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日本の中世について教えてください!!!
大学のレポートで『中世の幼児の魔よけのまじないと、その背景について』『中世の「童」の労働とその特質について』という課題が出たのですが調べまくってもわかりませんでした!!!どなたかよく知ってらっしゃる方教えてください!!他にもレポートが5個出ているのではかどらず困っています!!よろしくお願いします!!!
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補足説明です。 基本的に理解しておくことは中世においては、日常生活の全てが今日でいう迷信で規制されていたということです。朝起きて寝るまでの間、して良いこと、悪いことと災厄を逃れるための方策が、細かく決められていました。祈祷師が幅を利かせていた時代です。江戸時代になって世の中が落ちついたとき、公家や武家社会に伝わっていた諸行事が庶民層にまで広がり、庶民に受け入れられた行事が今日まで伝えられ各種の祭り、伝統行事として、その起源は忘れられ形式的に、或いは商業主義に乗せられて祝われています。 厄払いは子供や大人の成長の節目、節目に健康を祈願しあらゆる災厄から身を守るために発達した行事です。大人は男性、25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳に神社仏閣にお参りし共同社会に厄年であることを告げ何らかのお返し(物やボランティア活動)をする慣わしでした。 昔は子供が無事成長して社会人になれる確率が低く(病気死亡率が高くて)大人の厄除け以上に子供の成長の節目の祝い事が大切にされました。今日まで伝わる主な行事として、端午の節句(五月五日)ひな祭り(三月三日)七五三があります。 端午の節句・・・中国伝来の健康を祈る行事。もともとは年令に関係なく祝われていた。江戸時代に武家社会で男の子の誕生を祝う行事へ発展した。端午の節句に 供えていた菖蒲が尚武(武を重んじること)につながることからといわれる。 ひな祭り(桃の節句)女の子のすこやかな成長と厄除けを願う行事。はじめてのひな祭りには母親の実家から雛人形一式が贈られる慣わしがあった。 七五三・・・子供の成長の節目に、健康と厄除けを願って行われた行事。三歳は男女共に「髪置き」を祝った。昔は病気にかからぬよう幼児は髪を剃っていたが三歳で髪を伸ばして結いなおした。五歳は男児だけが「袴着」を祝い、初めてはかまをつけた。7才は女児の「帯解」の祝い。着物のひもを正式な帯に替えた。七五三の祝いは江戸時代に盛んになった。 現代では昔と違い、生まれてきた子供の何割かが社会人になる前(10代初め)に確実に亡くなるという心配がない代わりに、幼児から大学卒業まで教育が大きな関心事になりました。中世の親が子供の健やかな成長(生き抜くこと)を願って始めたこれらの行事は、厄払いという意義は忘れられ、子供にとって楽しい祭りに過ぎなくなりました。 厄払いや各種の伝統行事についてyahoo,googleなどで検索すれば、詳細が分かります。
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古代から近代以前の世界では、人間の理解できない自然現象や病気には神(霊)や悪魔の意思が働いていると考えました。神の意向を探り、悪魔の退散を願って儀式や神事、占いなどが生まれたわけです。今日まで伝わる多くの習俗は当時の厄払い、魔よけに起源をもつものです。又子供の玩具ももとは災難避けの小道具だったものが多く、デンデン太鼓(チベットから中国経由伝来した)や羽子板(羽根つき)は本来子供の無病息災を願うものでしたが、のちに子供の玩具となったといわれます。時代は新しくなりますが、だるまさんは江戸時代に疱瘡避けとして愛用されていたものが種痘が発明されて、その役目を終え、現在のように選挙や願い事がかなったときに目玉を入れる人形となりました。 以上、部分的な回答ですが参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます!!すごくわかりやすかったです!!もしよければ厄払いや魔除けの具体的なものがわかれば教えてほしいのですが・・・どうでしょうか?よろしくお願いします!!
お礼
どうもありがとうございました!!! とても参考になりました!!!