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ふざけるな(怒)
この記事をよんで腸煮え繰り返りました。人様の 年金や税金を使い浪費する大バカ者がいるそうですね。 しかも自分達の年金には一切手をつけないずるさ。 それでいて国民に負担増を求めるのですから、呆れて 物も言えません。 どうしてこのようないい加減な事がまかり通るのです か?普通国民に負担増を求めるなら公用車なんか スズキ スイフト(79万)で十分だと思うのですが。 何かいい解決策はありますか?やはり民営化ですか? http://www.tanteifile.com/tamashii/index5.html
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ニュースや新聞では社会保険庁が悪いように書かれていますね。 たしかに保険料を使用しているのは社会保険庁なのですが、保険料を社会保険事務所の福利厚生費などに転用できるように財政構造改革法という法案を提出したのは、厚生労働省です。 そしてその法案を国会で通過させたのは、ほかでもない政治家です。 社会保険庁ばかり諸悪の根源のようにニュースや新聞などでは言っていますが、これらの政治家や厚生省事務次官の名前は一切出てきません。 なんででしょうね? 当時の厚生労働省の族議員がその後押しをしたわけなのですが、「こういった法案が国会を通過しますよ」と警告する新聞社も、当時ではひとつもなかったのも事実です。 国民の広報となるべき新聞社も、この責任を負うべきだとは思いますし、もちろんのことながら、知る権利を行使しなかった国民も含めてですけどね。 という私もここまで大げさに騒がれるまでは知らなかったのですが(^_^;) 公用車については、軽などのほうが実用的ですよね。 もっとも、一等地にある官舎が、月額○万円となっていると言う部分は、ちょっと語弊があるのかなと思っています。 一般の会社であっても、住宅手当は支給されていますし、私も昔は5,000円で東京23区内のアパートに住んでいたことがあります。(もちろん一般の会社です。) 論ずるべきはその家賃ではなくて、官舎が建てられた費用が年金保険料から支出されていたことにあるにもかかわらず、「家賃がこれだけ安い」ということにすりかえられています。 新聞社やテレビ局も論点がカナリずれているとしか言えません。 >何かいい解決策はありますか?やはり民営化ですか? これだけ国民に騒がれているにもかかわらず、今までと同じようにやっているようであれば、それはそれでおかしいことですよね。 年金関係については、民営化をしてもおそらく保険料が高くなるだけでしょう。 今現在の給付を維持したままで、民間の保険会社ができるかといったらまず無理なんです。 何年も先の給付を保障するわけですからね。 その間に会社が倒産するかもしれませんし、株価が落ち込み運用に失敗することも考えられるので、民間にとってはリスクが大きい制度なんですよ。 国がバックについているからこそ、できる制度になっています。 一番良いのは国民による第三者機関が、その運営を監視すると言う方法でしょうかね。
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- lucidity
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ご立腹は最もだと思います。結果的に社会保険庁が信頼できないと判明したのなら、それへの対処法を考えて実行しましょう。ご自分で年金改革を訴えて立候補するのも一案です。
- uoza
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正義感の強い御方とみました。 自分のフトコロを痛める金ではないということでしょうね。 「自分達の年金には一切手をつけないずるさ」→公務員労組にも問題があると思われます。働く者の条件を良くすることに一線を越えてます。あるいは逆に、厚生年金労組を結成しない方が悪い ? 「国民に負担増を求める」→「法律」は国会議員が成立させるので、これは誤り。国会議員もまた「自分のフトコロを痛める金ではない」というタッグチームです。 「やはり民営化ですか?」→民間が「自分のフトコロを痛める」ことはありません。やはり「越後屋」になるでしょう。それと、社会保険庁は事務部門であります。厚生労働省が法案作成し、国会議員がそれを成立させているといるもので、年金関係の問題をすべて社会保険庁にぶつけるのはまちがっています。国会議員の尻拭いまでさせられるのでは、民間も二の足を踏みます。「事務費のムダ遣い」と法改正とはやはり別物として考える必要があります。人口構造問題は、否定しようもないものですから。 結論としては、愛国心がないということです。
- kaitaradou
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ピントはずれかもしれませんが一番の方法はお金万能主義の風潮を老人の力で変えることではないでしょうか?年金を貰う人が貰う年金以上の貢献を社会に還元できるような仕組みを提言されてはどうでしょう?この貢献はむしろおかねの形をしているものではないのかもしれません。昔年金制度などなかった時代には普通の老人はお金のかからない盆栽とか俳句などを楽しんでいました。老人が増えてきた社会ではお金は万能ではないと思います。年金の金額ばかりが問題とされていますが、多くの老人が求めているのは心の安らぎではないでしょうか。社会をぐるりと取り巻いている死の世界に最も近い老人こそが社会を死から守る立場に居ることも考えるべきではないでしょうか?あなたのその怒りのエネルギーを老人の心の安らぎを実現する方向へ応用することは無理でしょうか?