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すっぽんぽんで遊ぶ子供
私の家の近くの海水浴場では、海水浴から帰る時シャワーで水着を脱いで、すっぽんぽんで歩いている子供がたくさんいます。 滝や小川の水遊びするところにもすっぽんぽんの子供がいると思います。 温泉浴場に行っても、異性の子供が普通にいて、楽しそうにしています、 恥ずかしがらずに堂々としているので不思議ですが、 大人は「本人が恥ずかしくなければ良い」と思っておけばよいのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんは子供の時、すっぽんぽんで 遊んだりしませんでしたかね? ご両親が分かるかと思いますが・・ あれは楽しいものなんですよ。 私は子供はすっぽんぽんで遊ぶものと 思っていましたので不思議でないです。 小さい子供の多くはまだ恥ずかしいと いう事もないと思います。 子供によっても多少の差違はあるかと思いますが。 「子供はすっぽんぽんで楽しく遊ぶもの」 と思われたらいかがでしょう。
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- akirahata
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>恥ずかしがらずに堂々としているので不思議ですが、 >大人は「本人が恥ずかしくなければ良い」と思っておけばよいのでしょうか? これは、「大人の目」と「子供の目」の違いによるものと思います。 「恥ずかしい」という意識が起きるのは、第三者及び相手と自分の関係を「客観的にみることが出来る」ようになってくるとそのような意識がでてきます。 子供がこのような客観的視点でものごとが理解できるようになるには、大人が教えるかまたは自分の成長過程の経験で身につけてゆくものです。 ご質問のような状況の子供達は、まだ客観的視点で物事を判断することを身につけていない状況なので、その成長過程で「ありのまま」でごく自然であり別に不思議なことでもなんでもないと思います。 大人の視点と常識からすると「??!!・・・」と思うことがありますが、それはあくまでも客観的にものごとをみている大人の視点の考えです。 余談ですが・・ひとは成長段階において大人になるある時期から、ものごとを「自分中心の『主観的視点』」から相手と自分の関係の『客観的視点』でものごとを見てゆくようになります。 そうすると、「相手から自分をよく見てもらいたい」とか「自分のマイナス部分を相手に見せたくない」などの煩悩のひとつとしての意識が働いてきて、自分を守るという名目の下で虚勢を張ったり隠し事をしたりして、赤ん坊や子供のような「純真・無垢」さが加速度的に失われてゆきます。 世渡りのために仕方ないとは言えども、禅の教えにある『無』=「何のこだわりもないあるがままの姿」でいれるよう、子供を手本に心掛けています。
お礼
皆様ありがとうございました。 すっぽんぽんで遊べるっていいことですね。
補足
純真無垢・・・たしかにそうですね。 周りの大人も温かい目で見ることでしょう。 問題なくすっぽんぽんになれるのは子供の頃しかないですからね。 子供を「何もない状態」にすると、本当の姿としていきいきするでしょう。
- Quattro99
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それでよいと思います。 昔からそうですし、むしろ昔の方がもっとおおらかだったと思います。だからといって、昔の人は不健全に育ってしまったということはありません。ですから、そのことが健全な育成の妨げになるということはないと思います。
お礼
早速ありがとうございます。 昔はおおらかでした。 確かに不健全な問題もありませんし、なにより「自然児」という感じでした。 温泉が恥ずかしい子供がいる一方で、すっぽんぽんで遊ぶ子供もいますね・・・ パンツ1枚で水遊びする子供がいますが、1枚のパンツをどう感じているのでしょう?
お礼
ありがとうございます。 自分の子供時代の記憶は定かではないのですが、すっぽんぽんが楽しいのは何となく分かります。 ちょっと前までは幼稚園や保育園ですっぽんぽんで遊んでいる子供を見たことがあります。私もすっぽんぽんだったかもしれません。 もしかして、小学校1年で水着の概念がわからず、全部脱いでいたかも・・・ 小学生にしても水着が面倒ですっぽんぽんで開放感なんて感じでしょう。 「むかしのこどもと未来のおとなが裸になってくつろぐ場所」と壁に書いてある温泉があります。