- 締切済み
国語だけが出来る人の存在価値
最近、Xで「国語だけできる人は何ができるのか」というポストが話題になっています。 皆さんは、国語だけが出来る人に対してどのようなイメージがありますか? その投稿をした人は、 数学だけ出来る人は天才感があってカッコイイし、英語だけできる人は海外で活躍出来るからカッコいいし、社会だけが出来る人は知識があってカッコいいし、理科だけが出来る人は専門的でカッコいいのだが、国語だけが出来る人はどのような取り柄があるのか、という疑問を投げかけています。 私個人の意見としては、「語彙力が高い」というイメージや、「文章での表現力が高くて、言語化をするのが上手い」というイメージがあります。 この投稿に対し、「小説家になれそう」「読解力が高い」という肯定的な意見もあれば、「国語ができないと他の教科もできないし、本当に国語しか出来ない人など存在しないのではないか」という否定的な意見もあるそうです。 国語しかできない人は、存在すると思いますか? どんなイメージがあるか、たくさん意見を聞かせて下さい。 分からない方は、こちらを参考にどうぞ。 https://x.com/hinktsu/status/1841404412163457500?s=46&t=HP8yQTqcI-6iP626Y_123Q
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11203/34801)
私も他の方が指摘するように、国語が得意ってことは言語能力に長けているってことですから外国語が得意だったり、文章を読んで意味を理解する能力が長けていますから社会科が得意だったりするのではないかなと思います。 実は私も、現代文の文章問題で難しいと思ったことが一度しかない人です。文法の問題とかになるとよう分からん(そもそも感性で文章を読んでいるから文法というルールの理解に無頓着。文章は全部才能で理解しています)のですが、文章問題で「分からん」と思ったのは井伏鱒二の「山椒魚」だけでした。 「線の部分の山椒魚の気持ちを書け」って書かれても、山椒魚は人じゃねえだろと当時中学生だった私は頭を抱えました。 現代文は問題文の中に全部答えが書いてあるんだから、自分で答えを導かないといけない数学や年号や語彙などを暗記しなきゃいけない社会科や英語なんかに比べるとこんなラクで簡単な教科は他にないだろと今でも思っています。 だから文才はあるんですかね。自分ではよく分からないです。でも、自分でいうのもなんですが、文才に長けていると人からはよくいわれます。ちなみに文才は遺伝するものらしいです。父親も文章は得意ですし、祖父は学校の先生でしたし、伯父は仕事に関する本を出したことがあります。 もし「国語だけに長けている人」がいたとしたら、作家などの文章を書く他に考えられるのは、コピーライターとか芸人とか噺家なのかなと思いました。 これはあくまで私の個人的な見解ですが、数学(だけ)が得意な人とかは論理的ですからいわゆる左脳優位なのだと思いますが、国語が得意となるとどちらかというと右脳優位な感じがするので、通信簿でいうと5と1が混在するデコボコなタイプではなく、オール3みたいなあまり飛び出ないタイプなんじゃないかなあという気がしました。
- AlexJenifer
- ベストアンサー率44% (727/1636)
「国語しかできない人は、存在すると思いますか?」 長く生きてますし、そのうちのかなりの部分を中高で教師として(理系)過ごし、今は英語圏に住んでいます。その経験上、学校教育レベルでは、こんな人を見たことはありません。ただの一人も。国語が出来る生徒は、少なくとも社会科のどれか(大抵は日本史、世界史、倫理あたり)が良く出来ました。英語がよく出来て、海外で活躍するようになった人は、国語も良くできました。むしろ、「国語は壊滅的」って生徒はいましたね、数学はとても良くできるのに。 もちろん、もっと高いレベル、それを活かして「食っていける」レベルなら話は別ですが、それは何をとっても同じことでしょう。 その投稿は子どものものですかね。カッコいいと言う表現はかなり幼いし、「英語だけできる人は海外で活躍出来るからカッコいいし」は、実際に海外で活躍している人を知らないからの発想に見えますね。実際には、英語「しか」できないのに海外で活躍してる人なんていません。だって、私が住んでいるオーストラリアでは、「日本で英語だけできる人」よりずっと英語が出来る人の方が圧倒的に多いんですから。
- N5200model05
- ベストアンサー率39% (101/256)
国語だけ出来る人(国語しか出来ない人)が実在するのかという話と、国語しかできない人の存在価値という2つのテーマがごっちゃになってる感じがありますが、そもそも「国語」と一言で言っても分野は多岐にわたるんですよね。文章読解、作文、漢字の読みと書き、日文法、文学史などなど。で、自分は漢字はからっきしですけど、読解は結構得意です。ただ、解釈が特殊すぎると学校での評価は低いですよね。いずれにしても、実はそこに必要な資質は結構バラバラなので、そのすべてが出来てほかが全く出来ない人というのは考えにくいと思うんです。 ただ、議論の中で言われる「国語」というのは、読解能力のことを指している気はします。文章の読解力だけが高いという人はいるんじゃないかとは思います。 そういう人の存在意義は、もちろんあるとは思いますよ。人の言うことを正しく理解出来るだけで、世の中どれほどよくなるかと思います。
- Japadize
- ベストアンサー率14% (41/287)
小説家なんて国語が出来る人の一種だと思いますが、考え過ぎて長生き出来なかったりしますね。国語だけ、とか数学だけ、とか、バランス悪いと長生き出来ないかもしれないですね。 勉強出来ても、社会では全くダメな人もいるから、勉強が出来る事は、人生の必要条件であって十分条件とはならないのでしょう。
- HAL2(@HALTWO)
- ベストアンサー率53% (2372/4441)
「国語ができる (Literacy がある) のに他の教科はできない」という人は単に「怠け者」というだけの事です(笑)。 「国語 (特に現代文)」は「全く勉強しない」でも Test でほぼ満点取れる人がいます。 かく言う私がそうで、小中高大と国語は全く勉強しませんでした(^^;)。 予備校講師をしていた頃、共通一次試験の模範解答作りのためにこっそり試験を受けに行っていた同僚の講師達にも文系理系を問わず、現代文部分 (当時は 200 点満点中 100 点が現代文、古文漢文が 50 点ずつ) で満点を取れる自信のある講師が何人もいて、彼等と話し合った事があるのですが、共通点は唯一「小学生のうちに少年少女世界文学全集全 50 余巻をほぼ読み切っていて、国語なんて勉強した事がない」でした。 この Site でも以前、この話題を投げかけたら、賛同する回答者さんが結構いて「あぁ、やっぱりそうなんだな」と思ったものです。 国語 (現代文) の試験で、著者の意図する表現の意味ではなく、問題作成者が意図する解答を裏読みして回答できるまでの国語力がある人は「問題文が何を求めているか」を読み取れる Literacy がありますので、他の教科でも教科書の内容を理解できる能力があります。 それでもその教科の試験で良い点が取れないのは「覚える気がしなくて勉強しない」からで、私も中学以降の平均点は並でした(^^;)。 大抵の人は国語以外に興味がそそられる教科があって、国語以外の道に進みますので「国語しかできない」なんて事はないものだろうと思いますが、たまたま国語に興味があって国語の先生になってしまったために、他の事はさっぱり覚える気がしないという人も極僅かにいるかも知れませんね。 でも予備校講師時代に集められた講師達はいずれも国語担当以外の講師達で、国語担当の講師が「なんでお前ら、あんな捻くれた問題の裏を読んで満点取れるんだよ!」と悔しがっていました(笑)。 その国語担当講師は当然ながら少年少女世界文学全集に出てくる著書は殆ど読破しているのですが、中学以降 (多くは大学?) で読破したのであって小学生のうちに読破していたのではないという点だけが異なっていましたから幼少期から「勉強」とは思わずに楽しんで身に付ける能力と、その後に勉強で身に付ける知識とは別物のようです。 私の場合「国語ができる人の Image」って「飯の種にしている専門」以外の様々な分野にまで話が通じる、いわゆるオタクと話せる守備範囲が広い人ですね。 但し、専門以外の分野は専門ではないので「オタクに付いていける」程度であり、その分野で Lead できるわけではない、つまり国語ができて文章を記すのを苦としなくても小説家になれるわけではない、という感じですね。……小説家に求められる能力は国語力だけではなく、小説を創造できる Plus α を持っている事だろうと思います。 米国に居た頃、日本人留学生仲間は大学で第二外国語に日本語を選択して A や A+ を取っていましたが (当たり前ですね(笑))、だからといって難解な日本文学が得意というわけではないし、専攻は国語ではありません(^^;)。……同様に子供の頃に培った能力と、その後に勉強して得た能力とは別物だろうと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 遅くなってすみません。国語での能力は他の教科で活かすことが出来る、というのは小学生の頃私も言われたのですが、本当かも知れませんね。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1512/3682)
興味深い問題ですね。学生時代に出会った「国語ができる人」は、最低でも「他の教科もそこそこできる人」で、「国語だけ満点に近くて、他の教科は落第点」という人は見かけなかったように記憶しています。ただ「国語だけがずば抜けてできる人」(国語が95点でほかは60点のようなイメージ)はいましたので、「国語だけ」の意味(定義)次第で「国語だけできる人」が存在するとも、存在しないとも言えるのではないでしょうか。 「国語だけできる人」の値打ちとして最初に思いついたのは、「達意の文章が書ける人は職場で重用される」ということです。定型化された単純な業務であれば、ひな型を穴埋めするか、最近ではAIの活用もできるでしょうけれど、現実には想定外の事態(不祥事や事故など)への対応や苦情処理、問い合わせへの返答などで、「必要な要素だけを過不足なく文章化しなければならない場面」がしばしば訪れます。 この際に、簡潔で余計なことを入れず、しかも受け取った人に「誠意をもって対応してもらえた」と感じてもらえる文章を書くのは容易なことではなく、それができれば職場で高く評価されます。いわゆる「名文」を書く必要はありませんが、「平易で誰にでもわかりやすく誤解されない論理的な文章」を書くには国語力が必要です。 なおこれは文書・手紙などの書き言葉だけではなく、式典や会合での公的な発言や電話対応などの話し言葉でも同様です。英語などと同じように国語の能力は「読み・書き」だけでなく「聞く・話す」も含めた総合力だからです。
お礼
回答ありがとうございます。 国語での読解力や要約能力は、英語などでも活かせるのかもしれません。要約ならリテリングとか、読解なら、英語の長文読解とか。
お礼
この投稿を書いたのは高校生の男の子なので、このくらいの語彙でも仕方がないかと.....笑。 まあ得意不得意ってそれぞれありますよね。 ネイティブには敵わないものです。