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40にして惑わず?
逆かな、と。 40歳以前は未来が不確定で、あらゆる事に興味が持てて、人生を楽しく生きていた気がします。 逆に40歳過ぎると、自分の人生に先が見えてきて、これでよいのかと迷いだすんじゃないでしょうか? 人は生活のために働いていますが、その仕事自体を楽しいと感じている人はどれくらいいるのでしょう? ほとんどの人が生活のためにいやな思いを我慢して働いているのではないでしょうか? 人生において、働いている時間は大半を占めるのに、それが苦痛だとしたら、また、ほとんどの人がそう思いながら働いているとしたら、なんか、変な世の中じゃないですか? みんなで楽しく生きていけたらいいと思うのですが、それは無理なのでしょうか? 生きていくってことは、苦痛が大半で、楽しいのは少し、というものなのでしょうか? なんか変な気がしますが、いかがでしょう?
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40にして惑わずというより、 惑わされずなのかもしれませんね。 迷いだすというのは、 視野や出来ることが広がったからなのではないでしょうか? だまされたり、ひとつの考えにとらわれたりしない 広い視野をもって惑わされずに生きられるようなる ということで不惑としたのではないかと思います。 もともとの論語の言葉にしても、70でやっと節度を知るわけで、 15歳から勉強して、 70歳になってやっと一人前だよという感じを私は受けます。 苦しいのに仕事したり生きてるのは なんでなんでしょうね。 よくいうことに、誰かに生かされてるなんていいますが、 無理やり生きていくことを強要されてるって意味にも取れますしね。 生きる意味なんて見つからないんですから、 適当でいいと力を抜ければいいのですが。
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私は、40代の男です。 40を過ぎると逆に先の人生に迷うんじゃないか?というのは、ある意味で当たっていると思います。 私の場合は、今の仕事を続けていて自己実現に値するのか、死際になって後悔しないか、という思いがありました。結局、30年近く勤めた会社を辞めて、かねてから興味のあった勉学の途を志しました。一般社会からドロップアウトした恰好になりましたが、後悔はしていません。その時の周囲の反応を見ると、現実重視派と自己実現派の割合は半々のようでした。 あくまで私見ですが、人生の中で仕事が占める割合は僅か1割程度だと思います。単に労働時間での概算ですが、サラリーマンの場合だと、生涯労働年数40年→年間労働日数250日→1日の労働時間8時間で、寿命が80年とすると、人生における労働時間の割合は、11%になります。相当な過重労働を続けたとしても、せいぜい2割強でしょう。実感としては、こんな単純なものではないですが、人生の大半が働きづめというのは、一種の錯覚・固定観念だと思います。そのように思ってしまうのは仕事に対する義務感・拘束感が強いからでしょうが、これは単に報酬の対価であって、日本には「職業選択の自由」があり、建前上は自分の意志で仕事をしていることになっています。このような自覚なしで、仕事の苦痛=人生の苦痛というのは、自分の人生に対する無責任な言い訳だと思います。ぶっちゃけた話、人生の中での仕事の意義なんて、たいしたものではないはずです。ですから、仕事が故に人命を奪う「過労死」などは、人間性を無視した憎むべきものと思います。 人生は、結局、プラスマイナス0だと思います。幸せなことと、不幸なことが半々ずつ。幸せばかりは続かないが、不幸ばかりも続きません。何不自由なく暮らしているように見える人でも、実際は満たされない日々を送っていたりします。逆に不幸ばかりの生涯だったと思える人にも、内心では幸せなこともきっとあったはずだと思います。
お礼
なるほど、新たな人生を見つけられた方ですね。そういう方は成功者と言わせて頂きます。決して富を得たという意味でなく。 成功者でない私は、仕事は報酬をもらうためにやっている、と感じるのです。いろいろな責任や義務に耐えながら。 ですから、過労死をするのでは、本末転倒ですので、そうなら辞めます。 それとは別に今の報酬は、やっぱり簡単には捨てられません。家族もいますし。 でも、だからと言って、仕事を単なる報酬のため、では生きている感じがしません。 仕事が人生の時間にして、1~2割というのは納得しかねます。今の時間は、幼少の時間や老後の時間とは同一には考えられません。 やはり、今の仕事は人生にとって、大部分を占めるものだと思います。その仕事を単に報酬のためだけに続けるのは違うと思うのです。 shinkun44さんの様な方は、成功者と言いましたが、別に転職することが成功とは思いません。 今の仕事でも、意味を感じられれば、それは成功だと思います。 また、人生プラスマイナス0とも思えません。 心が満たされている人は十分プラスだと思います。 shinkun44さんはきっと苦労も大きいとは思いますが、それを後悔していないのは、プラスだからではないですか? いかがでしょう。 貴重なご意見、ありがとうございます。
- yu-taro
- ベストアンサー率39% (3209/8203)
こんばんは。40代後半の独身サラリーマンのyu-taroです。 仕事は好きな道ですが、それほど楽しいという感じではないですね。 ただ、難しいことを努力して解決したり、方向性を付けたりして周囲から評価されると励みになりますね。ちょうどここで良い回答をしてポイントをもらったときと同じような感覚です。 仕事自体に楽しみは少ないですが、職場には女性も割りといるので、かわいい女性と雑談するのが楽しみの一つとして仕事をしています。 仕事なんて真面目にやることは当たり前ですが、生きていくためばかりでなく、楽しみながら仕事をしていくというのが良いと思います。 以前の部署では元モデルをしていたとってもスタイルが良い美人がいて、毎日雑談して冗談ばかり言っているのがとても楽しかったです。その美人がいたために、仕事自体は厳しい激務でしたが、毎日職場に行くのがとても楽しみでした。 その美人もいつの間にか結婚してしまったので、もう少し早くがんぱれば良かったと悔やんでいます(笑)。 仕事の中ではなかなか楽しみを見つけられなくても、職場で楽しみを見つけたり、アフター5や週末を充実させるのがやはり良いと思います。 人生を充実させるために仕事に励む。 これが私の理想としているところです。
お礼
うーん、仕事以外に楽しみを見つけて、そのために働くのは、ちょっと違う気がします。 それだと、たくさんの時間を割いている仕事があまり意味を持たない気がするのです。 確かに実際はそういう人が多い気がするのですが、それではいけないのではないか、と悩む訳なんですが。 もっとも、今の私は仕事以外を充実させて楽しい人生にしようという方向で、仕事以外の付き合いを大事に、また広げようとしているのも事実であります。 でも、本来は仕事も意味を持って励みたいのです。 頂いたアドバイスはひとつの方向性として、考えたいと思います。ありがとうございました。
- kuco
- ベストアンサー率40% (16/40)
私は40歳すぎてから理容師の友達が出来て、店を手伝ってるうちに「これだ!」と思い、理容学校の通信科を受験して、現在店で働きながら勉強してます。 時々あるスクーリングでは最年長ですが、親子ほどの年の差を感じなくみんなと楽しく学んでいます。 好きなことで稼ぐのはなかなか出来ないかもしれませんが、頑張ったことが形になって現れた時はうれしいじゃないですか。 人生の中には嫌なことも我慢しなきゃいけないときもあると思いますが、我慢できたことを喜びとしてはどうですか?そして自分にご褒美をしてあげれば。 先が見える? 私には明日がどうなるかまったくわかりません。 ただ、目標は持っていたいし努力もする。 今ここに生きているって言うのが大事なこと。 一日一日を、大切に楽しく生きたもん勝ちではないでしょうか? 自分の力で変えることの出来ない環境は、考え方をちょっと変えて楽しいと思うと、楽しくなったりするものですよ。自分で思わなきゃ、誰かがたのしくしてくれるわけじゃないんだから。 雨が降ったら雨を楽しむ。雨の恵みを感じたり、カタツムリを探したり、水溜りを観察したり、赤い傘いくつ見るかなんてね。 それと自分を好きになること。 自分の体を愛おしいと思うこと。 少しでも毎日が楽しくなりますように!
お礼
kucoさんは、40過ぎてから自分のしたい仕事を見つけられたのですね。そういう人は、大半の人以外の人、だと思います。そういう人は人生を楽しめるのだと思います。 ある意味成功者? 明日がどうなっているかわからないから楽しいのは、そういう人が得られる事でしょう。 大半の人は今の仕事のことをいろいろ悩んでいると思います。 普通に仕事をしていれば、なかなか他の業種の人と友達になることもないし、他の業種を垣間見ることもないのです。そんな時間もないし。 そもそもそういう環境だから悩むんですけどね。 それでも私も全てのことを楽しむ気持ちは持っている様、心掛けているつもりですが。 成功者(?)としてのご意見、ありがとうございました。
- elmclose
- ベストアンサー率31% (353/1104)
折り返し点を意識するのは、確かに40歳前後ですよね。先が見えてくると、より充実した人生を送りたいと、従来以上に意識してしまいます。私個人的には、仕事を楽しいと感じています。楽しいというのは、楽だというのとは少し違い、いろいろな困難がありますが、そのような困難を解決すること自体も楽しいと感じてしまいます。若い頃には安易な道を行くほうが良いのかなと思っていたこともありましたが、仮に安易な方向に流れてしまってばかりでは、そのような楽しさは感じられなかったと思います。奇麗事だけをいうつもりはありません。ときどきは、楽しくないこともあります。ただ、楽しくないとしても、それは「世の中が変」なせいではなく、それは自分の中にあるものだと考えたりもします。「生活のため」というのと「楽しく」というのとは、背反するものではなく両立し得るものだと、私個人的には考えています。そして、「40にして惑わず」という境地に少しでも近付けたらと、日々考えています。
お礼
すばらしい意識ですね。 同じ事をしていても、人は感じ方が違うものだと思います。ですから、elmcloseさんの様に感じられる人はすばらしいと思います。それが悟るということでしょうか。 それが40だとすれば、私は歳だけ重ねて、本当の人生を重ねていないのかもしれません。 確かに甘いと思います。 少しでもelmcloseさんの境地に近づける様、頑張りたいですが、疑問もなかなか消えないのですよね。 意識の方向性として、参考になります。ありがとうございました。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
こんばんは。私と同じ事を考えている方がおられて,感動した!(←小泉首相調で) 仕事自体を楽しいと感じておられる方も多くおられるかもしれませんが,それ以上に,生活の為に仕方なく仕事をしている方のほうが多いと思います。 私が就職した時は,55歳定年でしたが,それが60歳定年になり,次に年金が65歳からになり,実質65歳まで働く事になり,何か騙された気持ちです。 仕事の内容も,複雑になる一方で,仕事のための仕事をしているような事もあり,もっとシンプルな世の中にならないかといつも思っています。 と言う事で,せっせとロト6を買う私でした。
お礼
あはは、そうですか。共感頂いて、恐縮です。 反論が多いのかと思いましたので。 >と言う事で,せっせとロト6を買う私でした 私も宝くじを買うようになりました。 結構、同じ感覚の方がいるんですね。 これから、どの方向へ行くかわかりませんが、お仲間がいると思うと、勇気付けられます。我ながら単純ですね。 ありがとうございました。
お礼
なるほど。グッときました。 逆に迷う事が多くなるので、惑わされずに生きる。いい捉え方です。 確かに仕事も長く続けていくと、内容も変わり、責任も増えます。それと共に迷いも増える気がします。 過去にしていた仕事の方が楽しかったと思うのですが、それは今になって客観的に見れるからであって、今後更に責任のある仕事をしだすと、今の仕事も楽しかったと思うのかもしれません。 迷うことを楽しめる様になれれば、すばらしいですが、途中で折れてしまうこともあるかもしれません。 そういう時に、今回のご回答を思い出して、今の考えを思い出す事が出来そうです。 ありがとうございました。