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日本人が外国人を歓迎する未来
別に外国人ガーという意味じゃないです。 今や田舎の漁業などの産業は外国人が支えていて、雇用主もそれを求めているだけではなく、もはや家族の様な絆が形成されていると感じます。 そこに日本人は入れないし、入っても日本なのにアウェイな訳です(その発想が島国ですよね)。 何となく言いたい事が伝わると良いのですが… 皆さんはどう思われますか?
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- HAL2(@HALTWO)
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>もはや家族の様な絆が形成されている >そこに日本人は入れないし、入っても日本なのにアウェイ <それは雇用主或いは Group (班) の Leader (親方) も含めて労働者全てが日本語を用いない環境ではないのでしょうか? 私は米国で日本人仲間と会社を起業した事がありますが、全員が日本人ですので、米国の会社であろうとも日本語で会話しており、当然、そんな環境では米国人は Away になります。 日本で起業して同国人を雇う外国人の企業も同様に外国語の環境になるでしょうから日本人は入れないし、入っても Away になるでしょうね。 外国人を雇っている農家の方が仰っていましたが、農場では外国人の為に風呂付き食事付きで格安の社員寮を提供し、農場との出勤退勤に使う自転車も補助、日本ではだらしない格好させないよう、作業服一式の貸与の他に普段服も補助したりするので、日本人のアルバイトを雇うよりも遥かに人件費が嵩むものの、日本人は来てくれないので外国人を雇うしかなく、そのうちに来てくれる外国人は自然と同じ国の者になってくるそうです。 しかし、日本の土木建築工事現場を見る限り、多くの外国人がいて、同じ国の出である外国人同士は母国語で話していますが、日本人の先輩や親方とは日本語で話をし、日本語が拙い後輩には母国語で通訳しているのを見かけます。 そんな環境では日本人の新人を入れる事ができますし、入っても Away にはならないでしょう。 また、その外国人労働者が妻子を日本に呼び寄せて年月が過ぎると、子供達は自然と日本語が母国語となります……両親とは日本語以外で会話しても、友達も TV も Game も、家の外では全てが日本語ですので、両親以外とは使わない祖国語よりも日本語の方が母国語になってしまいます。……実際、私は両親が日本人でも米国で生まれ育った、或いは生まれは日本でも米国在住期間の方が長い子供達が英語を母国語としていて日本語が下手になっている状況を幾つも見ています。 そんな、両親は外国人でも日本で育った 2 世達が作る Community はもはや日本人の Community に近い Hybrid な状態になります。 御質問者さんは「限界集落」という言葉を御存知でしょうか? 電気、Gas (Propane Gas)、水道はあっても携帯電話は電波が届かないので全く使えず、Analog 電話線は来ていても Digital Data 線は来ていないので Internet もできず、TV は NHK だけ、Radio は FM が入らないので AM だけという山間部で、老人しか住んでいない村を「限界集落」と言います。 子供達は町に出て独立しているので村は老人だらけ、CVS も Super Market もないので買い出しは週に 1 度若い者 (と言っても 50 代、60 代の者) が車で行って御近所の分まで買ってくる……御近所と言っても山道を何十分も歩かねばならない距離です(^^;)。 町に住んでいる子供達は心配して呼び寄せようとするものなのですが、御先祖様達から受け継いだ土地から離れたくないと言って住み続けてしまうのですね。 都会で生まれ育った者から見れば朝から晩まで猫の額ほどの畑で作業するだけで何の楽しみもない所のように見えるものですが、集落の老人達は皆家族のように親密な付き合いをしていて互いに助け合うのが当たり前なので何不自由していないし、何よりも自然に囲まれてゆったりとした時間が流れるその世界こそ幸せを感じるという人が多い所です。 やがて田舎の方では農場や漁船に雇われた外国籍の両親の下で育って日本語を母国語にしてしまった子供達が歳を取ってさらに日本人化した 3 代目の子供達に心配されても「両親から受け継ぎ、子供の頃から慣れ親しんだ環境が最も幸せ」と言って他の日本人の老人仲間達と一緒に限界集落みたいな環境に暮らすようになるかも知れませんね。 近年の事ではありませんが、小笠原諸島 (特に父島) は 200 年近く前から欧米系の元船員や南洋諸島出身者が住み着いて明治時代の日本系開拓民と融合した事から、現地語は日本語の中に多くの英単語が混ざる「小笠原 Pisin 語」になっていました。 情報化社会の現在では情報の殆ど全てが日本語ですので「小笠原 Pisin 語」は殆ど使われなくなっているそうですが、お笑い Talent の「ルー大柴」氏の話し方みたいなのが「小笠原 Pisin 語」です。 同じ国からの外国人が集まる農場等の地域では現代版 Pisin 語が生まれ、将来はそんな言語に染まった限界集落が生まれるかも知れませんね(^^;)。
- f272
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日本の既存の文化と相容れないような行動をとらないのでしたら、昔から今に至るまで排斥されるようなことはありません。今まで日本になかったことを持ち込んでも共存できるものであれば歓迎されます。 外国人ではなく、そのうちに日本に帰化するように制度を整えるとよいでしょう。
>今や田舎の漁業などの産業は外国人が支えていて、雇用主もそれを求めているだけではなく、もはや家族の様な絆が形成されていると感じます。 現在もそういう外国人については歓迎されているのではないでしょうか。 日本の生活保護や医療費目的に難民申請したり、犯罪目的で入国してきたりする人が批判されているので、明確に分けて考える必要があると思います。