• ベストアンサー

愛国心の強い人の人質事件に対する思い

祖国を愛する気持ちが強い人は、同胞を愛する気持ちも必然的に強くなると思うのですが。ですので、今回の人質事件で、香田さんに不注意な部分があったにせよ、愛国心の強い人は、その強い同胞愛から、香田さんの安否を気遣う思いでいっぱいで、「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」という思いが生じることは、あり得なかったように思えるのですが。 不注意なやつだと、若干の憤りを覚えることはあったとしても、それがそのまま、「殺されて当然」という考えにつながるとは、非常に考えにくいのですが。 しかし実際は、愛国心が強くても、今回のケースで、「殺されて当然」という思いが生じることは、普通にあり得たりもするのでしょうか。あり得るとしたら、どういう考え方から、強い同胞愛と、「殺されて当然」という思いが両立するのか、教えて頂きたいのですが。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

少なくとも私は、両立しないです。 「殺されて当然」と思う人は、普通の意味でいう「愛国者」ではないと思います。 もし、ブッシュが日本の総理大臣であったとすれば、いいか悪いかは別として、特殊部隊を派遣して救い出そうとするはずですし、殺されたとわかったらそれこそ報復として1000人のテロリストを殺すべし、となるでしょう。 もっと言えば、戦前の日本で邦人が海外の武装勢力に拘束されているときに、「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」なんていう意見を言えば、極左の危険思想として国賊扱いされたでしょう。 「愛国心」ていうのは、「自分が危機に陥ったときには理由の如何を問わずに国(同胞)が絶対に助けてくれる」という確信がなくては生まれるはずがないです。 「国民は国に尽くせ」でも「国民が危機に陥っても、国は気が向いたときしか助けない」っていうのは、それこそ絶対王政とか奴隷制でしかないです。これは保守主義の考え方からは完全に外れています。

bowstring
質問者

お礼

>極左の危険思想として国賊扱いされたでしょう。 なるほど、そういうことですか。 >これは保守主義の考え方からは完全に外れています。 保守主義的愛国心では、「殺されて当然だ」はあり得なさそうですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (20)

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.21

No.16以降の回答の中で 「情報収集のようなことさえできない状況ではなかっと思いますので」 と言及していますが、これについて補足します。 日本は「情報収集なことさえできない」というのは一部は 正しく、一部は間違った表現です。 日本は外務省を通じて情報収集をしています。 拠点はヨルダンに置きましたが、そこからイラク国内のスンニ派 宗教勢力、イラク国内の部族、国民を拉致されたことのある 外国など関係する組織や国家に対して、仲介と情報の提供を 求めていました。これは間接的な情報収集活動と言えます。 しかし、日本がイラク国内で直接情報収集しかたと言えば、 これは否です。 なぜならば、日本にはCIAのような対外情報収集機関が 無いため、やりたくてもできないのです。 うかつにスパイ教育を受けていない外務省職員をイラク国内に 送り込めば、香田さんの二の舞になることは明らかでした。 できないことを「なぜしなかった!」と責めるのは、酷な ことかと思います。 まあ、私も愛国者の端くれでありたいとは願っていますので、 別質問の回答で、CIAに類似した組織の必要性について、 触れています。 ここで発言したところで効果はあまりないことは分かって いますが、世論を啓発する一助となれば有難いですね。

bowstring
質問者

お礼

質問文に、「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」とありますが、「血税を無駄にするな」に関しては、「こんな愚かな者は放っておけ。こんな愚か者は完全に無視すればよい」という意味合いであることを、他の方のお礼の中で触れていると思います。 ですので、「情報収集のようなことさえできない状況ではなかっと思いますので」に関しては、「手の打ちようが無いに等しい状況ではあったが、完全無視が正当化される状況ではなかった、ということを示したかったということです。 cse_ri2さんには3度に渡って回答を頂き、いずれも大変参考にさせてもらっておりますが、私の質問の本題の部分に関してもご回答を頂けていれば、さらに得るものが多かったと思えている次第です。 ありがとうございました。

  • S-E-A-N
  • ベストアンサー率66% (6/9)
回答No.20

〔S-E-A-N〕です。 これまでは同胞愛と「殺されて当然」という思いが両立し得るか(可能性があるか)という観点での考察だったんですが、 >質問文の、「血税を無駄にするな」の部分は、実際には、「こんな愚か者のために、政府はびた一文使うな(情報収集を含めた一切の救出活動をするな)。放っておけ」というニュアンスであり、 >[発言の主〕が、愛国心の大切さについて言及していたような記憶があったからです。 という原点から考えると、この発言者は本当は愛国者ではないか、あるいは愛国者ではあるが同胞愛は薄い人間(利己的愛国者?)ととらえる方が妥当でしょう。 「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」というのが本性だが、それでは自分があまりに極悪非道で身勝手な人間であると受け止められるので“愛国心”を持ち出して自己弁護し、自分の意見を正当化しようとしたのではないでしょうか。 誰のどういうシチュエーションでの発言か分かりませんが、今回の事件の説明に(まして「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」という意見を述べるのに)“愛国心”を持ち出すことは不自然だし必要のないこと(自己弁護や正当化のため以外には)のように思います。右翼や一部の人以外は本当に愛国心が強くても日常の中で“愛国心”を口にすることはまず無いですしね。(私はここでは言いましたが日常では無いです。) 発言者はニュースキャスターか政治家か何かだったんでしょうかね。

bowstring
質問者

お礼

>この発言者は本当は愛国者ではないか、あるいは愛国者ではあるが同胞愛は >薄い人間(利己的愛国者?)ととらえる方が妥当でしょう。 そういうことになるんでしょうかね。そういえば、「救出されることなど考えないで、殺される前に自分で死ね」的なことも言ってたような記憶もあり、やはり、ノーマルな愛国者とは捉えにくいですね。 ありがとうございました。

  • S-E-A-N
  • ベストアンサー率66% (6/9)
回答No.19

ANo.#17の補遺です。 投稿後に思ったのですが〔bowstring〕さんはなぜ質問の中で〔発言の主〕=〔愛国者〕であるという設定をされたのでしょうか? ANo.#17での意見はあくまでこの設定の基で、同胞愛と「殺されて当然」という思いが両立し得るか(可能性があるか)ということに対する一つの考えだったんですが…。 この設定の基でさらに補足させていただきます。 ANo.#17で『ジレンマが…感情論に発展する』と述べましたが、そこには以前の2回の人質事件(特に1回目)の時に抱いた感情も大いに影響していると思います。最初に事件のことを知った時は同胞愛の強い人なら必ず心から心配し無事を祈ったはずです。ところが家族の強烈な抗議や政府を激しく非難している態度(まるで彼らが捕らわれたのは政府の責任だと言わんばかりの)を見て、違和感を覚え不快に思った人は結構いたと思います。(私自身、それまでは真剣に心配していたのに、それからは一歩下がって事件を眺めるようになりました。)人々が受けた不快感や腹立たしさ(本気で心配していた人ほど衝撃も強かったのかも)はそのままの言葉で表現することは憚られますので〔自己責任論〕や〔費用負担〕という衣を着せて表明されたのでしょう。この不快感や腹立たしさを覚えた人たちの多くは、解放後の彼らの言動によっても鬱憤が解消されないまま今回の事件を迎えたことで、より論理矛盾が激しくなり感情的になった可能性はあると思います。 また別の考えとして、感情的にならずに冷静に判断した場合でも、同胞愛は彼(香田さん)だけに対するものではなく全ての同胞に対して抱いているものですから、彼を救出するために他の同胞により多くの犠牲が出る可能性が高ければ、残念ながら救出を断念するという選択肢を採らざるを得ないと思います。その場合「殺されて当然」などという発言は妥当ではないと思われますが、当人(=発言者=愛国者)の心の中で無意識のうちに、助けられない無力さを正当化し、虚しさから逃れるためにそういう考えに逃げ込むと言うこともあるかもしれませんね。人間の精神というのは以外に弱いもので、自己防衛機能が働いてそういう発想になることも否定しきれないと思うのですが…。 と言うか、そもそも〔発言の主〕=〔愛国者〕という設定はどうなんでしょうかね。

bowstring
質問者

お礼

>〔bowstring〕さんはなぜ質問の中で〔発言の主〕=〔愛国者〕であるという設定を >されたのでしょうか? [発言の主〕=〔愛国者〕の場合もあり得るのだろうか、という問いかけで、そのような疑問が生じた理由は、[発言の主〕が、愛国心の大切さについて言及していたような記憶があったからです。 以下、No17のお礼の中で述べている、私が想定する発言主(情報収集のようなことも含め、一切何もするなという考え)に当てはめて考えてみます。 >解放後の彼らの言動によっても鬱憤が解消されないまま今回の事件を迎えた >ことで、より論理矛盾が激しくなり感情的になった可能性はあると思います。 解消されない鬱憤が妥当なものかどうかは置いておくとしても、「論理矛盾が激しくなって感情的になって」というのならあり得そうですね。ただ、その場合は、後に冷静になった段階で、「行き過ぎた発言をしてしまった」と思い直す可能性が高そうですが。 >彼を救出するために他の同胞により多くの犠牲が出る可能性が高ければ、 >残念ながら救出を断念するという選択肢を採らざるを得ないと思います。 「より多くの犠牲が出る可能性が高ければ」とありますが、そういう可能性を見極める情報収集すら必要ないということですので、「助けられない無力さを正当化し、虚しさから逃れるために」というのは、個人的には考えにくいです。 ありがとうございました。

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.18

私自身、ご質問内容と同じ違和感を感じます。したがって、どうして同胞愛と「殺されて当然」とが両立するのかについての回答はできないのですが、想像や思うところを述べることに意義があると感じたので、投稿します。 「愛国心」の捉え方は、人によって実に大きく解釈が違うと感じます。ご質問に同胞愛と書かれていますが、この考えがある方向に強くなると、どの範囲を「身内」「仲間」「同胞」と認めるのかということに重心が傾いていくのではないでしょうか。 つまり「あんなことをするなんて、もう仲間とはいえない」と認識する、つまり、直ちに心情的には同胞ではなくなってしまうのだと想像します。愛するが故の「国のために仕方がない。無念だが助けに行けない」ではなく、「知らないよ。そんな迷惑な奴、仲間じゃないよ」だと、報道を見る限り、「自業自得」発言の主のコメントの背後に、私はそういう意識を感じてしまいます。 先の人質が解放された事件でも思ったのですが、「同胞を救出できた。当然のことをしたまでだが、助けることができてよかった」ではなく、「こんな非常識な裏切り者ですら日本はカネとヒトを使って救出に尽力した。なんと寛容な国だろう」を感じて、寒気を覚えました。 あくまでも私が受けた印象であり、感想です。 「殺されて当然」は、上記のような理由で同胞愛と両立せず、対象を同胞ではないと認識することで可能になる発言だと考えます。

bowstring
質問者

お礼

>つまり「あんなことをするなんて、もう仲間とはいえない」と認識する、つまり、 >直ちに心情的には同胞ではなくなってしまうのだと想像します。 なるほど。かなりしっくりくる解説です。ちょっと思いついたことを述べてみるなら、「殺されて当然」発言の主は(私が想定する)、故人の行動を、思慮が足りない迷惑な行動と受け止めているようです。みんなを困らせることを目的に意図的に行なわれた、とまでは思わず、馬鹿なことを仕出かした厄介者、という捉え方だと思えます。そこで感じるのは、厄介者はどうなっても構わんという思考で、使えんやつはリストラしてしまえにも似た、能力主義的な思考が垣間見える思いがしています。元々同胞に向けられているのは、愛ではなく、選別心(足手まといになる者は排除)に近いもののようにも感じられます。 ありがとうございました。

  • S-E-A-N
  • ベストアンサー率66% (6/9)
回答No.17

>愛国心の強い人は…「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」という思いが生じることは、 >あり得なかったように思えるのですが。 あり得ると思います。 愛国者というのは国益(自分の属する共同体の利益)の最大化を願うものであり、また同胞愛が強いものだという前提で今回の事件を考えると… 今回、政府のとった(と思われる)行動(情報収集、米政府・イラク有力者への協力要請、身代金交渉?)以上に踏み込んで、救出部隊を送り込んでの奪還やテロ組織に攻撃を加えることは(実際は法的にも技術的にも無理でしょうが…仮にアメリカにやってもらったとしても)日本本土および在外邦人へのテロ攻撃の危険性を増すことになり、さらに多くの被害者がでるかもしれず国益に反することになる。 また自衛隊を撤退しテロに屈する(と受け止められる)ことも、テロ活動を助長するばかりか国際的な立場で不利益を被ることになる。 従って彼を救いたいと思う同胞愛と国益の両立は不可能でありジレンマを生じる。 さらに(少なくとも報道から察する限り)今回の彼の立場は派遣された自衛官や奥大使、使命感から入国したボランティアや報道陣ら(あるいは北朝鮮拉致被害者)と違い、政府の勧告や道中多くの人の忠告を無視した不正入国であり、あまりに無計画で自殺行為ともとれる無謀な行動であったことを考えるとジレンマが不快感・憤り・苛立ちに変わり、「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」という感情論に発展することは想像に難くない。 私自身も(愛国者で同胞愛も強い方だと思いますが…)彼の無事を祈りつつも、何故あんな馬鹿なまねをしたのかという苛立ちのようなものを感じつつ見守っていましたし、正直言って政府にもあまりテロ問題に首を突っ込みすぎて欲しくないという思いがありました。(「自業自得。殺されて当然。血税を無駄にするな」とまでは思いませんでしたが…) 残念ながらアメリカの対テロ戦争(対イスラム戦争)を支持した時点で巻き込まれてしまっているのでしょうが、これ以上ひどい状況にはなって欲しくないですね。 それから余談になりますが… 皆さんの意見を拝見させていただいて、『愛国心』について皆さんがどのように考えておられるのか判り勉強になりました。また改めて考えさせられました。 『愛国心』というとすぐに軍国主義や右翼(街宣車で走り回っているような、マイナスイメージの狭義の右翼)と結びつけたがる人が多いので憂慮していたのですが、ここで見る限りそれほどでもないので少しホッとしました。 さらに余談ですが… 最近あるきっかけで戦前の日本と台湾の関係に興味を持ったことから、中国や南北朝鮮との歴史も調べていると、私たちが教えられてきた歴史や中国・南北朝鮮で語られている歴史がねじ曲げられたものであり、愛国心やプライドをどれほど阻害されてきたか気付き、恐怖感すら覚えています。また戦後のマスコミや教育現場等(あるいは正しい歴史を知らない国民の多く、また日本社会全体も…以前の私もですが…)が左に寄りすぎていることもそうです。共産・社会主義が間違いであったことは歴史が証明しているのですから反省と歴史の再認識が必要でないかと思います。右に傾くのもいけませんが中道に戻すべきです。 賛否両論有ると思いますが、特に否の人は是非、先入観を持たず、また捏造に惑わされず歴史を調べ直してみて下さい。

bowstring
質問者

お礼

>今回、政府のとった(と思われる)行動(情報収集、米政府・イラク有力者へ >の協力要請、身代金交渉?)以上に踏み込んで、 > >私自身も(愛国者で同胞愛も強い方だと思いますが…)彼の無事を祈りつつも、 質問文の、「血税を無駄にするな」の部分は、実際には、「こんな愚か者のために、政府はびた一文使うな(情報収集を含めた一切の救出活動をするな)。放っておけ」というニュアンスであり、殺害が明るみになった後には、悔やみの一言もなく、「見せしめになっていい」といった物言いでした。S-E-A-Nさん御自身、またS-E-A-Nさんが想定されている発言主とは、その心情にかなりの差があるように思えます。ですので、S-E-A-Nさん御自身とS-E-A-Nさんが想定されている発言主を、愛国的であるとみなすことは、私の理解の範囲内であると受け止めます。 ありがとうございました。

回答No.16

♯13の者ですが違った解釈をされてたので。 行かないほうがいい、行っちゃだめだといっても行く人もいますよね。助けたくても地雷原に助けにいけますか?ミイラとりがミイラになってしまいます。助けだしたいけど2次災害になるのでできないのです。どうしようもないのです。同胞がむなしく命をうばわれるのはつらいですよ。

bowstring
質問者

お礼

>助けだしたいけど2次災害になるのでできないのです。どうしようもないの >です。同胞がむなしく命をうばわれるのはつらいですよ。 なるほど、そういう意味でしたか。日本の地雷の探知・除去の技術はかなり高いものがあると聞いています。が、仮に、そういった技術が機能しにくい状況であっても、一切何もせずに状況確認をすることにさえ血税を使うなと、そこまでのことを言う人がいたら、その人が、瀕死の同胞をむなしく感じているようには思いにくいです。イラクのことに話を戻すなら、確かに打つ手が極めて乏しい状況ではあったでしょうが、情報収集のようなことさえできない状況ではなかっと思いますので、「税金を無駄に使うな。放っておけ」という言葉から、瀕死の同胞に心を痛める思いは、私には感じられないです。 ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.15

追伸程度に 愛国心というものは、国を治める者も、その国の市民も同じものです。国が自衛隊を派遣すると決めたのならば、それは国家として、国民の便益を守るためになした決定であり、それと今回のような個人の問題とは別の次元で論議するものですね。テロリストが、どういう理論を使おうが国民がテロリスト並みの思考で論議すべきではありませんね。 イラクへ行った青年の問題も、北朝鮮へ拉致された人々の問題も国としてみれば、最善の努力をして救出する問題ですね。この問題に個人の理由の差はないのですね。例えばその理由をつけるとすれば、あの総理が好きあるいは嫌いだからといって税金を払わないということはありませんね。また、私は海外に行かないから外務省はいらないともいえませんね。つまり、機能としての国家の部分はあるわけです。国家の機能は、機能として有効に使ってくださいということですね。それから、個人として考えるなら、海外に数十万もいる日本人は、ある意味同じ条件におかれているわけですから、方便であっても「何があっても助ける」といってほしいでしょうね。結果はべつとしてもそうあるべきですね。全てを自己責任論にしてしまえば、簡単ではありますが、団体や国家というものは必要がなくなってしまいますね。個人にも責任があるが、同時に国家にも責任があるという相互扶助の考え方ですね。この個人と国家の関係は、免責事項のある保険契約のようなものではありませんね。いくら天皇制が日本だととなえる吾人でも日本領土が日本だと唱える吾人でも海外旅行先で難にあえば、同じよう救出されるべきでしょう。そういう意味で、「・・・は当然」という概念は、出てきませんね。いろいろな事柄を同じ次元で論じてはいけないということですね。

bowstring
質問者

お礼

>全てを自己責任論にしてしまえば、簡単ではありますが、団体や国家という >ものは必要がなくなってしまいますね。 なるほど。 ありがとうございました。

  • 7_11shop
  • ベストアンサー率25% (42/168)
回答No.14

bowstringさんが思っているほど、発言者は、あんまり深く考えているように思えません。 税金を使うことは、自分にも関係してくるだけの額を支払わないと助けられない公算が高いですよね。これは無関心というわけにはいきません。増税の話になったら、そのときに救出したお金も原因もあるだろうと感じるでしょう。 逆に今回、香田さんが死んでしまうことは、つらい出来事ではあるが、そういう一時的なことよりも、今後の自分の生活の痛みのほうがつらいって思ってると思います。

bowstring
質問者

お礼

>香田さんが死んでしまうことは、つらい出来事ではあるが、そういう一時的な >ことよりも、今後の自分の生活の痛みのほうがつらいって思ってると思います。 なるほど、そういうことですか。ただ、香田さんに関しては「税金を無駄に使うな」と言っている人でも、被災者に対しては同様のことを言ってないようなので、「殺されて当然。税金を無駄に使うな」発言の根底にあるものは、「己の生活の痛み」のことよりも、そういう事態に陥った「理由」のことであるように、個人的には思えますが。 ありがとうございました。

回答No.13

殺されて当然というのを死んで当然と考えて強い同胞愛を忠告とかんがえれば、今から地雷原を歩いてきますという若者がいます。その人に対して忠告してそれを聞いてもいってしまう若者です。愛国心が強いひでなくともおなじではないですか?

bowstring
質問者

お礼

>愛国心が強いひでなくともおなじではないですか? いまひとつ言わんとされたいことがわからないのですが、推測で書かせてもらいます。 同胞愛による忠告を無視して、地雷原に踏み込んでいった人が、地雷が爆発して負傷して助けを求めてくるようなケースでは、「自業自得。死んで当然。血税を無駄にするな(救出活動はする必要なし)」と、愛国心が強い人でなくても思うだろう。 こんな感じでよろしいのでしょうか。 ありがとうございました。

  • WOc
  • ベストアンサー率38% (33/86)
回答No.12

>祖国を愛する気持ちが強い人は、 >同胞を愛する気持ちも必然的に強くなると思うのですが。 この前提で >強い同胞愛と、「殺されて当然」という思いが両立するのか という質問であれば、両立も可能、という回答も出せるかと。 祖国愛が強い人が、同胞愛も強くなるためには、 同胞も同様に強い祖国愛を抱いているという条件がないと 基本的には成立しません。 彼に祖国愛があり、行動も100%それに基づくもので、 崇高な目的を果たすために入国したのであっても、 イラクが日本を敵視する勢力が活発な地域で、 退避勧告が出ており、正規の入国はできないことを知っていた事実はありますから、 彼は死の危険を覚悟して入国したとしか考えられず、 勇敢であり、目的を果たせなかったのはさぞ無念であろう追悼するが 「殺されたのはやむを得ない(当然)」。 こういう考えになる人が皆無だとは言い切れません。 もっとも血税を無駄に、という思いは出ないでしょうし、 質問者さんは「殺害を歓迎している」風潮を感じて怒りを抱いておられるのでしょうし、 そんな奴らは非国民だと考えておられるのだと思いますが。。 しかし、それを踏まえた上で回答してしまうと、 死者をむち打つことになりますので、回答にはしませんでした。 じゃ投稿するなって言われそうですけど・・・。

bowstring
質問者

お礼

>彼は死の危険を覚悟して入国したとしか考えられず、 >勇敢であり、目的を果たせなかったのはさぞ無念であろう追悼するが >「殺されたのはやむを得ない(当然)」。 > >こういう考えになる人が皆無だとは言い切れません。 >もっとも血税を無駄に、という思いは出ないでしょうし、 「血税を無駄にするな」という思いは、「救出のための努力をする必要はない」ということで、単に、「殺されたのはやむを得ない」というだけの思いとは、格段の差があると受け止めます。 今回の件で、「自業自得。血税を無駄にする必要はない。放っておけ。殺されて当然」といった見解にかなり遭遇したものですから、こういう見解と愛国心が両立することがあり得るのだろうか、ということに関心を持ち、質問させてもらった次第です。 ですので、追悼した上で、「殺されたのはやむを得ない」程度の思いであるなら、私がイメージする愛国心が強い人がそう思うことがあっても、とくに疑問は感じません。 >質問者さんは「殺害を歓迎している」風潮を感じて怒りを抱いておられる >のでしょうし、 怒り云々の前に、どのような考え方からそのような思いに至るのか、ということに関心が沸きます。 >そんな奴らは非国民だと考えておられるのだと思いますが。。 いえ、そうは思いません。そもそも非国民という言葉は嫌いですので。 ありがとうございました。

関連するQ&A