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ものごとを客観視できるようになりたい
「哲学」コーナーでのコメントを見ていると、皆さんいろんなものごとを客観的に見る力があるんだなぁと関心しました。 というのも、先日、仕事上の上司に「おまえは自分を含めてその場を客観視することができていない」というアドバイスを受けたところなのです。 就職活動の時にやるような、「自己分析」はレベルはともかくやり方はわかるというか、できている感覚はあるのですが、リアルタイムに進行している”場”と”プレーヤー”の状況を客観視するという感覚がわかりません。 単に余裕がないだけかもしれないのですが、コツというか、皆さんがものごとを客観視するときに意識してやっていることを教えてください。
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私見を述べます.小生はまず展望台を見つけます.見つからなかったらとりあえず自分で展望台を作ります.そして同じ展望台からなるべく素直に対象を観察します.見えるように見るということです.他の人が別の展望台から観て別のことを言っても気にする必要はありません.ただ自分が利用している展望台ははっきりさせるべきでしょう。 要するに客観的というのは自分が使っている展望台からの眺めを素直に述べることではないでしょうか.多くの場合複数の展望台からの眺めをまとめた結果を述べることを客観的というようですが,これは何を言っているのかわからないということになります。大切なことはこの展望台を見つけたのはこの俺だとか言ったり、どの展望台を使っているのか分からないようなことを言ったりしないことではないでしょうか.まして他の人が多く集まっている展望台はどれかなどと探し回ったりすればますます客観的ではなくなると思います.逆説ですが客観的というのは自分の視座を動かさずに見えるものを観るということに尽きるように思います。
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- sinfonia
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んー。これは哲学的な意味合いより仕事上の相談ですね? 主客問題に関して哲学的な回答を言えばjedimaster氏の ようになってまいますが。 私が意識してやってるのは「相手が何を考えているのか意識しよう」と 心がけるだけです。訓練にもよりますが、相手の動向を常に感じながら 仕事を続けるのはなかなか難しいです。何より、時間的な速さを求められ ている時は、何より主観に集中してまず仕上げなければならなかったり。 「客観視」の訓練に一つの方法として、普段何気ない会話に意図的に 集中する、というのがあります。漢字で言えば 聞く→聴く 状態です。 解かりにくいですかね。普段無意識に「必要でない」情報は脳の中で 「必要なし」と判断されてあまり記憶に残らないと言われます。 その「必要なし」の情報量を一時的に止めるイメージです。 一字一句聞き逃さない勢い(無理ですけど)。 正直、非常に疲れる作業ですが、何気なく普段から周囲を把握する ことに慣れていれば、いきなりの緊急事態に「取り込まなければならない」 情報量も減って、少しは落ち着けるかと。 あくまでも自論です。参考になれば・・・
お礼
ありがとうございます。 最近は自分が無意識のうちにやっている行動、言葉に注意するようにしています。 やりすぎるとぎこちなくなるのが難点ですが・・・ 相手の言葉の一つ一つに注目するというのも参考にさせていただきます。
- jedimaster
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世の中に「客観」などありません。 「客観」があると思うのがそもそも幻想です。 一般的に客観的と思われるものは、すべて多くの人の主観が統合されたものです。 人が主体的に物事を考える以上、すべて存在するものは主観です。しかし同じものを眺めた時、私はこう考える(私の主観)、上司Aはこう考える(上司Aの主観)、同僚Bはこう考える(同僚Bの主観)、取引先担当者Cさんはこう考える(Cさんの主観)、顧客Dはこう考える(Dの主観)…というところを、考えられる範囲すべて見渡して、「やはりここはこうあるべきだよな」という結論に至る考え方、あるいはその過程が「客観」に近い考え方ですが、その元となるのは全て「主観」に基づいています。
- vagabond_0710
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こんばんは!三度目の登場でしつこくてすいません。 自分が伝えたいことが、上手く言葉にできず再チャレンジをお許し下さい。 No.4のお礼で、 「主張するから客観視できる 客観視できているから主張できる にわとりたまごのようになってきましたが…」 とあります。 まず、主張するには主観が必要です。さらに、主観がなければ客観視もできない、ということです。 主張するということは、保守的ではなく、能動的になるということです。 No.4で、 「客観視するときは、まず意識しないことがコツ です。リラックスした状態が大切なのです。」 と書きました。 その意味は、「自分に囚われないこと」です。さっきは主張が必要と言ったのに、今度は自分に囚われないことなんて何か矛盾しているようですが、主張する自分とそれを客観視する自分、2つの自分を持つことが大切ということです。熱弁になれば、周りが見えなくなる危険があります。それは客観性が欠ける状態です。そうならないためにも、宇宙や空からその場の自分を眺めるような自分を持つこと。それが客観視するということだと思います。 そのためにどうしたらいいかというのが、No.6での回答です。 広く大きな心を持つ人間であれ!そのためにも一つの視点でなく、幅広い価値観念を持とうということです。何事も受け入れて、自分の意志でその真意を捉え、自分の考えを持った、自律した人間であること。 僕が目指す人間像でもあります。^^;
- kobe-kun
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> 皆さんがものごとを客観視するときに意識してやっていること 『 客観視 』が出来る能力は、何事を行うにも、大変重要な資質だと思います。 しかしこれは、簡単に身に着くものでもなく、日ごろからの多少の訓練が必要です。 ・ 歴史的事実や戦訓などから、それらを学ぶ。 ← (私は歴史的知識が皆無なのです。(泣) ・ 偉人と言われる人々の伝記などを、多く読む。 ・ 社会的に成功した人の、体験談や書物などを読む。 ・ 潜入概念を出来るだけ取り払い、根本原理まで戻って、繰り返し考えてみる。 ・ 定説になっているような考え方でも、細かく分解して、自身で考え直してみる。 ・ 興味を持った事柄は、インターネットなどでとことん調べてみる。 ・ 出来れば、さまざまな職業に付いてみる。 かなり実行し難いものも有りますが、上のことなどを積極的にやっていれば、 より客観的な考え方も、身に付くのではと思います。 しかし< 絶対的な客観視 >などと言う意味なら、それは原理的に存在しません。 なぜなら、「物事を見、考え、判断する」のは、常に個別の個性を持った人間なのですから。 Googleグループ「 客観的とは 」 http://groups.google.co.jp/groups?q=%E5%AE%A2%E8%A6%B3%E7%9A%84%E3%81%A8%E3%81%AF&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2
- vagabond_0710
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No.4の続きです。 保守的になるのでなく、能動的に捉えることがポイントで終わっていますが、この続きがあります。(笑) No.4を一言で言えば、大きな器を持った人間であれ!というようなことです。 それは強い精神を持つことかなと思います。コロコロ変わるようじゃ、その人のことを信用できません。最後までブレることなく貫き通す人間は、強い精神を持っていると思います。それは、いろんな角度から攻撃を受けてもなんら変わらないし、逆にマトを得ているからハッキリと言える。つまり、周りに流されるのでなく、自分の意志で生きていくことだと思います。そういうまっすぐな人間は、自分で自分を支えて自律しているのですね。 イメージ的には、宇宙から自分を眺めているような、広い心の持ち方だと思います。そうイメージしたら、小さいことでウジウジしている自分が小さく見えます。そういう自分を、操り人形のようにコントロールできれば、客観的に捉えることができていると思います。 そうなるステップは、自分が持っている価値観や人生観などの観念を明確に捉える必要があると思います。なんでも受け入れる広い心が、多くの価値観を知る柔らかい頭になって、さらに強い自分を創って、自分すら越えた自分を持つことになると思います。
お礼
続けてのお返事有り難うございます。 「自分がブレないから客観視できる」というのはkaitaradouさんの回答に通ずるものがあって、かなり解に近づいた気がします。 とにかく、明日も(もう日がかわってますが)お客さんとのミーティングなので、 ・あらかじめ自分の視座、視点、主張を明確にしておく ・能動的に玉を投げる ・自分との相手の視座の距離感をつかむ というのを意識してみようと思います。 深夜にもかかわらず回答していただいた皆さん、 建設的な回答ありがとうございました。 注)締めの言葉のようですが、期限の二週間が来るまでは締め切らないので、どしどし書いていただけるとありがたいです。
- vagabond_0710
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こんばんは! 客観的に見るためには、その"場"を捉える必要があると思います。 捉えることができれば、恐れることもなく心に余裕もでき、自分を守る必要もないので、自分がその"場"を自ら創っていくことができると思います。 客観視するときは、まず意識しないことがコツです。リラックスした状態が大切なのです。 逆説的に考えれば、主観、自分の意見などを主張することが大切だと思います。自分の意見を相手にぶつければ、相手は刺激を受け、それに対応した意見をぶつけてくるでしょう。で、なければ話も議論もできません。そうでなければ、ただの独り言になります。(笑) そうやって、お互いに意見を主張すれば、その"場"に異なった意見が存在することになります。 自分と異なった意見なので、自分にとっては新たな発見です。つまりより多くの意見を捉えることができるのです。それが、空から俯瞰するかのごとく、自分達を客観視することができると思います。 ポイントは、保守的になるのでなく、能動的に捉えることです。 あくまで僕の意見で、なんの科学的根拠もないですよ。^^;
お礼
う~ん 主張するから客観視できる 客観視できているから主張できる にわとりたまごのようになってきましたが、ともかく最初の一歩は、相手をみてデッドボールにならない程度にボールを投げてみるってことでしょうか。 ”保守的ではなく能動的”にというのは大賛成です。 ただ、相手の意見を引っ張り出すための投げかけが難しいんですよねぇ。
- sowow
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muchasさんこんばんわ。 とても素朴でいい感じの質問ですね。 経験では、自意識のほうを減らしたら、客観視のほうが強くなるようなならないような・・・。 でもそんな簡単に自意識減らせたら苦労はないっすよね・・・。 そして「リアルタイム」はさらにむずいでしょう。 無謀ともいえます。 僕もかなり修行しましたが、「もてたい」とか「認められたい」とかいう極個人的な欲求はなかなかしつこい障害ですね。 でもじつは、それを乗り越えて、自分を(そして相手や空気をも)客観視できるようになると、(男は)モテます。ええ、間違いなく。 だから、がんばってください! あと、今のmuchasさんのような謙虚な心も大切と思います。 ちょっと客観視できるようになったからって偉そうなことを言うような大人にはならないでくださいね。 まさにいまの僕のように・・・。 _| ̄|○、、、、
お礼
お返事ありがとうございます。 今、自分のなかでは、主観と客観は背反するものではない気がしています。 ”自意識”というのは周りの目を気にしているという意味では、客観的にみていることなのかと思っていましたが・・・ 会社のエース級の人間は、「俺が俺が」タイプの人が多くて、そういう人は周りを気にしていないのかと思っていたのですが、私にアドバイスした上司曰く「彼らは自意識過剰で、周りをものすごく気にしながら自分を出している。彼らが「俺が俺が」タイプでいられるのは、それだけ周りが見えていて、そこまで主張しても受け入れられることがわかっているからだ」と。 客観視できるから、どこまで自分を出してもよいかがわかるんだということらしいのですが、そんな境地は今のところさっぱりわかりません。
- master_low
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・自分以外の人間にアドバイスをもらうこと。 一人で判断せず他の人の意見を取り入れれば、客観視できることになるのではないでしょうか。 ・相手の立場になって物事を考えよう、と唱えること。 意識するだけでだいぶ変わると思うので、とりあえず客観的に物事を考えよう、と思うクセをつけてみる。 いかがでしょうか。
お礼
お返事ありがとうございます。 人に聞くのは答えを求めているようで嫌だったのですが、今日、別の先輩にはどんどん聞けといわれました。 自分からフィードバックの流れを作るのは大事だなぁと実感しました。 2番目は、余裕があるときはできていると思うのですが、気が乗らないとき(相当気分屋なのです)とか、必死になっているときはできないんですよね。まだまだです。
- akaiboushi
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私の場合ですが、その場でその場では限りなく主観的です。これに過去に体験した事を客観的に見つめ直した経験を付加させる事で、主観+客観を実現しております。後はどちらを優先させるか、です。
お礼
お返事第一号有り難うございます。 私の場合、職業柄、主張するだけではだめで、相手に納得してもらわないといけません。 akaiboushiさんの意見を見てはっきりしてきたのですが、私が必要とするのは、「客観的な意見を言う(または見方をする)」のではなくて、主張を通すために「自分、相手、場を客観視して伝え方をアレンジする」ということなのだと思います。 「主張を通すための客観視」がテーマなのかと。 気づきをありがとうございました。
お礼
お返事ありがとうございます。 「視座」というのも気になっていた言葉です。 視座と視点でセットに使うことが多いようですが、客観視でより重要なのは相手の視座を理解しているか、だと思っています。 あと、人それぞれの視座を自分との「相対感」で見ることも重要なのかもしれません。 自分の視座が動かなければ、(動いていないとわかるのだから)当然、相手の視座がどの辺にあるかがわかるはず。 これまでは相手のことを”凝視する”、”感じる”ということで客観視しようとしていたのです。何か絶対的な解があるかのように。 いや~、本当に得るものが多い掲示板です。Takeばっかりで申し訳ないです。 ありがとうございました。