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老荘は危険思想なのか?

老荘思想は危険思想なのですか?

みんなの回答

  • gsolti8
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回答No.6

儒教が一応の国教となっていた中国においては、儒教に反対する老荘思想は国家を揺るがす危険思想だったかもしれませんが、現代においてはむしろ重要視されるべきものでしょう。また、儒家から危険視されてはいましたが、前漢代初期や魏晋南北朝時代には政争に疲れた多くの高級官僚が老荘思想に傾倒していきました(道教は老荘思想に直接の関連はありませんが、南北朝時代には道士が皇帝の側近となり貴族高官にも慕われていました)し、仏教の禅宗や儒教でも朱子学には多分な影響を与えています。 重要視されるべきだと先に言いましたが、西洋文化における人間は自然の上にいて自然を支配しているという考えに我々日本人も欧米の人々も毒されてきました(言葉は悪いですが)。しかし、老荘は人間は自然の中にいて自然の一員であるといいます。自然の一員であるなら、自然を超越して文明を築こうとする人間の性質から離れ自然に帰ろうといいます。我々の生活は幾千幾万の大自然の生命に支えられているということを再認識し、感謝して、大自然の一員として人間以外の生命のためにも善処すべきであるということを現代人は理解しなければならないでしょう。 ちなみに、老荘思想は安楽するだとか休むことを教えているわけではありません。ここがよく取り違えられやすいところなのですが、自然に帰るということは自給自足の生活をしなければならないということです。老荘の生きた春秋戦国時代は農耕によって生活していました。足るを知るとか欲を捨て去るということは最低限自分の世話は自分ですることを厭わず、それから逃げないということを説いているのでしょう。

回答No.5

前の方の回答と重複しますが、老荘思想は一般的な価値観を否定します。 例えば、荘子では進歩自体に価値があるのではないことを示します。泥棒がいるから鍵が生まれ、そして泥棒の技術・鍵の技術が互いに進歩していく。孔子の説く仁義などの道徳も、犯罪者も重んじることであり、仁義などの道徳自体に価値があるのではないことを論じます。「無用の用」では「無用なものにも価値がある。」とし、有用性にのみ価値があるのではないことを論じる。こうして、孔子が説くような一般的な価値観を全て否定する。 また、老子の最後には理想の社会として、地域に閉じた生産・経済活動が描かれている。中央集権を目指す政府には望ましくない考えです。 また、養老孟司氏の都市主義・田舎主義を援用すれば、儒教思想は都市主義、老荘思想は田舎主義となると思われます。そして、現代は都市主義が圧倒的に主流となっています。 中国の現代史においても、儒教思想と老荘思想の相克を見て取れます。文化大革命時代は、「批孔」のスローガンの下儒教思想を否定し、「下放」といって都市生活者を農村に行かせ農業生産に就かせた。文化大革命後は孔子は復権し、工業化とそれに伴う都市化が進んでいます。

noname#10410
noname#10410
回答No.4

大道廃れて仁義あり、知恵出て大偽あり、六親和せずして孝子あり、国家混乱して忠臣あり。(老子) 一般的な意味での道徳を否定するからです。 仁義や知恵や親孝行、忠臣を乱れた世の中だから出てきていると言っています。道の行われる世の中では、孝行息子などというものもないのだと言います。みんなが孝行なので、孝行というものが存在しないのだ、と。 ただ、政治権力から見れば、老子の説く哲学的考察は、政治的に理解されます。 いかなる形であれ、秩序を否定する思想は、危険思想です。また老荘思想も、政治思想的な一面を持っていました。これが危険思想とされる最大の理由です。 ただし、先にも言いましたように、老子や荘子は、単純に社会道徳を否定したわけではないです(参考URL)。偽善的な孝行や忠義を否定したのです。しかしそれでも、体制や秩序を維持する側からは、政治や道徳を否定する方向に向かいかねない危険要素を持っていたことは、否定できません。一般庶民を教化するには、もっと単純な社会奉仕型の道徳や思想が良いでしょう。 もう一つは、同じような理由になりますが、無為思想です。 人為を廃するという考え方。生産階級、つまり納税者たちが、こんな考えをしたらどうなると思いますか?  中国では、漢王朝の始まりなどの一時期を除いて、老荘思想は政治からは外されました。基本的に老荘思想は宗教と結びつきました。そして宗教は、中国の政治にとって、頭の痛い課題でした。反乱を起こして、王朝を倒すまでの勢力になります。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_13.html
muu_001
質問者

お礼

政治的な問題と、経済的な問題があるのですね。ありがとうございます、とても参考になります。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

参考程度に 月曜日から土曜日まで働いて日曜日に休む。現代は金曜日まで働いて土日を休みとする。この休みとするという考えは突き詰めると老荘思想なんですね。人間は一日8時間睡眠をとれば、特に休暇日を必要としない生き物ですね。でも休暇日を設けるという考えがあることはすばらしいことですね。一日、無為自然に遊ぶということもすばらしいという考えが神にあるから休暇日を設けたのでしょう。いろいろな思想が現代の習慣のなかに織り込まれていると考えればいいのではないかと思います。多くの人間が狭いところに集まって生きてゆくためにはそのような変形が必要であったということでしょう。でも、その思想を一人体現して生きるもまた良しですね。そのような思想があるということを伝えることも大切なことですね。

回答No.2

 社会を成立させることを前提としていない考え方は体がなくても生きていけると思うことと同じで危険な思想ということになるのではないでしょうか?必ずしもいわゆる権力者に反抗しなくても、社会からの恩恵を蒙っているにもかかわらず社会を安定させることにはしないような生き方は危険思想というべきではないでしょうか.しかしいわゆる老荘思想を物質的な豊かさだけではうまくいかないということを示唆していると考えれば十分現代社会の中でも受け入れられる思想だと思います。危険思想かどうかはむしろ答えがないというべきではないでしょうか?

  • BLUEPIXY
  • ベストアンサー率50% (3003/5914)
回答No.1

老荘思想って 安楽に暮らすには、 煩わしいことを避けよう 隠者の生活をしよう というようなものだと思っています。 なので、危険だとは思いません 勘違いしてたらすみません。