い浮かびませんでしたが、例えば、 「いつも遅刻ギリギリあるいはいつも少し遅刻をしてその連絡をしてくるが、電車や飛行機に乗るというような刻限がきっちりしていて遅刻が許されないような場合にはいつも余裕を持って現れる。」 というような人は、「あの人は時間にルーズ」とは思われない、あるいは「あの人は時間に少しルーズだけど、心配はいらない」と思われるのではないでしょうか。逆に、滅多に遅刻はしないが、飛行機に乗り遅れるような遅刻をすれば、「時間にルーズ」の烙印を押されるでしょう。飛行機のような場合は、結果的に間に合ってもあまりにギリギリで、待っている方が心配するという事態が生じるようでは遅刻しなくてもルーズと評価されるかも知れません。 ご質問で挙げられた「字が汚い」「整理整頓出来ていない」「風呂に入った入りはいらなかったり」「歯磨きせずにうとうと寝てしまう」「脱いだら脱ぎっぱなし」のいずれも些末なことで、それぞれはどうでもいいことだと思います。おそらくは、それが原因となって人の信頼を失うような事態を作ってしまっているのが問題なのだと思います。 例えば、字が下手でも、とりあえず読み間違えることはないというのなら大きな問題にはならないでしょう。整理整頓出来ていなくても、「あの書類を見せてくれ」と言われたときにさっと出せれば誰も文句を言わないでしょう。 他人がだらしなくしていても、それだけでは別にどうということはないはずで、その人のだらしなさが原因で何らかの迷惑を掛けられたとき、その時初めて「あの人はだらしない」という評価をするのだと思います。 直したくてもどうしたらいいのかわからないというのは、何が迷惑になっているのかわかっていないからなのではないでしょうか。そのあたりを思い起こしてみるといいかも知れません。
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- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
あなたが日ごろ大切にしているものは何かを考えてみてはどうですか?そして実験などを行うときもあなたの大切なものを扱っている様に行ってみます。ほかのことについても同じように、あなたにとってたいせつなものであるかのように対応してみたらどうでしょう。それが他の人から受け入れられないのだとしたら別の問題だろうと思いました。
お礼
ありがとうございました。 物事を軽く見たりすること無く もっと大切によく考えてみよう と思います。謙虚な姿勢を 忘れないように心がけます。
- kanoezohichi
- ベストアンサー率0% (0/2)
「仁と礼」孔子の教えです。 そのあとの弟子たちは、「仁がなければ礼はない」という人達と、「礼を守ることで仁ができる」という人達に分かれました。 この考えは今でも決着はついていません。 あなたはどちらが正しいと思いますか? あなたの質問は、今まで何万も何千万もの人々が考えて、それでも結論が出ないものです。 ただ、私は行動することをお勧めします。 あなたの中での最も重要なことが何かはわかりませんが、とにかく人に認められたいのなら、行動するしかありません。 あなたが人を見るとき、その人の行動からしか判断できないでしょう? あなたが何を考えていても、それを外に現さないことには他人には理解されません。
お礼
ありがとうございました。 積極的に面倒くさがらずに 行動を起こしてみようと思います。 参考になりました。
- marimo_cx
- ベストアンサー率25% (873/3452)
一つ書き忘れました。 トンネル効果を実証したエサキダイオード。 言わずと知れたノーベル物理学賞を受賞した仕事です。 これ、発見のキッカケは“面倒くさかったから”です。 最先端研究はニュートリノ観測のような地道な研究が必要な場合もあれば“ずぼら命!”な事もあります。 そんなに大げさに言わなくても『手抜きは発明の原動力』というのは事実です。 手抜きをするのも真剣に、ということです。
- marimo_cx
- ベストアンサー率25% (873/3452)
性格面とデータの信頼性、どっちのご質問でしょう? 過去の質問を見て来ました。 pengin105さんがデータが取れないのは自分のやってる事に対して目的も意欲も無いからです。 何をしているのか理解していないので歩留まりが上がらないのです。 字が汚いのはワープロ使えばOKです。 整理整頓できていない“ように見える”のは、研究者としては深刻ではありません、“ように見える”だけで、根拠があるならば。(安全管理者にとっては困りものですけどね…)
お礼
ありがとうございました。 おろそかになってしまうのは 自分がそのことをどうでもいい たいした事ないと軽くみているから だなぁと思いました。 参考になりました。
- osumitan
- ベストアンサー率33% (102/307)
内面から変えてじわじわとにじみ出るのを待つよりは、 1つずつでも具体的に行動を起こす方がいいと思います。 2つの選択で具体的にやる方を選ぶようにすることも、 ぐずぐずとやらない性格を直す1歩になると思います。 「3歩進んで2歩下がる」のような遅い進歩でもいいから、 実際に動くということをやることから始めましょう。 動くか動くまいか迷ったら動く方を選ぶようにしましょう。 自分も小さい頃からずぼらな方ですが、大人になってから 直そうとしても、小さい頃からのツケがありますから、 それを取り戻すための努力が必要なのは仕方ありません。 自分は結婚して、テキパキ動く奥さんにしかられてから ようやく少し体を動かせるようになりました。 自分の意志でやるのは難しいものです…
お礼
ありがとうございました。 まずはどんどん動いてみようと思います。 積極的に頑張ります。 参考になりました。
- Quattro99
- ベストアンサー率32% (1034/3212)
可能であればどちらでもいいと思いますが、前者は実質的に不可能なのではないでしょうか。可能ならとっくに出来ているでしょうから。 やはり、簡単なことから訓練するしかないのではないかと思います。 あと、ちょっと気になったのですが、「信用出来るデータがない」というのは、性格とは関係がないと思います。「信用出来るデータ」というものがよくわかっていないのではないでしょうか。「信用出来るデータ」とは「客観的な事実として認められるもののこと」だと思います。どのような実験なのかわかりませんが、統計学的な検定が必要な類のものに関して検定がなされていなければ、その実験からの考察は全く意味の無いものになってしまいます(予想だけでも意味のある場合もなくはないでしょうけど)。
お礼
ありがとうございました。 まずは自分から行動を起こしてみようと思います。 普段から丁寧に規則正しい生活を 心がけてみようと思います。 頑張ります。
お礼
ありがとうございました。 だらしなさのうちにも他人に迷惑を かけるだらしなさと自分だけの問題と どういうものがあるか日常的なことから よく考えて振り返ってみようと思います。 参考になりました。