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朝鮮総督府の建物をを景福宮に作る意味

こんにちは。 質問は簡単です。 タイトル通りなのですが、日本が太平洋戦争に負けたときにはGHQ本部は皇居を壊して建設するのではなく、 生命会社のビルを接収しました。 どうして韓国では王宮である景福宮の一部を壊して建物を建設したのでしょうか? 私にはこの意味がよくわかりません。 詳しい方は解説願います。

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noname#8234
noname#8234
回答No.2

二つの理由があったと聞いています。 一つ目は、当時の李氏朝鮮の王宮である景福宮の建物は、世宗大路というソウル市内屈指の目抜き通りの北正面に面していますが、当時の総督府の方針として王朝の権威を失墜させる一方で、新しい統治者である日本の権威を強調する意味で、ちょうど王宮と世宗大路の中間地点、つまり王朝と国民の間にクサビを打つような位置に建設されたらしいです。 二つ目は、真偽の程は定かではありませんが、風水の考えに基づいているという事です。 すなわち、宮殿北側にそびえる北岳山をはじめ、世宗大路、南の南山、漢江などの地理的条件が景福宮にとっては、とても風水の思想に合致するらしいです。  つまり北岳山から景福宮を通って南の漢江まで大きな風水の流れがあるとの考えですね。  景福宮の建設場所を決定する時の大きな要因になったようです。 ちょうど日本で、桓武天皇の命により各地を調査した結果、現在の京都市が比叡山や鴨川などの地理的条件が風水の思想に大変合致し、新しい都として決定された経緯とよく似ています。 ですから、景福宮と正面の世宗大路の中間地点に総督府の建物を建設する事により、風水の流れを断ち切るという狙いがあったと言われています。 また、この風水の流れを断ち切るため、日本側は北岳山の頂上をはじめ、韓国の各地に鉄杭を打ち込んだと言われ、毎年恒例の反日キャンペーンで詳しく紹介されていました。 ただ、これらの鉄杭に関する意見は、その後の実地検証では、どうも信憑性に乏しいとされたようです。

tauhon
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 自分で検索したらら風水のことが出ていました。 この説がどこまで信頼できるか、もう少し自分でも調べてみます。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.1

#韓国併合前後の日本と韓国の歴史については、未だ勉強 #が不十分なため、自信なしで回答します。 個人的に朝鮮併合は愚策の最たるものと思っているのですが、 質問にある内容もその一つですね。 発想としては、古代マケドニアのアレクサンドロスが、ペルシャ帝国 を占領した後に、王宮を焼き払ったのと同じ発想です。 つまり、旧政権の象徴である宮殿を破壊することで、元の 時代に未練をもつ当時のペルシャ貴族をくじこうとしたの ですが、当時の日本の行動もそれと同じことです。 日本を占領したGHQは、日本の占領行政を行う上で天皇の 協力と、天皇を支持する国民世論をつなぎとめるために、 皇居に手をつけませんでしたが、韓国を併合した当時の日本は、 独力で韓国を支配するという考えだったのでしょう。 しかし結果として、韓国人の反発、特に知識人階級である 両班の反発を招くだけの結果でした。 後の時代にあると日本も少し賢くなり、満州事変で満州を 軍事的に占領したあと、かつての清国皇帝であった溥儀を 迎えて満州国という傀儡政権を作ります。 満州国も決して成功したとは思えませんが、満州を日本の 領土とするよりもマシな選択であったことは、事実かと思います。

tauhon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

tauhon
質問者

補足

質問の訂正です。 >朝鮮総督府の建物をを景福宮に作る意味 はもちろん「朝鮮総督府の建物を景福宮に作る意味」 の間違いです。ここで訂正させていただきます。